2019年4月24日水曜日

商品研究190424 空気の缶詰





商品研究190424/ 空気の缶詰 ------------

モノに対する価値は時間に対する価値
と投げかけてみる。

モノに対する価値とは何でしょうか。
自分で作ると時間や手間がかかるもの、作る上での経験という時間を、他者が肩代わりしてくれたこと=時間に価値を認め、その対価を支払うというふうに考えることもできます。自分で作ればできるようなことを、あえてそうしないで他者が作ったものを消費する。産業革命以後の大量生産による分業化によってもたらされ自給自足の構造が変化した。その結果、人は自給自足の時より余剰の時間が生まれて、「他の事」に時間が使えるようになった。暇ができた。
また、産業革命は地球規模での人の大移動を加速させた。ここにない珍しいものが、移動手段の発達によって手に入るようになった。



商品とは「時間」と「空間」を売るものである。
と投げかけてみる。

ブラックホールの映像が公開された今日、「空間」は「時間」に収束されると言ってもよいでしょうか。少し乱暴な言い方ですが空間とは時間のことなのです。その観点に立てば「時間と空間を売る」とは「時間を売る」と言い換えてもよいかもしれません。
土産と書いて「みやげ」と呼ぶように、違う土地、空間に行ってその時、その土地の特産品としてそこでしか買えないものを持ち帰ります。しかし、土地の特産品とは何でしょう?全くそこでしか採集できないものもありますが、伝承した長い時間の中でどこでもあるものを加工したものもあります。そういったものは伝承した技術という「時間」に価値を見出していると言えます。つまりモノに時間が内包された同時表象がなされていて、そのことに価値を見出していると考えます。
40年来、商品企画に関わってきた経験から思い出せば20数年前すでに「もの消費からこと消費へ」と言われていたましたがインバウンド景気に浮足立つ今日の日本で、このことが再浮上しています。毎年あちこちの地方でトリエンナーレやビエンナーレと称して行われるアートイベントもまた「こと消費」のためのネタの一つになっています。これが「関係性のアート」というものでしょうか?



価値、金銭の対価は「時間」に対して支払われる。
と、投げかけてみる。

このことを計算したのは、かつて中国福建省の温州から長距離バスに乗って広東省の潮州へ行った時のことです。温州から潮州へは飛行機の便があるくらいの距離で、1時間くらいのフライトです。その値段は当時1万円ちょっとだった気がします。長距離バスは途中いくつかの都市で人や荷物を積み目的地には6-7時間くらいかかったようです。値段は2千円くらいだったように思います。長距離バスに揺られながら、所要時間は値段に反比例する交通手段をいくつかの都市間にあてはめて計算して係数を割り出そうと暇つぶししていました。
一方、インバウンド景気の現在の日本では、数年前に見られた爆買いという「もの消費」が落ち込み、「こと消費」へと変化していると言われています。これは極端に言ってみれば「暇つぶし」という時間の消費です。
空間の移動としての時間に対する対価と「こと消費」における時間の消費。限られた一生という時間の中で有意義に過ごしたいという欲望の時間の表れが同じ時間というものに対して正逆両方の矢印を並列させながら存在しています。




「時間」「時」の価値を整理してみる。
1)「こと」を行うために消費される時間の長さに対する対価
  現在の社会においては消費される時間の長さは短いほうが価値は高く、金銭価値は高い。
2)ある一つの「時」「時代」「日時」に価値を見出すものに対する対価
  (人それぞれによって価値が異なる)
  実用的な「もの」に対して自分がいたという存在証明的な自己完結型の価値と言ってもよい。時に他者とのコミュニケーションのための話のネタとしての価値。
3)「ひまつぶし」を補うものに対する対価
  「ひまつぶし」を上品な価値に置き換えるもの→学問、研究
  「ひまつぶし」を金銭対価に置き換えるもの→パチンコなどのギャンブル
4)「ひまつぶし」はこと消費であり時間の消費である



