2012年4月24日火曜日

120424 コップのローズマリーに小さな花が咲いた。


冬の日の料理で余ったローズマリーの一枝をコップに生けておいたら小さな花が咲いた。






子供が幼稚園だった頃、町内の花壇に植えたローズマリーは、その横に植わってるラベンダーと共にこんもりと茂ってマス。
両方とも今、紫の花が満開。ラベンダーも木ですネ。
ちなみに写真の一枝、冬の真夜中の買い物帰りにこの花壇から失敬してきたもの。
ハーブは食べてあげないといけない。




fb-橋本 公成   2012年4月24日

2012年3月27日火曜日

120327 こまったらナスにツナ

 


~茄子とツナのリングイーネ(と菜の花)~
茄子の焼き加減さえちゃんとできれば失敗しない鉄板パスタ。
記憶のレシピは、トスカーナで修行した「マルコポーロ」の安さんじこみ。
ガッツリと、まかない分量の300gパスタ。
レシピは舌が憶えてる。

3/27 supper 



オリーブオイルでにんにく、鷹の爪をじっくり香りだししてからナスを焼く。
なすは厚めに切ったほうがおいしい。こげめがうっすらつくくらいまで焼くのがポイント。
あまり焼きすぎると茄子のジューシーな感じがなくなる。
ツナはマグロやかつおのぶつ切りの残りがあればよいし、シーチキンなどツナ缶でももちろんよい。
茄子が焼きあがってきたらツナを加え、別に準備しておいたトマトソースを加え、茹で上がったパスタをあえる。ソースにはペッパーのみ。
たっぷりの塩入れたお湯でパスタ茹でるのでソースにはゆで汁少々のみ、パスタをあえるときに入れ完成。
夏の暑い時にハッハッしながら食べるのが結構良いデス。



fb-橋本 公成   2012年3月28日

2012年3月18日日曜日

120318 早朝の会話





霞が白く景色を隠し、
送電線の鉄柱が田んぼに浮かぶ。

カメラをその白に向けていると
早朝ウォーキングの男が話しかける。


「何か珍しいものが見えますか?」

「霞でふだん見えているものが見えないのが見えます。」


12/03/18/AM05:53

2011年12月27日火曜日

111227 breakfast



10時間睡眠で2日間の寝不足取り戻した後、朝からガッツリ食事。
土の中の根菜(CHIKUZENNI made by my wife)と、冷蔵庫で死にかけの土の上の野菜をニンニク、鷹の爪、オリーブオイルで豚肉といため。
中華とイタリアンは共通する部分があるなぁ。


fb-橋本 公成
2011年12月27日

2011年12月23日金曜日

111223 光によって彫刻する絵画=写真

 






終日スタジオにて撮影立会いを終えひさしぶりに帰宅。
自然光の入らないスタジオでの商品撮影時にいつも、あらためて感じること。
写真とは一瞬の現実時間を切り取るのでもなく、真実を写すのでもない。
現実に見えている状態、質感を光によって彫刻し、ある視点からのみ見える状況を作りだす絵画のようなものだという感覚。
デュシャンのgivenを思い出す。トレペの壁に囲まれた撮影台。
以前は脚立に登って4x5の逆さまのファインダーをルーペ越しに確認していたことが、今ではmacのモニター上で確認作業。
露出の失敗はなくなったがポジがあがるまでのドキドキ感がなつかしい。30年来つきあいの東区のスタジオにて


from 橋本 公成  fb
2011年12月23日  

2011年10月30日日曜日

111030 「よし寿し」さんの鯖すし





新守山のお気に入り~「よし寿し」さんの鯖すし

持ち帰りだけの小さなすし屋さん「よし寿し」。ここの鯖のにぎりは絶品。
早朝仕入れた新鮮な鯖をしめ、ねかしてからにぎるのだろうが、まったく酢の味を感じない。というか酢でしめていない鯖寿司に出会ったことがなかったので衝撃。
初めて食べた時はとても鯖とは思えない脂ののったトロのような味と舌触りに、バッテラを食べ慣れた大阪人はびっくり。
仕込みが確かな職人の仕事。この仕事、この味で5かん400円はかなりお値打ち。
新鮮で良い鯖が入った時だけガラス戸に貼りだされるお品書きを確かめて。
JR中央線新守山駅、東へ徒歩5分。



