2017年10月29日日曜日

アイリーン・グレイと ル・コルビュジエ


ル・コルビュジエとアイリーン・グレイの運命的な巡り合わせを描いた映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」が10月14日より日本で公開。
グレイの傑作《E.1027》をめぐる謎。



Another work in '80 : wooden relief 1987 July




































2017年10月26日木曜日

cooking for bachelor; tomato sau, # October


10月15日の降雨より寒い日になった季節は、16日に発生した巨大台風21号の到来によっていったん逆回りした。




http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/himawari-3g/typhoon.html.ja



https://www.facebook.com/DigitalTyphoon/videos/1656525507711408/?hc_ref=ARSM37ccubDWVk4OOV0L3BjntHhdbaN4E5U6tU7SqA7jxFCt7jpb73fMrq05Wx95QyY&pnref=story


23日霜降の愛知は台風一過の晴天になったが午後過ぎまで強風が続き、紀の川や大和川支流での氾濫映像が放送される。大阪の実家の母は22日には携帯に3回緊急避難情報が届いたらしい。

台風は確実に季節を切り換え、身体にもスイッチが入いる。
身体の季節の切り換えスイッチは不思議なものだ。同じ気温に対しても春から夏に向かう季節と秋から冬に向かう季節のそれとでは体感温度が異なるのである。身体は「冷やす」から「暖める」へと切り換わる。
その変化は睡眠と食にあらわれる。睡眠時間は長くなり、食欲が増す。
食材はぶら下がりもの(=身体を冷やす効果がある)から根もの(=身体を温める効果がある)へと移行するのが理に適うということだが、独身者の食事にとっては一様にそうもいかぬ。



10年前くらいだったか東莞でリンちゃんと行った湖南料理店だったか四川料理店だったか忘れてしまったが、急にその時の八角の効いた麻婆豆腐のことを思い出し(いや公明でバッファローとよく夕食を共にした寶明城大酒店の前の湖南料理店だったか。。)食べたくなって家にある食材で何とかしようと試みる。
買い置きであるのは輸入缶のトマトソース一缶、冷蔵庫に豆乳豆腐一丁、冷凍庫には鶏むね肉と大阪から持ち帰った山椒の実。それと生姜一カケ、鷹の爪少々。
八角はない。


cooking of bachelor は、ニンニクと鷹の爪で作ったトマトソースを3回に分ける。


一日目、麻婆豆腐。
鶏むね肉を細かく切り、炒めたところにトマトソースを加える。豆腐と山椒の実をたくさん入れフライパンに蓋、ぐつぐつ煮ること10分。
生姜を入れるのを忘れてしまったが、舌が痺れるほどに山椒が効いてまあまあの美味。


二日目はブロッコリーのパスタ。
いつものパスタ。青梗菜少々。


三日目は冷やごはんがあったので青梗菜のリゾット。
ブロッコリーの残りとえのき茸も入れる。

イタリア料理と中華料理は似たところがある。ニンニクと鷹の爪を使用したものや、油と水の乳化が決め手になるところとか。




24日、洞で作業。深夜3時半になり雨も止まないことから洞で泊。この秋、初めて灯油ストーブに火を入れ仮眠。
8時半まで5時間寝るも、会議椅子3脚並べただけの簡易寝床では寝ていないのと同じ。バランスをとりながら固い椅子の上では緊張状態にあり続けている身体が眠っていないということか。帰宅後、夜まで再度5時間睡眠をとる。




冬がやってきた。




another work ; Restoration work





パルプ95%,レーヨン5%の障子紙による裏打ち





































fin. 171019

2017年10月18日水曜日

I sincerely hope that fire damage will not expand any more.



18.May 2005:  2469 Hardies Lane, Santa Rosa, CA 95403

Fire reports in Northern California are covered every day in Japan as well. I remember Santa Rosa that I visited 15 years ago. I'm shocked by the news of forest fires. I hope that you and your family and friends are safe.

http://www.mercurynews.com/2017/10/12/peanuts-creator-charles-schulzs-widow-flees-santa-rosa-fire-home-destroyed/


この木々に囲まれた建物は1972年にシュルツ氏が引っ越してきたスタジオで、現在もスタッフの人たちが働くCharles M. Schulz Creative Associates 社です。 Charles M. Schulz Museumや Snoopy's Home Ice、ギフトショップ、資料館などの近くにあり、氏の作業部屋も残されていますが、一般公開はしていません。
僕は12年前にライセンシーツアーに参加した時に訪問したのですが日本からの一行を温かく迎えていただきました。
この写真の日のように雨が降り注いで山火事が鎮火することを。


追記:














修復の仕事でダーマトグラフとコンテパステルを試していたドローイングを描いたまさに翌朝、シュルツ氏の生家が山火事で焼失したというニュースをネットで見つけショックを受けました。あらためて前日の落書きのノートを見ると蛍光ピンクの斑とあいまって、そのドローイングが山火事のように見えてきました。
私は制作と予兆について考え、この遠く離れた地の山火事が特別な出来事として記憶されたのです。



