2020年5月28日木曜日

SNSとソーシャル・ディスタンシング

SNSは直接脳に働きかけるのでヒトーヒト間の距離や遠近を狂わせる。

ソーシャル・ディスタンシングはフィジカルな他者との距離を同調圧で強制するが、かえってSNSを補強しヒトーヒト間の距離を狂わせている。

2020年5月8日金曜日

2020/05/08 禍の中で何日君再来で目を覚まし、多焦点に脳内言葉がしゃべり始め収集着かない事になるいつもの暮らし


4時前に起きてからヤフーニュースで月の画像を見つける。
最近は満月に何でも○○ムーンと名を付けることが一体どいうことかと考えながら、その画像説明に大阪市東住吉区のマンション3階から生駒山に上る月という文を見つけ、80年代、実家に帰省時、弟と「マンション登り」をしたことを思い出した。
あちこちのマンションの非常階段を上って最上階からの眺望を楽しむ。チンチン電車の軌道が高速道路の高架と地下鉄に替わり、古くからの住宅街にニョキニョキ、中層マンションが増えだした頃のこと。

大阪の夜空に浮かぶ「フラワームーン」5/7(木) 19:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200507-00010007-wordleaf-soci

「ステイホーム」「不要不急の外出は控えるよう」「県をまたいだ外出は行わないよう」という言葉が飛び交う中、実家の近くからの月の画像を見て、弟との40年近く前の記憶と同時にコロナ禍で一人籠っている母のことを思い

「家族の分断」とつぶやいてみる。

この今の状況が家族という最小の社会単位まで分断している。
しかし、と、もう一度「家族の分断」とつぶやいてみる。はたして、この分断は今に始まったことだろうか、と。

外出していなかった間に、(と言っても元々自宅で自営業の私は外出をほとんどしないのであるが)近所の山、雑木林が亡くなってるのを見て唖然とする。この近所は日本の平均的な流れと逆行して人口が増加していて、どんどん山を崩して宅地造成しているし、数年前にできた巨大ショッピングセンターがあるのに、数キロ離れていないところでは田んぼを壊して、新たに巨大ショッピングセンターが建設中である。少子化、都市の空洞化、経済の低迷の中で、建築土木という単価の高いものを売ることだけがあいかわらず当たり前のように進む状況は普通に見ていれば何をやってるのか?!とも思ってしまうだろう。それでも資源のない小さな島国が生きてゆくには、この国ではスクラップアンドビルドが持続可能な経済政策しかないと別の脳が話す。
庶民にとって単価の高いお買い物は不動産、家であるから、税金も物件/単価を考えればそうなのだろう。かくいう自分も企業で企画開発の責任の任をまかされていた時は、売上を上げるため単価の高い商品を企画することが手っ取り早いと考えたものだ。しかし、少子化なのである。核家族なのである。この流れは高度成長期にさかのぼる。地縁血縁から会社縁へと言われていた時代、すでに家族の分断が始まっていたのである。それ以前の二、三世代が同居していた大きな家を解体し、小さな家をいくつも作った方がいいこととは?

だけど、高齢化社会になって、老老介護の時代になって、認知症が社会問題になってる時に、いいことは何世代も同居する大きな家なのである。社会の最低インフラも危機を迎えるように思える現在、政府もさすがにヤバいと感じだしたか、病院や施設で老年期を迎えるより自宅で過ごすように言い出した。。なんてことだ!
大きな家だと個人の自由より、家族という社会的ルールが増えるじゃないか!と、若者は叫ぶ?
しかし、自由って何?

年老いた家族が心配になって県をまたいで移動することは「不要不急」ではない?
「私の人生は不要不急か」と養老孟子先生がつぶやく。
おばさんが、やさしげに日本語英語言葉で「ステイホーム」と言っても、英語の「stay home」は命令形なのだ。多言語をまたぎ翻訳による意味の変容はウイルスがRNAを複製する時に起こるエラーに似てどんどん免疫が効かない新型として再生産される。



満月の夜は眠くなる。前日8時半に寝てしまった僕は、つけっ放しのラジオ深夜便から流れる鄧麗君の「何日君再来」で4時前に目を覚ます。

「昼は老鄧のいうことを聞き、夜は小鄧を聴く」

(老鄧は鄧小平のことであり、小鄧とは鄧麗君:テレサ・テンのことである。名前の前に小をつけるのは○○ちゃんというような愛称。)
この曲は中国民主化の象徴的な曲として共産党政府から何度も禁止されたという物語を持つ。禁止されていた本土の民はこの歌詞を単純に男女の愛の歌と聞いていただろうか?

