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2014年4月10日木曜日
2014年4月5日土曜日
メディアアート ~メディア(媒介)による鑑賞とその誤読~ 切手からの模写「秋冬山水図(冬景)」雪舟筆
4~5歳くらいの頃、鉄腕アトムが始まると紙と鉛筆を持ってテレビの前に座り込みひたすらアトムのイメージを追いかけた。動く対象を線で追いかける熱中。クロッキーと言う言葉を知るのは10年後。
その後、小学生の頃に初めて美術品というものを自発的に写したことが記憶にある。初めての模写。現物は現存しないが、記憶は強い。模写の対象は、雪舟筆「秋冬山水図(冬景)」
模写の元になったのは画集や大きな図版ではなく、発行されたばかりの小さな記念切手。
日本郵便記念切手 第1次国宝シリーズ 第5集 室町時代 1969年2月10日発行
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/philately/tokyo_nm_painting.html
かっこいいと感じて描きたくなった以外に、なぜ模写をしたかの記憶は無い。
1969年2月10日発行だから、たぶん11才頃。学校から帰ってきて、午後に。小さな切手からB5サイズくらいの紙に拡大して描いた。何がかっこよかったか、再度分析。
1)カラー
画面中央のエイッヤッとひかれた垂直の線はかっこいい。
同時に画面を覆う地のグレーのカラー。そのウオームグレーがカラー印刷により、その色にワクワクした。モノクログレーを色として感じた体験。
当時の媒体によるイメージ体験は天然色カラーへの移行期であった。
白黒テレビからカラーテレビへ。白黒写真からカラー写真へ。
見慣れていた白黒イメージがカラーになることでワクワクしたことはなぜか。
身の回りの日常風景は天然色カラーで広がっているのに、そのことにはカラーとして意識せず、媒体メディアになった時、初めて意識するのはなぜか。
2)小さいイメージ
小さい切手からB5くらいの厚紙に拡大して写した。
部分の比率を測って升目拡大したかは記憶に無いが、この頃の私は、小さい図から拡大して模型を作ることに熱中していたからそうしたかも知れぬ。
中公新書だったかの蒸気機関車に掲載されていた100/1くらいの側面図イラストから9mmゲージ用のペーパーモデルを作ることに熱中していた頃。当時はデジタルコピー機などなかったから部分部分の寸法を物差しで測り、想像した正面図から車軸の幅を9mmにあわせて比率を割り出し採寸する。算数で習った比例を実践で役立てることを楽しんでいたかも知れぬ。
小さい印刷メディアによる美術品は日常に在った。美術館に行かなくても、道端に落ちている東海道五十三次の浮世絵を印刷したマッチ箱。お茶漬け海苔におまけでついているカードなどより、道端で踏みつけられ雨にぬれてアスファルトにへばりついている東海道五十三次を見つけた時のほうが所有欲が高まったのはなぜか。
*ゼロックスコピー機の登場は画期的なものであった。それまでの、升目を切って線をなぞるような拡大縮小作業はわずらわしくもあり、その行為の途中に感覚が入り込むことから、自身の感覚のイメージが信用できない部分が残るのだ。そんな感覚部分を排除し、機械的に一気に2倍、4倍、10倍に拡大したイメージが現前することはそれ自体感動する出来事だ。
3)書法
描いたのは水彩絵具であるが、水墨画、の書法、運筆をを真似るというものではない。
描かれていない紙の部分の色を再現するため、赤を少し混ぜた黒と白の絵具で油絵を描くように不透明の絵具で画面の隅々まで塗りこめた。画面を覆う褐色がかったグレーが何もかかれていない地色との認識は無かったかもしれない。
4)絵画空間
中央の線と、左側のとがった白い山々。中央の線は手前と奥行きを区切る岩の輪郭という認識は無く、遠景の山の天まで続く、とがった奇妙な輪郭と認識していた。だから画面右の筆の腹で刷いたような墨蹟が岩のテクスチャーを表すタッチであることの認識がなく、その部分は奇妙な木を表すタッチであるかと解釈していた。
岩の輪郭の線が中央の上部から始まっていなく、途中から始まっていることによりこの誤読に繋がった。遠景の空と手前の岩の面が画面上部で繋がっている。つまり私の目は絵画空間をではなく、墨蹟の線を追いかけて何が描かれているかの対象物に向いていたのであろう。
その線が、遠景と近景を分ける岩山の輪郭に見えだしたのは、十数年後、同じように画面中心に遠景と近景を分断するように手前の岩を描いたセザンヌの石切り場の油絵図版を見てからである。晩年作であるというこの絵も近景と遠景の色班は細かいタッチで溶け込み、面として見る時に遠景近景の区切りは曖昧である。雪舟の大胆な太い筆のと異なり、振るえるような細かい細い線がその輪郭を作り、その線は遠景近景の分断をたよりげながら表している。
