2018年6月8日金曜日

180413/ 今川、平等橋あたり




平等橋付近の一級河川、今川。
近所のどぶ川と思っていた今川は万葉集に詠まれた息長川か?
はじまり(暗渠?)の長居公園通りから下流に北上し国道25号線にぶつかると百済の國。
橋の上の道は八尾からー平野郷ー中野ー長居ー住吉大社へ至る八尾街道。
平等の由来は平等院領から。
諸説様々
奈良時代以前、難波宮と喜連を結ぶ水路(息長川)といわれ
平安時代杭全庄は摂関家所領。鎌倉時代に杭全庄は平等院所領となる。大阪城落城により徳川氏の直轄地となり、大名に給与されたのち、明治を迎える。
昭和4年地図では平等橋で川が三又に合流。中央の今川が本流で他二本の川は廃川となり埋め立て。平等橋の東南には1.2mの高低差があり、喜連川(廃川)の氾濫から荘園を守るため平等堤があったとされるが現在は埋め立てられ道路となりて痕跡は無し。
今川の東岸は大阪城、桜の宮と並ぶ大阪の三大桜名所であった。
平等橋あたりから北へは桜のトンネルになっている。

そもそも今川が息長川であったとする説は「大阪府全誌~摂津國東成群」に記されたことから始まるとされる。この資料には今川の旧名は河内川などと記されたり、和気清麻呂の未完に終わった土木事業(河内湖と大阪湾をつなげる上町台地を東西に貫通する濠=天王寺の茶臼山あたり)が完成するとされる誤記などがみられ、その信憑性が問われている。
また、昭和34年、日本上古史研究の大阪樟蔭女子大学教授であった今井啓一氏の論文「息長氏異聞」(喜連の息長氏についての論)などを受け、東住吉区の郷土史家が「今川は息長川だった」という説を展開されている。

ブラタナベ ~ 今川と息長川
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2015/05/blog-post_19.html



参考資料ページ -----------------

平等橋付近の今川と息長川論
http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033887.html

治水工事で安全な町に 今川と夢ある橋名
先人の足跡をたどる №118(東住吉区)
https://osaka-hk.org/posts/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E3%81%A8%E5%A4%A2%E3%81%82%E3%82%8B%E6%A9%8B%E5%90%8D

伎人郷と息長伝説
http://okinaga.take1mg.com/newpage3.htm

攝河の地に「息長川」は存在せず~今川は「息長川」ではなかった
http://okinaga.take1mg.com/newpage4.htm