2014年6月6日金曜日

SIGIRIYA LADY ~ Paintings of the Apsara celestial nymph

オレンジ色の直線的な壁はやはり5世紀に作られた鏡の回廊 Mirror Wall 。
シーギリヤ・レディの壁画群はその上の黒い覆いで囲われている部分にある。風雨による侵食から壁画を守るため後代、造られたもの。鉄製の螺旋階段が二つ見えるが、当時はどのようにこの部分まで昇ったのか。

シーギリヤ・レディはスリランカの中心にあるシーギリヤ・ロックに描かれた5世紀のフレスコ画の通称。
標高約 200m のシーギリヤ・ロックの中腹の 100mあたりに幅140mにわたって壁画帯をなす。
壁画帯は岩山の西面にあり北東コーナーまで約140m 、高さ40mの範囲に広がる。
イギリス統治下の1875年、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が発見したこの壁画は現在、保護のためシートで覆われているため下からは見ることができない。
この絵を見るためには約1時間弱かけて狭く急勾配の石段で岩山を登らなければならない。
フレスコ画のある岩面まではふもとから約20分。




岩の中腹から、1938年にイギリスが造ったという古い鉄製らせん階段で壁画のあるオーバーハングした壁面を目指す。
人一人がやっと昇れる幅、金網で囲っただけでところどころ腐って穴が開いている。
急勾配の階段は、このまま、このたよりげない構造物ごと外れて中空からまっさか様に落下するのではないかと、足がすくむ。

螺旋階段を昇りきるとそこがpainting band 。
鮮やかな色彩で女性を描いた壁画はそこにある。
かつて500人の女性が描かれていたというが、現存するのは18人。
発見されるまで風雨にさらされていたために侵食されたり、仏教施設時に修行の妨げになるとけづられたり、1967年のバンダル人の攻撃ではがされてしまったりということらしいが、それにしても鮮やかな色彩を保って現存しているのはフレスコ技法による保存性の良さからくるものか。











ところどころ輪郭線は二重になった部分が見受けられる。後世の加筆のあとか。
当初描かれた線は朱赤褐色系で、解剖学的にも忠実な複雑に入り組んだ肉体の輪郭が見られるのに対し、後世に加筆された輪郭線はより暗い茶褐色で強く、単純化され概念化された輪郭線で描かれている。

「地球の歩き方」によれば、岩肌に、もみがらやカーボナイト(有機繊維)を混ぜたターマイトン土(粘土の一種)で塗り固められた下塗り後、石灰と砂を混ぜた粘土で中塗りし、最後に前の層より厚めに、蜜蝋の混じった石灰でなめらかに上塗りする。とある。
上塗りされた面に、野菜や花、葉、木の汁などを材料にした、赤、黄、緑の顔料で美女たちの姿が描かれている。とある。


アンコウスティーク?

上記引用は、かなり専門知識を持った人による執筆のようであるが、海外の研究書からの引用か?上塗りに「蜜蝋の混じった石灰」とあるのはアンコスティークのことか。
ポンペイ壁画のように、フレスコ技法で描かれた後、さらに蜜蝋を塗って磨きあげるという技法と同じものか?その場合、上塗り漆喰には蜜蝋は混入されず、上塗り描画後にさらに蜜蝋を塗り熱で溶かすというものである。実際の壁面を見るとそれほどの艶は認められない。
蜜蝋は本当に混ざっているのか?