空気の缶詰

岐阜県関市の平成(へなり)地区で発売された「平成の空気」という缶詰の分析です。
平成(へなり)地区という特別な地域の場所(空間)の空気が入ってるとされ、採集日時は平成時代ということで、改元時期という特別な時間の空気であるとされています。上記の整理より2)の価値です。
この缶詰を買う人は、消費行為そのものをイベント(こと)として消費することに満足することでしょう。改元というイベントに参加しているという時代の一体感と満足感を購入することでしょう。
企画元は株式会社ヘソプロダクションという大阪の福島にある会社です。HPを見てみると製造工程そのものがイベントで「関係性のアート(リレーショナルアート)」のようです。

ホンモノの平成への想いを残すモノづくりプロジェクト
平成の空気缶(へいせい・へなりの空気缶)
https://www.heso-pro.com/project/heisei_air/


多分、この缶詰を買った人はこの缶詰を開封することなく記念にとって置くと想像されます。一般人にとっての記念とは未来の思い出候補です。未来で思い出されなかったものも、思い出されたものも、所有者が死んでしまえば終活時に見つけ出されて廃棄されるかもしれないし、ネットオークションで売られるかもしれません。こう見てくると美術品の骨董価値に通じるものを感じます。

美術品の缶詰と言えばジャスパー・ジョーンズのビール缶を型取りしブロンズで鋳造した「塗られたブロンズ」があります。これは内部が詰まった塊でこと消費というよりもの消費に近いものです。しかし美術品は現代のものであれ古美術です。作られたその時点より流通する段階ですでに時間が1秒、1分も経過するという意味で骨董的価値をまとっています。こう考えるとモノでありながら美術品を買うということはすべて時間を買うこと消費ということができます。
より直接的に缶詰を扱ったものに赤瀬川原平氏の「宇宙の罐詰」(1964年)があります。
カニ缶の外側ラベルを外して、内側に詰まっていたカニの身を出し空洞になった内側にラベルを貼り蓋を密閉した、内側と外側をひっくり返したトポロジカルな概念的事物です。
一般人も宇宙へ行くことが現実的になった現代、この罐詰を宇宙に持って行って開いたら。いや、宇宙まで行かなくても地球上も宇宙の一部なのですから今、開封してもよい。
開封したとたんこの世界はブラックホールに吸い込まれて宇宙が反転する!
なんてことは起こらないことをすでに知っています。
浦島太郎の玉手箱は起こらない。ファンタジーです。


「宇宙空間に持って行く空気の罐詰」の商品価値があるか?

こんなことを考えていると「宇宙空間に持って行く空気の罐詰」という商品アイデアは可能か?という問いが浮かびました。「宇宙の罐詰」を実用的な商品にすることは可能か?
「平成の空気」という缶詰を実用品としての可能性はないか?と考えてみたのです。
宇宙空間に持って行く缶詰は宇宙日本食サバ缶などいろいろ考えられています。


「平成の空気」缶を宇宙に持って行って開封すると、一瞬、懐かしい空気を感じるかもしれません。(あるいは、どこかの地上の空気の缶詰でもいいです。)
が、それは一瞬で拡散して生存のための必需品として考えるとあまりにもナンセンスです。生存のための非常用空気の缶詰としては商品価値は低いです。
実用品の価値の一つは「生存のための」なのです。
商品価値の一つに希少性があります。その意味で空気のない宇宙空間で空気の缶詰は商品価値が高いように思われます。しかしなぜナンセンスと思うのか。

実用品でもある作品について考えていた30年前を思い出します。











25年前にイギリスのバースで買ってきたローマンバース(ローマ時代の温泉)の水の瓶詰を見ながら平成の終わりにこんなことを考えているのもまた長大なひまつぶしです。




そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねといつか笑って話せるわ(中島みゆき)

参考web ---------

ホントに販売するやつ!!岐阜県関市の平成(へなり)地区の空気を採取した缶詰「平成の空気缶」が発売
観光・地域 / 商品 Japaaan編集部  @2019/04/22

https://mag.japaaan.com/archives/95353?fbclid=IwAR28qb9y98oPOSoa5ODADbU-v2RMPCVCCaN7O2s_baj7Cav92PhZyThs0sc


激しかった「前衛芸術」赤瀬川原平を再び
絵画、オブジェ、小説、路上観察まで変幻自在
仲宇佐 ゆり : フリーライター
2014/12/13 6:00
カニ缶に宇宙をとじこめる
https://toyokeizai.net/articles/-/55349?page=3


