2022年12月1日木曜日

「あんた、ほんまに病気か?」

 ケラケラ笑いながら、水のない空中で溺れ、バタバタ暴れるようにこのまま息が止まってしまうのではと死にそうになった発作時の状況を説明するものだから、母は怒ったようにこう言った。

「あんたぁ、ほんまに病気か?」

こう話している時も椅子に座って静かにしてると何も起こらず健康な人と見分けがつかないのだから仕方がない。今朝もその時の声がおでこのちょっと上あたりでリフレインしている。


つまりこれは病名を知って、それに対する情報をいろいろあちこちから仕入れたので、より症状が悪化していったという「情報による感染病」と言えなくもないか、とこう思ったのは、ここ3年にわたる戦時中のような情報革命がまさに如実にその症状を露呈しだしたからだ。




小話 時々どきゅらんど


壁際が設楽知昭氏のオープンスタジオスペース。手前、橋本  (photo:2000)


「枠に張った半透明フィルムに人形などでポーズをつけた現実の空間をトレースする制作途中は記憶があります。名古屋港artport2000のオープンスタジオで制作されていました。この背景はメインに使われた20号倉庫の隣にあった8号倉庫です。私はこの向かいのブースでオープンスタジオに変則的に参加していました。」おとうさんの顔本に記憶の扉を開く設楽さんの絵が載ってたので思わずコメしてしまった朝。















段取りとあとかたずけ


物理的な素材を扱う特に立体物の制作で必要とされるのは準備と次の工程へと橋渡しすることを考えての作業の終わらせ方でありそのためのかたずけなのである。というような当たり前のそんなことくらいしか六十過ぎの老いぼれが息子より若い世代に何か伝えることがあるとすれば、そんなことぐらいである。自身の身をもって体得した大事な情報というものは時短で便利なハウツーではなくてめんどくさくて時間のかかるものなのだ。細かなノウハウは時代とともに変わらざるおえないのだから詳細しても意味がない。横に立って見ていればよいだけだ。生きてゆくということはめんどくさいことをやり続けなければならない大変なことなのだ。











明日からの41人相手の戦場のような工程の授業のことが気になって、おでこのちょっと上の声がここ何日もつぶやいている。






脳が記憶感染?はあっ?あんたなにゆうてんの?


身構えながら待っていた冬本番の寒気による冷え込んだ昨晩から今朝。最近はテレビもラジオもみんな大げさというより、おせっかいが過ぎるように、不安を煽るように、予防医学と似て、事が来る前にそんな情報ばかりしゃべるもんだから、ついつい情報感染して現実を体感する感性が鈍ってしまう。気温差による発作の恐怖。2月の雪の朝、喪服でコーナンの駐車場まで歩いた時の発作のことが脳みその端っこにあって、その時から急激な気温変化の状況下で症状が悪化すると自身の記憶によっても洗脳されてしまっている。脳が記憶感染しているといってよい。そこにメディアが追い打ちをかけるからより身構えてしまうのだ。


しかし実際はどうだ。今朝のSpO2などここ3か月見たこともない良い数値94%を示している。昨晩冷え込みだしてからいたって調子が良い。
冬のピリッとした朝の空気、僕は1月生まれだからか昔からこの時期のその感覚が身に付いていて好きなのだ。

つまりこの予防情報過多による社会状況、ビッグデータによるAI技術をとにかく使うことが社会に良いことであるという方向にみんな向けとメディアはやんわりと耳元目元で囁くのである。海の向こうの薬屋さんがパウル・ヴァーフーヴェ(ン)の映画のように「この時期…○○珍について…考えてみませんか?」などとテレビで囁くのであるから思わずぶるっぶるっと耳元にじょじょげが走るのである。個が自分の身をもって体得していった積み重ねの知恵や判断といった些細な個人の見解よりも、類としてあちこちの多数から収集した情報を優先しそれに従えと。それはまあもっともな考えではあるのだけれど。
おかみは汚い。枠組みとルールを作って、自身は命令や強制せず憲法の名のもとに「あくまで個人判断で自由ですよ」と言いながらその実、連帯責任・相互監察・相互扶助といった江戸時代の五人組制度や大戦中の隣組のように民衆間で行動制限を行うようにもってゆく。と、そんなことを今頃言ってもしょうがない。洗後 (*1) の後の祭りなのだ。未来の命を人質に取って、不可逆的な世においては実証するすべなどなく、実にうまく考えられた持続可能なお金儲けと民の掌握のシステムなのである。