時の流れに身をまかせ
あなたの色に染められ
一度の人生それさえ 捨てることもかまわない
(作詞:荒木とよひさ)

そうか、今日は鄧麗君の命日なのだ。




6時のラジオはアメリカの高級百貨店ニーマン・マーカスの経営破綻を伝える。
新型コロナ禍のロックダウンで企業の倒産ニュースが流れる中の出来事。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200508/k10012421401000.html

百貨店という業態は、インターネット時代に即していないため、どこも経営が苦しく日本でもM&Aにより乗り越えようとしたり、新たなサービスに向けて動いている。ニーマン・マーカスもコロナ禍以前から経営が行き詰っていたから、コロナ禍の外出規制が響いた、引き金になったということらしい。つまり、コロナ禍関連倒産と言ってもよく、その意味では新型コロナで亡くなった人が、高齢者や持病を抱えている人が亡くなっていることと似ている。高齢者=寿命、老衰と考えるとコロナが引き金になっただろうが、それはインフルエンザでも同じことなのだ。感染により老衰による身体機能の低下が加速されたのだ。企業に置き換えれば、100年続いた寿命が尽きたといってもいい。持病を抱えている、基礎疾患がある人、企業に置き換えれば時代の変化に対応できず何らかの組織的問題があったと考えることもできる。


そして、、、
異例の速さでレムデシビルが承認された。というニュース
これは新型コロナの治療薬なの?
エボラウイルスに効果があまりなかったと言われ、副作用など問題ありとされるこの薬が、、政府は重篤患者に限定され、患者の費用負担はなしとされる。が、この在庫を抱えるのは日本なのであるのだから、その費用は税金で賄われる?タミフルや子宮頸がんワクチン、そしてオスプレイのことが頭に浮かぶ。
そして今年の春の受勲。ビルゲイツ氏が天皇様より勲章を授けられる。




三日ぶりにマンションの鉄の扉を開けて外に出る。と、同時に口をついて出た言葉

「パパ、これが世界の終わり?」

家族を救おうと7年間、家に閉じ込めたドミニコ。解放された息子が走り出し、そして見た光景は?タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の一場面。父に並んで座った子が父に目を向けてつぶやく。






2020年3月21日土曜日

AI による自動検閲 から考える「コミュニティ規定」


Facebookであなたの投稿の表示が再開されました
2020年3月18日水曜日 12:05
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 あなたの投稿を再度審査した結果、Facebookのコミュニティ規定に従っていることが確認されました。
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この投稿は、スパムに関するFacebookコミュニティ規定に違反しています
終了済み
アクティビティ

あなたの投稿について
2020年3月18日水曜日 11:12
この投稿は他の人には表示されません。

「シュレディンガーの猫」は箱を空けるまで生きているか、死んでいるかわからない。未観測の段階で「猫」は生きてもいるし、死んでもいる。武漢由来ウイルスの感染者の数字は、検査数が少ない地域、検査自体行われていない地域を考えると「シュレディンガーの猫」のようである。たとえ陰性の検査結果であってもウイルスがヒト個体内に「無い」というわけではなく、設定された陰性基準の数値検出ができないレベルであり、ウイルスがあれば生き続けるという。WHOのパンデミック声明ーヒト個体のアクチャルな移動の制限(グローバリズムの強制終了、派生する大戦前の世界大恐慌へのリアルな予感)のなか、ウイルスと情報はグローバルに越境し続ける。

決定への反対が表明されました
2020年3月18日水曜日 12:05
ご協力ありがとうございました。この情報は今後の決定の改善に役立てさせていただきます。

Facebookであなたの投稿の表示が再開されました
2020年3月18日水曜日 12:05
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 あなたの投稿を再度審査した結果、Facebookのコミュニティ規定に従っていることが確認されました。

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あなたの投稿について
2020年3月18日水曜日 11:12
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Mapping the Coronavirus Outbreak Across the World
What you need to know about the new respiratory virus spreading in China and around the world.