2017年10月11日水曜日

版と版画(1)版材、レイヤー絵画と版画 / Material of print, Layers paintings and prints

■Material of print 版と版画

版画には紙に転写印刷するための版が必要ですが、その版自体に注目したフランク・ステラにとって、ケネス・テイラー社は自身の作品の複製を制作する工房という以上に、作品の構造をアップグレードするための共同開発社として存在しているように見えます。
70年代中頃に衝撃的に発表された(つまりオーディエンスから見て突然衝撃的に登場したように見える)ステラの腐蝕されたアルミニウムやマグネシウムによるレリーフは、版画の版に注目した結果という、氏にとっては制作環境でのごく身近な素材、手法であったと推測されます。

Kenneth Tyler printmaking collection --------------

Frank Stella's New York Studio with newly painted screen printed proofs on 'Tycore' paper panels from the 'Exotic Birds' series, New York, 1979 photo by UNKNOWN PHOTOGRAPHER



https://tylerblogs.com/

https://tylerblogs.com/tag/frank-stella/

https://nga.gov.au/internationalprints/tyler/artists/default.cfm?mnuid=2&artistirn=15599&list=true&creirn=15599&archive=1#itm-17

https://twitter.com/TylerPrints_NGA

GILL SCHMID DESIGN   ART SERVICES  --------------
http://gillschmiddesign.com/artservices.html


■Layers paintings and prints レイヤー絵画と版画
ラウラ・オーエンス (Laura Owens) の絵画も版画手法からのインスパイアが感じられます。

Laura Owens at Crown Point Press, 2011 (5 minutes)
https://youtu.be/99w0W3k47iA

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版と版画(2) ヴェロニカの残骸布 3D scanner / Rapid prototyping
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2018/05/3d-scanner-rapid-prototyping.html

2017年10月7日土曜日

" Why do you think the people who are said to be Japanese are Japanese ? "

「あなたはなぜ、日本人と言われている人たちを日本人と思うのでしょうか?」Kazuo Ishiguro

この言葉はカズオ・イシグロ氏の下記リンクの対談で発せられた問いの日本語訳です。
この対談が行われた頃、日本でのヘイトスピーチやネットで吹き荒れる暴露合戦、陰謀論渦巻く社会情勢の中で、僕自身を日々もやもやと捕らえていた問いでもあって、その後、なんでこんなに単純なことに気づかなかったんだろうと、気づいたことでもあります。

「人はどんなことは記憶し、どういうことは忘れるのか。そして社会や国家はどんなことを記憶にとどめ、いかなることは忘れようとするのか」Kazuo Ishiguro

「単一民族による単一国家」とか「縄文と弥生」とか「記紀の矛盾」とか「畿内説と九州説」とか。。。学校教育による知識の刷り込みとその積み重ねによって、一瞬かすめる矛盾はすぐに忘却され、というよりも、上から教えられることに疑問すら覚えずに、そういう出来事は自分とは関係ない「歴史」の出来事であると思い込まされていた。いや、思い込まされていたという強制的なものではなく、空気のようなものだったといってよい。しかし、そんな時にも疑問を持った人たちがいたかもしれない。疑問、矛盾を忘れない人と、そのことが耳を通り過ぎる人、その差はたぶん自身のいる場所が疑問を持たなくてよい環境だったからかもしれません。しかし今、なぜそんなことに囚われるのか。

「私」が「国家」「歴史」とは切り離された別のanother storyと意識し、別の物語を希求するのはなぜか。

人生も後半に差し掛かる頃になってようやく物事が見えはじめてきます。よくよく考えてみれば、なぜこんな当たり前のようなことに気づかなかったのかとすっきりしたりもしますが、同時に、益々、自身の立ち位置が曖昧になって、そんな「私」が何を語ることができるかという無力感に襲われ沈黙してしまいます。そして同時に、そんなことを考えていると、若かった頃に父に対して持った若者の反発のことを思い出します。
九州の陸軍士官学校で終戦を迎えた父に、World WARⅡ終戦時の気持ちを尋ねたことです。その時父が語った「だまされた」という言葉に、その言葉だけが記憶に残ってるのですが(その記憶も歪められてるのかもしれませんが)そんなことがあるわけないだろうと、戦後教育によって刷り込まれたその時の「私」が反発を持った事です。この時、父に対して持った「狡さ」は、「私」ということを棚に上げた万能感の子供の心情であり、世の中には公正な「神」のごとく絶対的存在があると信じていた時の心情であり、今、私が感じている「だまされた」という思いと同じ「狡さ」かもしれません。

歴史は、誰かによって編纂され、その編纂を多くの集団的無意識によって、疑問を忘却して共有される。
イシグロ氏がいう、埋められたものを掘り起こすことがよいのかよくないのかという問いは、北欧の団体によって投げかけられた二つの賞によって、近日中に発射されるかもしれないミサイルよりも強力で深度の高いミサイルとして、今、まさに突きつけられている問いでもあります。


日経ビジネスONLINE /2015年6月26日 石黒千賀子 --------
今の日本なら「忘れられた巨人」と向き合える
10年ぶりの新作に込めたカズオ・イシグロの思い
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/062500009/?P=1