名古屋ボストン美術館で修復後のクロード・モネのラ・ジャポネーズを見る。
この絵には二種類の画中画(絵の中の絵)がある。
ひとつはこの絵をモネに描かせるきっかけになった着物の刺繍。もうひとつは背景の団扇である。
クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)」1876年 ボストン美術館蔵 |
■所見、画中画の画面効果
モネ自身が語ったという、作品制作の動機である日本の着物の存在については見ればあきらかだが、それにしても着物を着ているカミーユのあまりの生気のなさはどうだろう、、、。
カミーユの眼差しは、この絵を見る者が、右に移動しても左に移動しても正面に立って見ても観客と視線が交わるのだが、その顔は図版の印刷で強調されているよりも背景の青緑灰色に溶け込んで平面的で背景に後退している。そのことがいっそう、この絵の中で生気溢れ描かれる着物の綿入れアップリケの武者絵を強調している。武者絵はそのポーズとあいまって、赤い地の着物の裾を踏みつけて力強く、画面平面から見るものの方に飛び出してくる。これは、この絵を見るものの視点がちょうど武者絵と同じくらいの高さであるのに対し、カミーユの顔は見るものの視線のはるか上にあることでより強調される。(大きな画面の絵はそれ自身が遠近法の影響を受ける。)力なく扇子を持って天(上)に突き上げられるカミーユの右手に対応する、武者の左手は力強く地(下)の方に踏ん張りをきかせている。
絵の中の絵である武者のアップリケがこの絵の中でもっとも立体的に描かれている。
カミーユの全身と赤い着物が表すS字形の上昇する構図が武者絵の動きで反復されるが、そのS字の動きは背景へ後退する赤い形と武者絵の前進する水色へと力の働く方向が拮抗する。
その二つのS字が交差するあたり、ちょうど武者が刀を抜こうとする右腕のひじ辺りで、背景の青緑灰色は武者の着物の色と同じ色になり遠景と近景が溶け込んでいる。あたかもカミーユの身体が着物によって透明になったようだ。背景の青緑灰色は補色である赤との対比によってカミーユの着物より後退して奥行きを表しているが、カミーユの臀部のあたりから流れ込む青緑灰色は武者の着物の色に彩度を上げながら手前に張り出してくる。赤との対比で後退していた青が画面中央から赤との対比で逆転し前進して見る者に近づいてくる。
もう一つの絵の中の絵、背景に貼られた団扇は絵画全体を平面化させる効果や多焦点による奥行き効果(ゴッホのタンギー爺さんのように <註1>)のためでなく、画面全体のS字構図にリズムをあたえるために用いられている。扇子はそこに描かれた絵柄が描写されているが、あくまで背景としてピントがぼかされている。着物の刺繍とははっきり異なる距離に存在するように描写される。
ゴッホの「タンギー爺さん」では絵の真ん中に座るモデルと背景に貼られた浮世絵が同じ強度とピントを合わせて描かれることで、絵の中の絵と、背景の前に座るモデルが同一平面の浅い奥行きの中に納まっているのと対照的である。
以前何かの図版で見た時は着物の赤全面に走る亀裂が無残であったような気がする。これは生乾きのバーミリオンの上にクリムソンレーキで薄塗りし、透明感のある赤で陰影を表す時の方法として古典的な手法であるが、印象が逃げないうちに画面に定着しようとする速筆での制作方法によっては不向きであったのであろうと推測される。絵画を構築する上での職人的手法は、印象が逃げないうちに画面に定着させようとする速筆に相容れない方法であったであろう。
この絵が「印象派」という名前の由来になった展覧会後に描かれたとされ、それ以前にサロンに出品され落選した大型の人物画「草上の昼食」(1863年)と異なるのは、光の反射表現である。この絵で震えるような筆致で表されるキラキラとした金色の部分であろう。「草上の昼食」における人物画が屋外での情景を描きながら、また、光の描写表現が強調されたものであっても、そのタッチは大きな平筆で力強く塗られ、ハイライトが明暗法で強調されてはいるが、それはあくまで暗部に対する明部としての対位法による光の描画表現であった。
この絵の中の金色の部分はモデルのカミーユがかぶっている鬘と着物の金糸で刺繍された部分である。細い筆で、オイルをあまり混ぜず、絵具を擦れさせながらなぜるように、反射する色(赤、緑、青)が集積される。特に、この絵のS字構図を大きく回転させる中心になる武者の着物に渦巻く金刺繍部分。古典的な布表現による赤い布部分とは対照的な描写技法である。
■謡曲「紅葉狩」~平惟茂の戸隠山での鬼女退治
しかし、入口に展示されたモネの絵のモチーフになったであろう花魁の着物の再現は、観客が記念撮影するようにと展覧会を盛り上げるための単なる観客向けディスプレイであるのだろうが、もう少し何とかならなかったものか。