頭の中ではっきり見えているこのセザンヌの図版を、今ネットで検索しても見つからない。あるいは私の脳の中で作り出された記憶によるイメージかもしれない。
5)大きさ
切手になった雪舟筆の原画の大きさは47.8cm×30.2cmというA3を少し大きくしたサイズである。
模写している時はもっと大きなサイズであると感じていた。
6)線
秋冬図山水図の中央の線が記憶にあったかは定かでないが、20年後、茶碗に描いた山中作画の図では山水画の中に入って、空に線を引く自画像を描いた。
誤読と捏造による記憶のリライティング。それによっても時間は進行し、多くの人々が巻き込まれる事態へと繋がることもあるのは世の常。
*秋冬山水図に対する分析は以下に詳しい。
雪舟《秋冬山水図(冬景)》東洋的視座とオリジナリティ──「島尾 新」 影山幸一2009年02月15日号
http://artscape.jp/study/art-achive/1199351_1982.html
その後、小学生の頃に初めて美術品というものを自発的に写したことが記憶にある。初めての模写。現物は現存しないが、記憶は強い。模写の対象は、雪舟筆「秋冬山水図(冬景)」
模写の元になったのは画集や大きな図版ではなく、発行されたばかりの小さな記念切手。
日本郵便記念切手 第1次国宝シリーズ 第5集 室町時代 1969年2月10日発行
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/philately/tokyo_nm_painting.html
かっこいいと感じて描きたくなった以外に、なぜ模写をしたかの記憶は無い。
1969年2月10日発行だから、たぶん11才頃。学校から帰ってきて、午後に。小さな切手からB5サイズくらいの紙に拡大して描いた。何がかっこよかったか、再度分析。
1)カラー
画面中央のエイッヤッとひかれた垂直の線はかっこいい。
同時に画面を覆う地のグレーのカラー。そのウオームグレーがカラー印刷により、その色にワクワクした。モノクログレーを色として感じた体験。
当時の媒体によるイメージ体験は天然色カラーへの移行期であった。
白黒テレビからカラーテレビへ。白黒写真からカラー写真へ。
見慣れていた白黒イメージがカラーになることでワクワクしたことはなぜか。
身の回りの日常風景は天然色カラーで広がっているのに、そのことにはカラーとして意識せず、媒体メディアになった時、初めて意識するのはなぜか。
2)小さいイメージ
小さい切手からB5くらいの厚紙に拡大して写した。
部分の比率を測って升目拡大したかは記憶に無いが、この頃の私は、小さい図から拡大して模型を作ることに熱中していたからそうしたかも知れぬ。
中公新書だったかの蒸気機関車に掲載されていた100/1くらいの側面図イラストから9mmゲージ用のペーパーモデルを作ることに熱中していた頃。当時はデジタルコピー機などなかったから部分部分の寸法を物差しで測り、想像した正面図から車軸の幅を9mmにあわせて比率を割り出し採寸する。算数で習った比例を実践で役立てることを楽しんでいたかも知れぬ。
小さい印刷メディアによる美術品は日常に在った。美術館に行かなくても、道端に落ちている東海道五十三次の浮世絵を印刷したマッチ箱。お茶漬け海苔におまけでついているカードなどより、道端で踏みつけられ雨にぬれてアスファルトにへばりついている東海道五十三次を見つけた時のほうが所有欲が高まったのはなぜか。
*ゼロックスコピー機の登場は画期的なものであった。それまでの、升目を切って線をなぞるような拡大縮小作業はわずらわしくもあり、その行為の途中に感覚が入り込むことから、自身の感覚のイメージが信用できない部分が残るのだ。そんな感覚部分を排除し、機械的に一気に2倍、4倍、10倍に拡大したイメージが現前することはそれ自体感動する出来事だ。
3)書法
描いたのは水彩絵具であるが、水墨画、の書法、運筆をを真似るというものではない。
描かれていない紙の部分の色を再現するため、赤を少し混ぜた黒と白の絵具で油絵を描くように不透明の絵具で画面の隅々まで塗りこめた。画面を覆う褐色がかったグレーが何もかかれていない地色との認識は無かったかもしれない。
4)絵画空間
中央の線と、左側のとがった白い山々。中央の線は手前と奥行きを区切る岩の輪郭という認識は無く、遠景の山の天まで続く、とがった奇妙な輪郭と認識していた。だから画面右の筆の腹で刷いたような墨蹟が岩のテクスチャーを表すタッチであることの認識がなく、その部分は奇妙な木を表すタッチであるかと解釈していた。