https://www.bloomberg.com/graphics/2020-wuhan-novel-coronavirus-outbreak/

決定への反対が表明されました
2020年3月19日木曜日 0:35
ご協力ありがとうございました。この情報は今後の決定の改善に役立てさせていただきます。

Facebookであなたの投稿の表示が再開されました
2020年3月19日木曜日 0:35
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 あなたの投稿を再度審査した結果、Facebookのコミュニティ規定に従っていることが確認されました。
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HUFFINGTONPOST.JP
2020年03月18日 17時50分 JST | 更新 2020年03月18日 17時52分 JST
Facebook、新型コロナ関連などの投稿を次々とブロック。原因は「システムの不具合」とTwitterで説明
この数日の出来事は、Facebookによると手違いだったと他のネット情報でも報じられていたことを後に知るのだけれど、しかし、それでもこの通知が来たときには、私はまじめにSNSの投稿について、<コミュニティ違反>について改めて考えていた。スパム扱いになったコミュニティ違反はどの部分だろうかと。
引用したブルームバーグの情報だろうか?この記事の当時、ブルームバーグはPCR検査があまりにも少ないという理由で世界全体の統計表から日本の統計を表示しないという決定をしていた。しかし、他の人のページでは問題なく表示されているから、それは違うだろう。すると、引用情報そのものでなく、引用と一緒に記した私のテキストであるのだろうか?その内容、PCR検査が意味をなさないことを揶揄してるように解釈されたからだろうか?いやいや、もっとも引っ掛かるところは私のテキスト中で記した<武漢由来ウイルス>という言葉ではないか。と、そう考えたのである。
<武漢由来ウイルス>(新型コロナウイルス)は疫学上、SEARS-CoV-2 というのがウイルスの正式名称である。それをあえて武漢由来とするのはコミュニティーを誤った方向に目を向けさすことになるのか?という問題である。「スペイン風邪」のようにスペインから始まった流行を錯覚させる名称のように。「スペイン風邪」は第一次世界大戦中に流行したという。当時中立国であったスペインのみ風邪の流行を公表していたため「スペイン風邪」という名で呼ばれるが、戦時下で情報統制のあったスペイン以外の國から流行が始まりとされている。よってスペインが流行の発祥地ではない。
それでは今回の<武漢由来ウイルス>(武漢風邪)はどうか?
私たちはすべての一次情報にふれることができない。故に自身の判断で複数のメディアを参照しつつ今起こっていることを判断し自身の決定で行動する。



2020年3月12日木曜日

感染 (in progress)

だれかのことばより
「記憶は保持されているというのは幻想である。
記憶は、あることを思い出した時点で、たった今、作り直されている。
鮮やかな記憶とは、繰り返し繰り返し呼び出し強化している自己愛的回路の変形といえる。」

有名なシュレディンガー博士の論、「シュレディンガーの猫」は箱を空けるまで生きているか、死んでいるかわからない。未観測の段階で「猫」は生きてもいるし、死んでもいる。私は、記憶もまたシュレディンガー博士の実験装置のようなものだと思っている。

「人は記憶の中で生きながらえる。」という時、その人Aは記憶する人Bによって生かされている。記憶する人Bがいるから、その人Aは生き続けているのである。

現代の人間社会では訃報というシステムがある。
訃報を受け取って初めて、その人物が少し前までは生きており、しかし少し前には亡くなったことを知るのである。訃報によってはじめて生か死かはっきりする。
訃報を受け取っていない状態では「シュレディンガーの猫」である。
そしてこの訃報というシステムが発動されるのはいつも突然であるのだが、突然と思うのは、何年も交流がなく、あるいは遠い場所に離れて住んでいて年賀状くらいしか互いの交流がないゆえである。生活を共にする当事者でないからである。
例えば自分の父親についてはどうだろう。私は普段の仕事や諸事に追われている時、父のことを絶えず考えているわけではない。その時、意識に上らない父は生きているか死んでいるかそれさえも問われない。しかし、ひとたび意識すると、その時点で即はっきりするのである。父の肉体はすでに死んでいると。それは、死に立ち会った事実とその経験からである。