絵を見ればわかるように赤い布はこんな光り輝くサテン地ではなく赤く染められた木綿地(それとも絹?)ではなかったか。武者絵は単に布に刺繍したものでなく立体感を強調した綿入れのボリュームあるアップリケであったはずだ。そして日本が誇る画像データ解析技術をもってモネの元絵からすればこんな貧弱で滑稽な武者絵にはならなかったのでは。。。元の絵がほんとに西欧に持っていかれてしまったような残念感。。
この展示着物ではモネの制作意欲は湧かなかったであろう。
近年の研究でこの着物の絵柄が何を表しているかがわかったらしいことがカタログに記されている。<註2> 謡曲「紅葉狩」~平惟茂の戸隠山での鬼女退治をデザインした刺繍。平惟茂の命を狙う美女に化けた鬼を、惟茂が夢のお告げで退治する。
はたしてモネはその着物の物語を知っていたか?
妖艶な表情で描かれたカミーユは謡曲「紅葉狩」中の美女に化けた鬼を思わせる。
武者絵の模様(ジャポネ、当時の西欧から見た野蛮?)は美女に化けた鬼(カミーユのいる19世紀末、産業革命進行中の西欧世界)を今まさに切りつけようとしているようにも見える。と見るのは深読みのしすぎか?モネが知っていなかったとしてもその物語は今、この絵を見る時、象徴的に見える。もう一度、画面全体を見渡してみよう。(洋服を着て浮世絵に囲まれるゴッホの「タンギー爺さん」との比較。)
扇子、団扇、着物、茣蓙、画面にあるモチーフは日本のものばかりである。金髪のカミーユの顔以外は日本趣味で統一されている。カミーユ自身は黒褐色の頭髪であったということだから、金髪の鬘をかぶらなければより日本趣味で統一された画面になったはずだ。それなのにモネはあえて金髪の鬘をかぶせて日本でない事を強調する。エキゾチックは取り込む側による感覚である。文化的優位性を保持していなければならない。
背景から分断され、異なる文化にマッピングされる。
カミーユはそこにいる世界から分断されジャポネにペーストされる。
カットアップされた周辺文明のジャポネ(日本)は古代文明に起源する大きな西欧文明の歴史にペーストされ吸収される。
現実空間の光の反射を物質的な絵具=色へ変換し定着しようと光を追いかけたモネの印象派絵画。モネが震えるような金色の光の表現に熱中していた頃、日本ではそんなことに熱中しなかった。その頃、日本では光の反射を色ではなく反射する物質を用い、それ自身、光る絵画空間を作り上げていた。画面に金箔を貼り、きりがねや金泥を用いたそれ自身、光りを反射する絵画。
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<註1>
ゴッホ 「タンギー爺さん」 1887年 ロダン美術館蔵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%88%BA%E3%81%95%E3%82%93
<註2>
横山昭「モネと日本趣味 その一側面--<ラ・ジャポネーズの衣装から見えるもの>--」
神戸大学美術史研究会「美術史論集」第12号、2012年
参考文献
「ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展 印象派を魅了した日本の美」カタログ 2014年
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"The Confused Thinking Behind the Kimono Protests at the Boston Museum of Fine Arts"
by Seph Rodney on July 17, 2015 /HYPERALLERGIC
http://hyperallergic.com/223047/the-confused-thinking-behind-the-kimono-protests-at-the-boston-museum-of-fine-arts/?utm_medium=email&utm_campaign=The+Confused+Thinking+Behind+the+Kimono+Protests+at+the+Boston+Museum+of+Fine+Arts&utm_content=The+Confused+Thinking+Behind+the+Kimono+Protests+at+the+Boston+Museum+of+Fine+Arts+CID_55cafd380c26b8c28fa16931c4d039ee&utm_source=HyperallergicNewsletter