「あんた、そんなこと言って、みんながめちゃくちゃなことやりだしたら、そんな社会であんたほんまに生きていけんの? 難しいことようわからんけど、みんなとおんなじことしといたほうがええんとちゃうの?」





新嘗祭より七日、冬本番を祝う朝に



(*1) 補足用語説明 -----
ぼくの新語流行語大賞2022=ふたつの「せんご」
洗後:多くの人々が洗脳されてしまった後の世の中を表す言葉。
染後:感染騒動後あるいは感染騒動後期の世を表す時代区分のこと。


2022年11月23日水曜日

221122-02 この時期のコガモ 冬羽, 繫殖羽への移行期

 




















冬羽(繁殖羽)にほぼ移行している個体
天白川本郷橋西
2か月前の9月中旬、この地方にわたってきたコガモですが当初に比べ冬羽(繁殖羽)への移行がだいぶ進んでいるのが観察できます。
頭部の構造色部がほとんど生え変わってるものと、まだ禿げたようになっている個体。換羽の個体差は誕生して冬羽(繁殖羽)の換羽を経験した成鳥と今年生まれで初めて冬羽に生え変わる若鳥の差であると推測します。












220918-02 コガモ 夏羽エクリプス







オスの顔の構造色の生え際、境界を残した塗り分け絵画のようなそれに目が行きますが顔以外の部分の羽毛も複雑な模様に覆われていて興味深いのです。冬鳥として身近な鳥であるコガモ観察が飽きないところです。腹部から翼にかけて、遠目で見ていると白とグレーの色差あるいは銀灰色の面に見えているものが、望遠でより目に引き寄せる、あるいは対象に近づくとグレーと認識していた面がじつは白い羽毛1枚1枚に入った斑入りの模様の集合であることがわかります。そしてこの斑は体の場所によっていくつものパターンがあり又、羽毛1枚の大きさも異なっています。こうしたカモ類の羽毛を見ていると僕はいつもリキテンスタインの網点絵画のことを連想するのです。