宇宙日本食サバ缶、開発の現場を取材!—高校生と熱血教師の12年 
2019年1月17日
http://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1901_1.html

宇宙飛行士の楽しみは食事!? JAXAの元宇宙食開発担当者が語る「宇宙食のひみつ」
http://www.nikuine-press.com/tellme/post_3458/

有人宇宙飛行と積荷にまつわる裏話 
2015.01.27 20:00
https://www.gizmodo.jp/2015/01/post_16398.html


「見ることの意味」ジャスパー・ジョーンズ
http://kawasenb.sakura.ne.jp/?page_id=1189


『関係性の美学』N・ブリオー/  Artwords(アートワード)
https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E9%96%A2%E4%BF%82%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%BE%8E%E5%AD%A6%E3%80%8FN%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC
...ひいては地域振興を旨とするコミュニティ・アートなどの理論的な後ろ盾としてしばしば援用されることになった。
リレーショナル・アート Relational Art /  Artwords(アートワード)
https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
...作品の内容や形式よりも「関係(relation)」を重んじる芸術作品を総称的に示す言葉として、1990年代後半より広く用いられるようになった。
...この場合どちらかと言えば作品の制作過程で生じる周囲との接触関係のほうに重点が置かれていると言えるだろう。
...リレーショナル・アートという言葉はブリオーによる当初の定義を越えて、何らかの仕方で社会性を主題に掲げた作品や、地域密着型のプロジェクトなどにも今日広く用いられている。
著者: 星野太


ローマン・バス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B9

The ROMAN BATHS Bath   Official website
https://www.romanbaths.co.uk/


2019/04/24


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小噺「平成人の金婚式」
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/05/blog-post_19.html


2019年4月19日金曜日

190419 戌の日




朝日が差し込み始める6時になってしまったので、もう寝なければと思ってソファーでうつらうつらしていると新紙幣で発表された肖像写真反転の津田梅子さんがあらわれて、

「何も問題ないわよ」

と言ったので、2時間もたたないうちに目が開いた。
と、その瞬間に、そうか!とすべてのことがクリアになった。

「だって、私が毎朝鏡で見ている顔は、この顔なのよ。
写真に撮られた像は、私じゃない人が私だと言ってる像なのよ。それに、あなたが今見てる世界だって網膜で上下反転しているし、それをまた脳内で反転させて認識してると思ってるでしょ。
肖像権云々というなら、本人が問題ないと言ってるから問題ないのよ。」

と梅子さんは続けた。

「だってそうでしょ。権利というもんはだいたい当事者でない人たちが騒ぎ立てたりするものなのよ。他者によって作られるものなのよ。」

「『日本を含む多くの民主主義国家では、憲法に「表現の自由」が規定されており、一般的には、肖像権より表現の自由が優先される場合が多い。』とwikiにも書いてあるわ。
だからむしろ私の写真を撮ったカメラマンさんと造幣局の間に発生する問題なのよ」

「菅さんも、<この像は津田梅子さん本人が毎日、鏡で見ていた津田梅子さんの像にするため、肖像写真を反転しました。>と説明すれば何も問題ないのよ。

私が見ている私と、あなたたちが見ている私は別なのよ。

だけど、こう考えてみて。
私が見ている鏡像と、あなたたちが見ている鏡像の反転した肖像写真を、脳内で合成すればホログラムのように立体的に見えてこない?
これはステレオ写真とは違う立体視だけど、私はこれを社会的ホログラムと呼んでいるの。」


そう言うと梅子さんはまぶしい朝日の中に溶けていきました。

おしまい










2019年4月9日火曜日

140401

2014年4月1日 0:24

From Apr.1st 1997 to Mar. 31st 2014,
I have to change my lifestyle of this 17 years which is synchronized with the period of 5% of consumption taxes.
It was just the day of the 34th year yesterday.
I intend to change the lifestyle of these 34 years at the same time.
I will return to just the untitled person.