しかし私は、遠いむかし遊んだ友人Yのことはすっかり忘れている。名前を聞いても昔の写真を見てもそれが誰だかわからない。私の記憶にも昇らないこの友人Yは記憶に上っていない状態の時、生きてもいるが、死んでもいる。しかし現実では友人Yは生きているか、死んでいるかはっきりしている。そして、もし友人Yが一方的に私のことをことあるごとに思い出していればYの中で私は生き続けている。

現代のようにインターネットができ、SNSというものが盛んに利用されるようになる前、生前の人の別れも一生の別れであった。もしあなたが、その別れた人のことを思い出さない時、その人はシュレディンガーの猫である。スマホやSNSというものがない時代にはアクチャルに探そうと行動しなければ、別離した人は生きているか死んでいるかもわからないのである。



武漢由来ウイルスの感染者の数字は、検査数が少ない地域、検査自体行われていない地域を考えると「シュレディンガーの猫」のようである。しかし厄介なのは、たとえ陰性の検査結果であってもウイルスがヒト個体内に「無い」というわけではなく、設定された陰性基準の数値検出ができないレベルであり、ウイルスがあれば生き続けるということである。
しかし、そもそも武田先生が指摘するように(1) 世界史上で記される歴史的な大流行がおこった疫病、感染病でさえ、感染者数は把握できていない。感染者数を把握するなど不可能なのだ。




昭和38年

幼稚園を休んだSくんの家にともだちとお見舞いと称して遊びに行った。
木戸越しに頬っぺたをタオルでつったSくんが出てきて、

「おたふくにかかったから遊べない」といった。

その後、少ししてぼくはぐったりした。おたふく風邪がうつったのだ。
往診に来た医者がおたふくかぜと診断すると祖母の勧めで母は布団を敷き、ぼくと弟を並んで寝かせた。弟におたふく風邪をうつすために。

弟はめでたくおたふく風邪に感染した。

その後、気になった僕はこの時の感染がおたふく風邪だったか、ハシカだったか確かめるために母に電話して聞いてみた。母の記憶もあいまいで、しかし母は僕と異なる記憶を、その頃の様子を詳細に話してくれた。
とにかく僕が映像的に記憶してるのは、S君の家の木戸越しの情景、大きな仏壇のある部屋で弟と並んで寝かされたこと、往診に来た医者のことであり。
そして、もう一つの病床の記憶は二階に一人寝かされていた情景である。その時の記憶は二階の窓からすぐ近くに見えたセンダイの松の木に色鮮やかな黄色く平べったい蛇のようなものがいて、気持ち悪さと同時にその情景が鮮明に思い出されることだ。



昭和40年




クルーズ船で感染が広まり、病院への隔離のニュースがにぎやかに報道されだしてすぐ、小学校2年の頃の羽曳野病院のことが脳内に映像された。

その場所がサナトリウムと知ったのは成人してずいぶん経った頃だ。サナトリウムという言葉すら中島みゆきの歌を聞くまでは知らなかったのだから。実際そこはサナトリウムと明記されていたわけでなく結核療養所となったいた。宮崎駿監督のアニメにはサナトリウムが頻繁に登場する。それを見て初めてあの時の赤い屋根の棟がいくつも並んだ官舎のような建物がその施設と初めて理解したのだった。
その地は聖徳太子の弟、来目皇子の墓と伝わる方墳があり、中の太子と言われる野中寺から近かったりと太子ゆかりのある地で、その病院の西には悲田院という名のついた施設が広がっていて四天王寺学園大学につながっていた。悲田院とは聖徳太子が四天王寺に設置した四箇院の一つであるとされている。

四箇院とはwikiによれば
伝承によれば、聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置したという。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つである。敬田院は寺院そのものであり、
施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設である。

四天王寺は四箇院が示すように、現代で言えば総合医療福祉センターのような福祉施設である。
その四天王寺が令和2年5月2日、創建以来初めてすべての門の出入り口を閉鎖する。ウイルス感染拡大防止の対策として。




天平の疫病大流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B9%B3%E3%81%AE%E7%96%AB%E7%97%85%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C

