2014年6月7日土曜日

History of SIGIRIYA Rock

ダンブッラよりの遠望。向かって右がシーギリア・ロック。左の山はシーギリヤ王朝以前から僧の修行場所だった。
山全体が5世紀カーシャパ王が建立したピドゥランガラ石窟寺院 Pidurangala Cave Temple。


ジャングルの中に突如姿を現す、天から落ちてきたような隕石のごとく巨大な岩山。
岩山の大きさは南北約400m 、高さ約180m 。
シーギリヤ・ロックは古代から仏教僧たちの修験場であったという。
この岩山のインパクトは富士山と同じく、周りに山々が連なる場所でない平坦なジャングルに、いきなり姿を現すことだ。
そしてその頂上に5世紀後半、この地を統治したカーシャパ王によって、頂上に王宮が造られた。
わずか11年間の王宮。
実父ダートゥセーナ王を殺し、強引に王の座についた若き王子カーシャパは、腹違いの弟モッガーラーナの復讐をおそれ、シーギリヤ・ロックの頂上に狂気ともいえる王宮をわずか7年間で築いたという。










カーシャパ王の伝説 -----------

カーシャパの父ダートゥセーナ王 King Dhatusena はタミル人からシンハラ人に王権を取り戻した偉大な王として459~477年にアヌラーダプラを統治。広大な貯水池を建造した。
カーシャパ Kasyapa はダートゥセーナ王の長男。腹違いの弟、モッガラーナ Moggallana の母親が王族の血筋であったのに対しカーシャパの母は平民の血筋の女性だったという。
そのため、カーシャパは王位継承権を奪われるのをおそれ、実父を監禁し王位を剥奪する。弟モッガラーナはインドに亡命する。
隠し財産をすべて出すよう父に要求したカーシャパは、「建設した貯水池カラー・ウェワ Kala Wewa こそが唯一の財産」と言う父の返答に怒り、家臣に命じて父親を殺させてしまう。
その後、後悔、苦しみ、復讐の恐れからか神がかりになったカーシャパは切り立った岩山に宮殿を建造し、7年後、玉座をその頂上に置いた。
そして11年後、インドから戦いを挑んできたモッガラーナに破れ、495年、カーシャパは自ら命を絶つ。

モッガラーナはシーギリヤの王宮を仏教僧に寄進し、首都をアヌラーダプラに戻した。

埋没していたシーギリヤ・ロックの宮殿が発見されるのはカーシャパ王が死んで約1400年後、イギリス植民地時代の19世紀後半。



中腹の投石機。カーシャパ王の時代から、斜面に1000年以上保った状態。


整備された手すりや石段を登って約40分で頂上へ。
1.6ヘクタールに及ぶ宮殿あとが広がる。

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天から落ちてきたような巨大な岩、王位継承の争い、狂った王、天空の城。。。。

現地に立ち、この伝説を想うと、あまりにも宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」に酷似している。
ネットで検索してみるとマチュピチュなどその舞台となった場所がいくつか挙げられているが、シーギリヤほどイメージとストーリーが似ているところはないと思うのだが、どこにもその記述は見あたらない。

どこかで見た風景。この風景を見て、ダ・ヴィンチの受胎告知に見られる直線的な人工構造物と遠景の風景を思い出す。その絵が透視図法と空気遠近法で描かれながら、どこか奇妙に感じていたのは視線の位置である。標高の高くない平坦な土地にある建物から遠景をこのように見渡せるだろうかという疑問が奇妙さの原因であるが、ここシーギリヤロックの頂上のようなところからの視線であれば納得がいく自然な視界である。つまりダ・ヴィンチが描いた受胎告知のロケーションは高地あるいは遠く海まで見渡せる高台にある建物を近景としている、と発見する。
シーギリヤロック頂上南東よりの視界。手前はカーシャパの父ダートゥセーナ王が築いた貯水池 Sigiriya Wewa 。
遠くダンブッラの岩山あたりのスコールを見る。
頂上から南の視界。ジャングルと流れる雲。カーシャパが見たであろう風景と変わらない光景。
頂上から西南の視界。 water garden を望む。



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SIGIRIYA LADY ~ Paintings of the Apsara celestial nymph
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/sigiriya-lady-paintings-of-apsara.html

鏡の回廊 ~ Mirror Wall of SIGILIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/mirror-wall-of-sigiliya-rock.html