 限られた版数の印刷でより多くの色調を増やし網膜に届け脳に認識させる網点による印刷効果。この構造を用いた印刷技術をリキテンスタインは発明したのではなく、印刷物を巨大に拡大した絵画を作ることでその構造をより見えるようにしました。アンディ・ウォホールが印刷メディアを原稿として肖像や事件写真を拡大しシルクスクリーンで作ったことが網点が画面に現れた先行かもしれませんがリキテンスタインほど網点構造に着目していたとは思えません。リキテンスタインが拡大した網点効果による絵画は、しかし元の印刷物での効果と逆の効果を現前させています。印刷物で使用されていた網点はその印刷物自体の大きさからイメージの奥行き効果に向かっています。印刷面から向こう側にイメージが後退していってる効果。それに比べてリキテンスタインの網点は拡大されて絵画鑑賞する目と対峙して、壁からこちら側に向かってくるような効果を感じます。むしろ網点の大きさを調整してドットによる視覚効果を表現の効果にしている。効果というより、フランク・ステラが言ったような絵画の「作用空間(working space)」といってよいかもしれません。実際ステラもアルミレリーフがより物理的に壁から突出し複雑化していったモービーディックのシリーズに至る頃、さらにより大きな壁画のため、自身の版画作品で作った版を利用したコラージュ手法で、網点や拡大鏡でしか見えない4色印刷のコンタクトスクリーンによる色版掛け合わせを巨大に拡大したパターンなどを使用して、行き過ぎた物理的な奥行きに逆行する平面による表現も同時に行っている。
 こういったリキテンスタインが気づかさせてくれた壁からこちらに向かってくる絵画の作用空間。この源泉を西洋美術の歴史にたずねてみれば、イタリアルネサンスのレオナルド以降、バロックのカラバッジオに行きつくのです。これはステラの論文でも語られていることですが。
絵画平面上を壁と同一面ととらえ、その向こう側に後退しているか(レオナルド)、壁のこちら側に突出してくるか(カラバッジオ)この時代の転換が絵画のイリュージョンの方向にも同期してると考えることもできるのではないか。
ルネサンス以降にこの問題がより目に見えるようになる方向は印象派に見るイメージを描写する筆跡を抑えるのではなくマネ頃から抑えなくなったこと。モネの後期にかけて筆跡はより強調されるように画面に現れるようになった。銀塩写真が登場してからは絵画が写真にとってかわられたから?画面上で絵具の物質性や手で描いたとわかる筆跡を隠さなくなった。むしろ強調しだした。その効果は今まで1m離れたところから鑑賞していた画面と同等の感じを得ようとすると2m以上離れて見れば筆跡はイメージに回収され気にならなくなる。リキテンスタインの印刷網点も同様に画面から離れれば離れるほど印刷本来の網点効果を感じることができる。
つまりはどういうことかというと、壁という平面に対峙してその奥に奥に向かっていた絵画の奥行きがルネサンスからバロックへの転換点から壁からどんどんこちらに向かってくるイリュージョンが印象派からアメリカ抽象表現主義に引き継がれた絵画のフォーマリズムの歴史展開であり、それをイラストレイトで分かりやすく示した流れがステラの制作展開であったのではないかということだ。

コガモの羽毛パターンからはじまって、すっかり脱線してしまった。


途中、つづく


2022年11月22日火曜日

221122-01 キセキレイなど/ 天白川, 岩崎川合流地点

 











天白川本郷桜並木

タシギ、クイナ目当てに来てみたが見つけられず。
上空をノスリ?、気流をつかんでどんどん上昇。






岩崎川横の側溝。ここの方が虫が捕まえやすいのだろう。番のような2羽。とハクセキレイも集まる。

















岩崎川にて♂

天白川本郷橋西にて♀。小石の上からの浅い水面に何度もダイブ。


ダム下のこの場所は食材豊富なのか?コガモ10数羽とカルガモ、ダイサギなどが食事中。
カルガモは枯れ際のイヌタデをしきりとついばんでいる。














09:41-10:56 / 11:05-11:44  本郷橋西




大堤池

いつものオカヨシガモ、コガモ、オオバン

春に比べ、頬が白っぽくはっきりしている。






















12:10-12:20




荒池

マガモとホシハジロ、そしていつものカイツブリファミリー、カワラヒワ。
オシドリ見つけられず。














12:30-45

11月22日/ sunrise 06:34/ sunset 16:44

2022年11月21日月曜日

2022年11月20日日曜日

221120 荒池 マガモ 朝の行列散歩

 




オシドリ
マガモ
カイツブリ
ホシハジロ  ♂2
キンクロハジロ  1
ミコアイサ  ♀







08:40-09:35

11月20日/ 日出: 06時32分/ 日の入: 16時45分


2022年11月16日水曜日

221116 生存確認

 

シュールな写真ですが生存確認です。左端に半分写り込んでいるイソヒヨドリ。11:07久しぶりのさえずりで慌てた一コマ

2022年11月13日日曜日

221113 荒池、大堤池

 


荒池

ところどころまだら状に色づく光景いとおかし




雨が降りそうな朝。光量が足りずボケボケ。


大堤池



冬羽(繁殖羽)に完全に移行していない羽毛の観察もまたいとおかし。
と、雨がポツポツ落ちてきました。


10:10-11:00

11月13日/ 日の出: 06時25分/ 日の入: 16時49分