>新守山駅のロータリーを左、用水にでたらそれに沿って東(左手に守山西中)広い道路にでたら左、すぐの信号を渡り直進。金屋郵便局の向いの業務スーパー手前、隣はお好み焼きを売っている店。ほんとに小さな店なので。
鯖寿しは午後から夕方にかけてしかないですが、いつもあるとは限らないです。事前に電話確認を。

>全然しめ鯖のように酸っぱくないです。
近所にはこのほか行列のできるフランスパン工場のパン屋さんや、昔アートポート20号倉庫で盛大な展示会、パーティやっていた家具屋さん(名前忘れてしまったけど)の工房などもあります。


fb-橋本 公成 2011年10月30日



「がまん」の絵

横位置の小さな画面の左はしに、書のように黒い縦書きでエイッ!ヤッ!と描かれた「がまん」の文字。
その文字に引き込まれる絵を見る者の視線は、おぼろげなイメージが何を表しているか確かめるように文字以外の部分をさまよう。

フレンチブルドッグの頭部を正面から大きくとらえ?
そのおでこあたりに丸いオレンジ色のみかんがペッタリと貼りついたイメージ?
はっきりしていない輪郭だがたぶんそういうイメージだったと思う。
イメージはたよりなげだが筆さばきはのびやかだ。

みかんをねだる愛犬がお預けをくらっている場面?
私は絵づらをそういう風に見たのであるが、その時の作者の心情は異なるやも知れぬ。
もしかしたら作者が何者かから「がまん」を強いられたそのうさを犬に投影したのかも知れぬ。
どちらにせよ、その表現の自由さと、「がまん」のギャップがおもしろい。
ユーモアと頑固さ。

作者からがまんを強いられる犬。
作者が何かから強いられるがまん。
自身の少年期に強いられたがまんの記憶。
親から受けたがまんの美徳。
大人になった自身が我が子に強いているがまん。
がまんを強いられる日常。
がまんの美徳を世界から評価される国民。

がまん、がまん、がまん、がまん、、、、

さまざまな「がまん」をめぐる物語がこの絵を通して現れ、
3.11以後の国民心情に訴えかける徳とあいまって、
今のこの国の気分を日常からとらえた表現に見えてくる。
それは見るほうの勝手な思い込みではあるのだが。


この絵の作者は杉山征、14才。(たぶん14才。)
まだ14才。いや、もう14才だ。
14才は気質、人格が完成される時期だ。
これは14才だからできる表現か? 
確かにそれは14才だからできる表現でもある。

この絵が展示されていたのは美術館のガラスケース内。芸術家の両親との合作インスタレーションとして展示されていた。マンガやドローイング、陶器のオブジェといっしょに部屋の片隅に散らばったような状態で展示されている展示品のひとつ。
それは両親によって、両親のシナリオ、ストーリーの部品として展示されただけかも知れぬ。
両親にひきづられて発表に参加しただけかも知れぬ。
自らの意志で発表しようとしてしていないものは「美術作品」として語られてはならぬ。というのが美術界の前提だ。

はたまた、技巧の凝らされた良くできた作品、制作の動機付けやルール、コンセプトが苦行のように窮屈な感じがした作品と同時に展示されていたため、私の気持ちがより開放感とユーモア、笑いを欲し、この作品に反応しただけかも知れぬ。
が、それでも私はこの絵が好きだった。

彼の展示品には、コンセプトや制作の動機付け、技巧以前に、14才の言い分や、14才の日常の現実がストレートに表れている。制作中の熱中と、その時の自由が感じられる。
そしてそれは、同世代の彼の日常に向けて制作されたやも知れぬが、あるいはまったく自身のためだけの感情の発露であったかもしれないが、同時代に生きている世代の異なる私に和みをもたらした。
あるいは、死んでしまった自身の14才という時に対する郷愁か。
手法、技巧やコンセプト、使用するメディアの選択以前に、まず「言いたいことがある」「描きたいことがある」というしあわせ。
表現とはそういうものだ。



同じ屋根の下に暮らしていてもそれぞれ異なる記憶。
同じ出来事に直面し、同じ時間、同じ空間をいっしょに生活していても異なる個の眼差し、眼差し、眼差し。
そんなあたりまえのことをあらためて感じる家族3人の展覧会の中で印象深かった「がまん」の絵。

意味不明だが「ぶつだんにしまっておこう」という落ちの言葉がやけに引っかかるマンガも気になる。

2011/10/22 清須にて