岩の輪郭の線が中央の上部から始まっていなく、途中から始まっていることによりこの誤読に繋がった。遠景の空と手前の岩の面が画面上部で繋がっている。つまり私の目は絵画空間をではなく、墨蹟の線を追いかけて何が描かれているかの対象物に向いていたのであろう。
その線が、遠景と近景を分ける岩山の輪郭に見えだしたのは、十数年後、同じように画面中心に遠景と近景を分断するように手前の岩を描いたセザンヌの石切り場の油絵図版を見てからである。晩年作であるというこの絵も近景と遠景の色班は細かいタッチで溶け込み、面として見る時に遠景近景の区切りは曖昧である。雪舟の大胆な太い筆のと異なり、振るえるような細かい細い線がその輪郭を作り、その線は遠景近景の分断をたよりげながら表している。
頭の中ではっきり見えているこのセザンヌの図版を、今ネットで検索しても見つからない。あるいは私の脳の中で作り出された記憶によるイメージかもしれない。
5)大きさ
切手になった雪舟筆の原画の大きさは47.8cm×30.2cmというA3を少し大きくしたサイズである。
模写している時はもっと大きなサイズであると感じていた。
6)線
秋冬図山水図の中央の線が記憶にあったかは定かでないが、20年後、茶碗に描いた山中作画の図では山水画の中に入って、空に線を引く自画像を描いた。
![]() |
| 「公成仙人山中作画の図」 貫入土に呉須と塩化コバルト(酸化焼成) 1989年頃 |
誤読と捏造による記憶のリライティング。それによっても時間は進行し、多くの人々が巻き込まれる事態へと繋がることもあるのは世の常。
*秋冬山水図に対する分析は以下に詳しい。
雪舟《秋冬山水図(冬景)》東洋的視座とオリジナリティ──「島尾 新」 影山幸一2009年02月15日号
http://artscape.jp/study/art-achive/1199351_1982.html
2014年3月24日月曜日
140324 /北へ帰るの 高気圧にのって
冠羽が特徴的なシルエットのヒレンジャク9羽。一気に暖かくなり渡りの途中。
羽根先、尾羽には黄色や赤の模様が美しい冬鳥だが、夕刻逆光200mm望遠ではこれが限度。
拡大するとわずかに羽先に赤い色が見える。
2014年3月24日 17:49
場所: 名古屋市守山区鳥神町
2014年3月21日金曜日
140321「真夜中のラーメンチャーハン劇場」
xiao Yang の「真夜中のラーメンチャーハン劇場」に飛び入り参加していたら、泉州麺のことを思い出した。もうまる2年も中国に行っていない。
海鮮を煮込んだ長崎ちゃんぽんのような泉州麺が恋しい。
大勢で食べる時は洗面器くらいの大きな器にでてきたものを取り分けて食べるが、途中から麺がスープを吸ってどろどろになって見た目はなんともいえない。
また、泉州市中心より北へ、陶磁器の産地、徳化へ行く手前にある永春には泉州麺に似てどろっとしているが海鮮でなく、里芋の入った芋麺がある。
こちらも素朴な味で美味。
![]() |
| 福建省泉州市の泉州麺 |
福建省泉州市の泉州麺
正式には海鮮燜麺 福清名物の海鮮や豚肉で取った白濁スープで煮込んだ小麦粉製の麺。長崎ちゃんぽんのルーツと考えられている。
福建語での「混ぜる(ちゃんくん)」が発祥で、
沖縄に伝わって「チャンプル」になり、
長崎に伝わって「チャンポン」になったという説がある。
from wiki
![]() |
| 福建省泉州市永春の芋面 |
fb-橋本 公成
2014年3月21日
fbで流れてきた懐かしのジャケット
日本で劇場公開されたのは84-85年ころだったか?待望のロードショーで名駅地下の小さな劇場に足を運んだ。少人数しか入れない劇場の中、観客は私を含め3人。一人は始まったとたん劇場を出てゆき、もう一人は途中のグロテスクな映像の頃にでていった。最終的に一人で劇場鑑賞。
エンタテインメント、ナチズム、エデュケーション、オーディエンスとアクター、大衆と個人、などについて考えるきっかけがあった。YMOの散会コンサートにはここからの引用が見られる。VHS版所有。
2014年3月18日火曜日
media installation
「マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。彼はそれを選んだのだ。
彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ。」マルセルデュシャン
後日、自身が編集に携わった雑誌「THE BLINDMAN」においてデュシャンは、アルフレッド・スティーグリッツが撮った『泉』の写真も含めて以下の様に言及している。原題はFontaine(仏;英語ではFountain)
----------------
以上、wikipediaより。続けて同ページより長文引用。