私は消費税5%時代の生活習慣病を変えなければならない。
昨日はちょうど34年目の日でもあった。
私は同時に、この34年の生活習慣病をも変えようと思う。
何者でもない、ただの人にもどるのだ。

2019年4月1日月曜日

190401

写真に写っている自らの二歳ころの真似事は筆で書く気持ちよさが脳みそに滲み込んでいることの裏付けになって、筆を持つと何かのスイッチが入ったようになってしまうという錯覚があります。しかし生家が書道教室だったからといって書棚に普通に並んでいた九成宮や蘭亭序に子供が興味を示すわけではないのですが、この年になると、なぜその頃に興味を示さなかったのかと後悔したりもするのですが後の祭りです。

改元にあたり新元号が発表になり、その典拠や和漢字の意味が一般人向けに政府などから発表はあるわけですが、漢字はもともと大陸から伝来したものでありその原典にあたるのがより意味を考察できると思うのです。
万葉集にある梅花の宴(曲水の宴)にしろ大陸から伝来したことを考え調べてゆくと王羲之の蘭亭序に行きついたりするのです。




旧字の「和」の古字はどれも「口」が左にあり「禾」が右にあります。















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新元号が発表されました。

「令和」

漢字の言葉の意味を知るには音読みの「レイワ」でなく訓読みで読む方が分かりやすいです。政府による菅官房長官の発表によると「よき(令)やわらぐ(和)」ということらしいのですが、日本で普通に義務教育の範囲で勉強してきた人であれば、漢字は文字自体で意味を宿しているので次のように読むのは自然です。

和(争いをおさめる)を 令(いいつける)
和(争いをおさめる)を 令(命じる)
和(争いをおさめる)の 令(おきて)

典拠は万葉集ということが強調されます。
大伴旅人が大宰府の梅花の宴での、梅花の歌三十二首の序より
 初春の月にして、気淑(よ)く風らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす ...
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43167710R00C19A4EA2000/


国民に向かって、中国の四書五経によらない、万葉集=国書を強調するのも、政治的であると批判的な意見が多いです。しかし、そもそも元号の制定は政治なのですから当たり前なのです。


金田一先生の語ったところによれば
「令」はもともと神の言葉。転じて「よきことば」
と、旅人の序は「もともと中国の書に出典があり、漢文であるからどうしても元をたどれば中国に行きつくことは避けられない。」と国民全体がめでたい雰囲気の方向に向いているテレビ国民に水を差すことは避けようと気を使いながら歯切れが悪い印象を受けます。

ロバートキャンベル氏は
漢字の「令」には「向かわせる」という行動をともなった言葉であることを語っていましたが、すぐに撤回して好意的な印象を表明しています。

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律令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(令から転送)

律令の基本思想は、儒家と法家の思想である。儒家の徳治主義に対して、法家は法律を万能とする法治主義である。
古代中国には、国家や社会秩序を維持する規範として、礼、楽、刑(法)、兵(軍事)があった。
儒家は礼・楽を、法家は刑・兵を重んじた。刑の成文法として律が発達し、令はその補完的規範であった。次第に令の重要性が増して、律から独立し行政法的なものになった。
・・・あるいはまた、秦・漢においては、令=詔(『史記』秦始皇本紀)であり、“令”は皇帝の命令(詔)を指し、“律”は個々の詔(令)の文中に盛り込まれた規範的部分のみを指したとする説もある[8]。



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大宝律令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。
大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。


成立
大宝律令に至る律令編纂の起源は681年まで遡る。同年、天武天皇により律令制定を命ずる詔が発令され、天武没後の689年(持統3年6月)に飛鳥浄御原令が頒布・制定された。
ただし、この令は先駆的な律令法であり、律を伴っておらず、また日本の国情に適合しない部分も多くあった。

・・・大宝令11巻と大宝律6巻の律令選定に携わったのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂らである。


大宝律令の施行は、660年代の百済復興戦争での敗戦以降、積み重ねられてきた古代国家建設事業が一つの到達点に至ったことを表す古代史上の画期的な事件であった。
大宝律令において初めて日本の国号が定められたとする説もある[2]。・・・

7世紀後半以降、百済の滅亡など緊迫する東アジアの国際情勢の中で、倭国は中央集権化を進めることで、政権を安定させ、国家としての独立を保とうとした。・・・

・・・この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省(神祇官、太政官 - 中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省)の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立した。
役所で取り扱う文書には元号を使うこと、印鑑を押すこと、定められた形式に従って作成された文書以外は受理しないこと等々の、・・・