壁画のある painting band のすぐ下には同じく5世紀に作られた鏡の回廊 Mirror Wall がある。
ふもと西側から岩山を見上げれば、自然岩山の一部にひときわ目立つ人工的な直線による壁が見える。この壁は漆喰の上に卵の白身、蜜蝋、石灰を混ぜたものが塗られ磨きあげられたものという。
その技法との関係によっているのか。蜜蝋混入の古代フレスコ技法の一種か。


フレスコ

ルネサンス期に盛んに描かれ 「新しい」「新鮮な」を意味するイタリア語の "fresco"を語源とするフレスコは、煉瓦や石を組んだ壁などの支持体(壁)に漆喰を塗り、その漆喰が生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く。顔料は漆喰が乾く課程で石灰と一体になる。
漆喰(石灰)の化学変化 <石灰(炭酸カルシウム)→焼成→生石灰→加水→消石灰(水酸化カルシウム)→気化→炭酸カルシウム> を利用した描画法であり顔料は接着剤としての樹脂など媒材を用いないため発色がよく、顔料は壁と一体化するため高い耐久性を持つ。
水に溶けない炭酸カルシウムの性質が発見されたのはいつ頃からか。
ラスコーの壁画なども洞窟内の炭酸カルシウムが壁画の保存効果を高めたと言わている。
シーギリヤレディの壁画の保存状態の良さもまた炭酸カルシウムの効果が大きいであろう。


石下地

壁面の剥離した部分を見ると塗られた漆喰層はかなり厚いのがわかる。約 5cm はありそうだ。

「石の下地はコンクリート下地などより安定性があるとされる。石は吸水性、保水性ともにほとんど無いから、乾燥は塗られたスタッコ自体の乾燥と吸水だけに左右される。
それゆえ、フレスコ画描写において自由にコントロールできる壁を作るには、かなり厚めのスタッコにしなければならない。なぜなら塗ったスタッコの乾燥は表面からの水分の蒸発よりも、下地に吸水されることによる乾燥のほうが大きいからである。石下地は厚めのスタッコを作っても、十分にそれを支持できる強固な下地である。」
~丹羽洋介著「フレスコ画の制作」美術出版社1979年発行p.31より~


石下地のフレスコは強固で耐久性に富む。
絵画としての作用空間としてみれば、均質な平面でない、起伏の在る岩壁であることから、見る視点によって複雑な空間を生む。
スリランカの寺院は自然岩山や洞窟を利用した石窟寺院が多く現存し、いずれにも岩窟壁画が見られる。ただ、シーギリヤの壁画は寺院にある仏教世界を描いたものでなく、肉感的な女性群像である。天国に住む妖精アップサラか、上流階級と侍女を表したものかなど諸説あり。
いずれにせよ女性群像は腰から上の部分しか描かれておらず、腰から下は雲のようなイメージで空間に浮いている。宇治平等院鳳凰堂壁面の雲中供養菩薩像のようなイメージを想わせる。(平等院の創建は永承7年 1052年、藤原頼通が平安初期から貴族の別荘だったところ宇治殿を寺院に改めたのが始まりとされている。時系列からシーギリヤの壁画が何らかの影響関係があるかもしれないと夢想するがそれはまた別の話)
<追記>http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2017/08/blog-post.html





複数の雲に乗った天女(妖精アップサラ)がシーギリヤ・ロックの中腹を取り巻くようなイリュージョン。発見された当時、ふもとからこの壁画群が見ることができたという状況を想像してみる。





岩壁と壁画。
ミラーウオールに反射させた壁画もあったという。

客体としての平面に対峙して見るという絵画体験に慣れ親しんだ近代以降。
映像的な空間、装置としての絵画、と見るとさらに興味深い課題が浮かび上がる。


-----
洞窟壁画では薄暗い空間が身を包み、映像的な絵画が視点からの距離を忘れさせ、見る主体という存在は曖昧になる。胎内回帰。
洞窟と壁画。につづく
そして、描写法における法隆寺金堂壁画との関係。

--------------
*ターマイトン土
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/termite-clay.html

*エンカウスティーク(アンコスティック、アンコスティーク)
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/blog-post_10.html

History of SIGIRIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/history-of-sigiriya-rock.html

鏡の回廊 ~ Mirror Wall of SIGILIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/mirror-wall-of-sigiliya-rock.html
-------------------