なかでも、普通の男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt[6])」という署名をし『泉』というタイトルを付けた作品(1917年制作[7])は、物議をかもした。
この作品は、デュシャン自身が展示委員をしていたニューヨーク・アンデパンダン展[8]に匿名で出品されたものの、委員会の議論の末、展示されることはなかった。
後年、デュシャンは「展示が拒否されたのではなく、作品は展覧会の間じゅう仕切り壁の背後に置かれていて、自分も作品がどこにあるか知らなかった」とインタビューに応えている。デュシャンは自分が出品者であることを伏せたまま、展示委員の立場から抗議の評論文を新聞に発表し、委員を辞任した。
最終的にはこの作品は紛失した(展示に反対した委員が意図的に破棄したのではないかと考えられている)。
なお、『泉』という日本語題名については、誤訳であり、『噴水』と訳すべきであったという説もある。
それは、レディ・メイドという性格上、泉という自然のものではなく人工のものとして扱うべきであるというのが理由である。
また、デュシャンのエロティシズムに対する態度から決して性的なモノを拒否していたとは思われないというのがもうひとつの理由である。
もしこの作品を邦題『噴水』として受容鑑賞するならば、その噴水のノズルは何か? それはこのオブジェの前に在ってしかるべき男性性器であり、すなわち作品名からしてダブルミーニングではないか、というのが誤訳説である。
『泉』という日本語のタイトルがつけられていることから、この作品にはアングルの代表作『泉』となんらかの関係があると考え、この二つを結びつけて論じる人たちがいるが、デュシャンの『泉』の原題はFontaine(英語ではFountain)で、アングルの『泉』の原題La Sourceとは異なる。
この2つは類義語ではあるが、日本人以外でこの二つの作品の関係を論じる人はいないようである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3
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media installation
メディア・インスタレーションとは、コンピュータ等のニューメディアを積極的に使用したインスタレーション。特にそのマルチメディア的展開をはかったもの、を意味しています。
映像や音響・音楽が積極的に空間に設置(install)されたインスタレーションで、それらが、コンピュータによって、観客からの働き掛けによって様々に変化するものです。
media
マスメディア
マスコミ
medium の複数形
メディア
媒体
installation
就任
任命式
任官式
据え付け
取り付け
架設
設備
装置
軍事施設
2014年2月14日金曜日
140214 snowing day
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| 08:51 |
It's snowing again in Nagoya, and the view outside my house has gone from powdery white to very wet and slushy.
And large snowflakes mixed with the sleet fell again.
A big white spot was drawn on the slushy ground by snow.
12:32-12:34
08:51
名古屋で再び雪が降っています、そして、家の外は粉状の白から非常に湿ってぬかるみのものになってきました。
12:32
そして又、霙交じりの牡丹雪が降ってきました。
ぬかるみの地面には、雪によって大きな白い斑点が描かれました。
私は屋上から地面に向かってカメラを構え、駐車場に描かれたタイヤ痕のフィギュアを何枚も切り取りました。
その画像は和紙に滲んだ、ピントがぼけた水墨画のように見えます。
しかし目を凝らしてよく見ると、ぬかるんだ水の層の上にある白い斑点の下に、アスファルトの層が焦点を結んでいます。タイヤによって消されつつある白線が異なる時間層を組み合わせています。時々、落ちる大きな雪の塊が白くボケた斑を定着しています。
いくつものレイヤーといくつもの時間層が映りこんでいます。
私は絵画と平面について再び考え始めました。
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13:06
2014年2月12日水曜日
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