天平の疫病大流行は、735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。ある推計によれば、当時の日本の総人口の25–35パーセントにあたる、100万–150万人が感染により死亡したとされている。天然痘は735年に九州で発生したのち全国に広がり、首都である平城京でも大量の感染者を出した。737年6月には疫病の蔓延によって朝廷の政務が停止される事態となり、国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死した。天然痘の流行は738年1月までにほぼ終息したが、日本の政治と経済、および宗教に及ぼした影響は大きかった。
背景
日本の中央政府は、8世紀初頭までに中国にならった疫病のモニタリング制度を導入しており、国内で疫病が発生した際には朝廷への報告が常に行われるよう公式令で定めていた。
この制度の存在により、735–737年に発生した疫病の際にも詳細な記録が残されることとなった。それらの記録は『続日本紀』他の史料に残されており、流行した疫病が天然痘であったことを伝えている。

余波
東大寺大仏殿。盧舎那仏像(奈良の大仏)は天平の疫病大流行の後、聖武天皇の命によって建立された。政権を担っていた藤原四兄弟が相次いで病死した後、彼らの政敵であった橘諸兄が代わって国政を執り仕切るようになった。天然痘の終息から数年後には、農業生産性を高めるため、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」が施行されたが、これは疫病によるダメージからの回復を目指す社会復興策としての一面が強かった。
当時、災害や疫病などの異変は為政者の資質によって引き起こされると見なす風潮があり、天然痘の流行に個人的な責任を感じた聖武天皇は仏教への帰依を深め、東大寺および盧舎那仏像(奈良の大仏)の建造を命じたほか、日本各地に国分寺を建立させた。
盧舎那仏像を鋳造する費用だけでも、国の財政を破綻させかねないほど巨額であったと言われている。




<つづく>

------**
(1)  2020/5/15虎ノ門ニュース (14:09あたりから中部大学武田邦彦教授の感染者数についての説明)表示は放送後2週間なので、すでに非表示になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jxWrq8FvAlo&t=7273s








2020年1月2日木曜日

200102 初詣でやまと絵の神様を祀るという金岡神社にゆく

 



62歳になりました。
還暦を過ぎ、最近知ったことに、やまと絵の祖とされる巨勢金岡が祀られているという金岡神社があります。その金岡神社の場所が自分にとってもなじみ深い関係があったというお話です。

自身の中学校の通学路で使用していた山坂神社から田辺中学校に向かうまっすぐな道、実はこの道が難波大道であると最近言われています。
この道は自分が中学校に通うようになってからよく通る道なのですが、山坂神社の鳥居前を過ぎて田辺中学に向かう一直線の道はごくわずかに高低差があり下っていて消失点までかすんでいますがよく見えるのです。今では(50年前もですが)その行き止まりは長居公園の木々になるのですが、約1,135年前の金岡神社創建の885年頃を透視してみるとちょうどこの難波大道の行きつくところ竹ノ内街道にぶち当たり、その角が金岡神社なのです。当時の長居公園の場所はどのような状態であったのかは調べていませんが、今まで思い当たらなかったことに現在の大和川の堤防の存在があります。大和川で分断される難波大道?そうです、天井川だった大和川の付け替えは和気清麻呂当時からありますが、現在の状態に付け替え工事が行われたのは1704年からです。大和川の堤防

中一当時の自身の透視の消失点の先にこの金岡神社があったという驚きなのです。それがどうしたというあなたにとってのお話でありまして大変失礼しました。ここまで読んでいただきありがとうございました。


*この道は自分が中学校に通うようになってからよく通る道なのですが実は中学校近くの長居競技場近くに先祖の墓もあり













2019年12月13日金曜日

山越生誕図 -191212 山越阿弥陀図(来迎図)に生誕図をみる





今日の起きながら見た夢、発見、あるいはメタモルフォーゼ

鎌倉時代に成立した画題「山越阿弥陀図(山越来迎図)」は大和葛城の二上山のあいだから阿弥陀如来が来迎するという構図である。
この構図は山の稜線を「此岸と彼岸」を隔てるものとする思想からとされている。(*1)
その思想的背景を知らなければ、二つの峰が連なる山は、しばしば女性の乳房に見立てられたりする。しかし、今日起きながら見た夢で、この二つの峰、盛り上がりを尻と見立てれば二つの峰の間(股)から出現する生誕図(出産図)になる。ということを発見した。あるいは意図的な誤読による裏返しによって新たな画題を創作する。


191206 notebook

山越阿弥陀図(来迎図)は二上山の東にある當麻寺から見た図であるとされる。二上山より向こうは黄泉の国、彼岸、西国浄土であり、春分、秋分の日に二上山の谷間に陽が沈む。陽が沈む二上山の向こう側はあの世、こちら側はこの世として古代大和の人々は二上山を極楽浄土の入口と考えていた?夕日の中から阿弥陀如来がお迎えに来る?
そして、山を越えさらに西へ西へと向かうれば、地下鉄の駅名に残る「四天王寺前夕陽ヶ丘」中国から伝来した西国浄土と、太陽信仰が合体した信仰を今に伝えている。
一方で二上山の山を越えた西側は河内の國太子町から古市古墳群~百舌鳥古墳群へと続く広大な王家の墓所地であるのだが、難波の宮もその黄泉の国に位置していたことになる。
乱暴な言い方をすれば、河内難波の國を捨てて大和に国移しをした(遷都)のち、難波の國は明治維新後の京都のような扱いだったのか?

191212 notebook
「山越阿弥陀図」というこの画題に興味を惹かれるのは少年期、二上山を身近に見ていたからだ。もっとも見ていたのは日の沈む山の東側からでなく西側だったのだけれど。
小学1年の途中から5年生の途中まで古市古墳群に近い羽曳が丘(大和団地が造成した新興住宅地)という市内へのベットタウンに住んでいたので毎日二上山を西側から見て育った。ため池のある谷に向かって造成された地の中腹より上の方にあった家から見る二上山は谷越の山であった。
電車を飾るバナーなど小学校の図画課題では、いつも庭から見た二上山の写生を描いて提出していた。
僕はここから田辺の小学校まで越境通学していたのだけれど通勤ラッシュで満員通過するバスに楽に乗れるよう急な坂道を登って二駅歩いた羽曳野病院前駅から乗ることが多かった。冬は坂を上っているときに振り替えると二上山越しに白い太陽が輝いていた。何かの学校行事の時だったか始業時間より早くに学校に行かなければいけなかった折、まだ日が昇ってない早朝に母と古市駅まで歩いたような記憶がある。山越の日の出を見たのはこの時だけだったような気がする。二上山の西側から見れば二上山は朝日が昇る山であり、當麻二上山信仰とは逆の意味を持つ。
そして、二上山信仰から見れば黄泉の国の住人だ。


向こう側とこちら側

さておき、観察者はどこに立って世界を見ているか。二上山を東側から西に向かってみる稜線と西側から東に向かってみる稜線。この時、山の稜線は対象ではなく厚みを持たない境界であり観念である。境界というものはそういうものだから当たり前のようであるが、私たちはその向こうに何かを見るのである。
さすれば絵画のように物理的な厚みが限りなく無に近いイマージュのようなものと考えることもできる。


話は脱線して「杜」という装置である。神社を囲い本殿の向こう側の深みである。
本殿から参拝者に向かって風が吹き、深い奥行きを感じる神社の杜。陽のある昼間ではなく日が暮れてから「杜」の効果はより発揮されると感じるのは、夏祭りや初詣の時である。夜の闇の中、さらに深い闇という奥行きを持った杜。どこまでも深みを感じるその杜を、しかし裏に回れば物理的な奥行きは途絶え、裏側に出くわし興ざめするが、しかし正面から参拝する時の感覚は「杜」という機能を成立させている。この「杜」という装置もまた山越の稜線と同じように観念の境界である。物理的には限りがあるのだが、向こう側を想観するといった機能を助けている。





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「山越しの阿弥陀像の画因」折口信夫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46386_26151.html?fbclid=IwAR3j1RHmfC-1tRTsNpI4j4bBBwPjFmfnICOKiwn4iC9pQiObMYzCLqSil5I

*1
山越阿弥陀図
http://maf.jp/yamgoshiamidazu/
<山の稜線から阿弥陀如来が上半身をあらわす> という特殊な図柄は、古来の山岳信仰に加えて山の稜線を「此岸と彼岸」を隔てるものとする思想からとされます。
古代学者・民俗学者・宗教学者・歌人として独自な学風を構築した折口信夫が、冷泉為恭の「山越阿弥陀来迎図」から着想を得て、奈良當麻寺に伝わる中将姫の蓮糸曼陀羅伝説と大津皇子(天武天皇の第三皇子)の史実をモチーフとして小説「死者の書」を発表しました。....

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折口信夫『死者の書』についてのメモ、まとめ
2017年9月9日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2017/09/blog-post_9.html