2014年12月27日土曜日

不気味な聖夜の夜会

69年の植民地下で、かつてソビエト連邦を解体したゴルバチョフに「もっともうまくいっていた社会主義体制」と言わしめたそれが破綻している事をもはや隠すべくも無く、「架空の歴史ノート」を生きさせられていることに醒めているものはアナキストを決め込む。

いたるところでおかしなことばかり。

「勝手にwe are the world やられてもこまるよな。ありのままに~なんて歌わせない!それは国営放送で盛り上がってもらわなくちゃ」と海の向こうから声が聞こえる。

これは手抜きでなく、痛烈なメッセージ。
「最後のニュース」とエンディングの選曲、チャールズ・チャップリン。
ハッピーエンドでもYMOでもなく「スマイル」を感情を抑制し、淡々と、その姿勢。

つけっぱなしのテレビに違和感をおぼえた2014年末、
不気味な聖夜の夜会。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141226-00000024-nkgendai-ent

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引用元>
新収録たった2曲…小田和正「クリスマスの約束」に不満の声噴出
日刊ゲンダイ 12月26日(金)17時43分配信

新収録たった2曲…小田和正「クリスマスの約束」に不満の声噴出
小田和正はファンを裏切ってしまった?/(C)日刊ゲンダイ
 25日深夜に放送された毎年恒例の小田和正(67)ライブ特番「クリスマスの約束」(TBS系)の内容に、ファンから不満の声が噴出している。


 2時間の同番組中、新収録曲はオープニングの井上陽水「最後のニュース」とエンディングのチャールズ・チャップリン「スマイル」の2曲のみ。それ以外は過去の放送の名場面を集めた「総集編」に等しい構成だったからだ。

「クリスマスの約束」は、小田和正をメーンアーティストに毎年豪華ゲストが集結。一夜限りのコラボレーションを繰り広げる内容で、2001年から続く人気番組である。毎年楽しみにしていたファンも多く、事前にはJUJUやスキマスイッチ、細野晴臣(67)など11組のゲストが出演すると発表されていた。さらには、ゲストの一人である松たか子(37)がテレビで初めて「Let It Go~ありのままで~」を披露するのではと注目が集まっていた。

 それだけに期待を裏切られたファンの怒りは大きかったようで、放送終了直後からネットには〈約束がちがう〉〈ほとんどダイジェスト〉〈酷かったね、ホント〉〈TBSまじで詐欺だろ! 総集編ならそう書いておけ!!〉という声が殺到した。

 なんらかのトラブルが原因で、本来放送するはずの映像がお蔵入りになったのではとか、小田和正がツアーで忙しくゲストとコラボする時間が足りなかったんじゃないか、と心配する声もあるが、11月にはTBSの公式サイトで同番組の観覧者募集の中止が発表されている。今年の構成がほぼ総集編になることは、放送の1カ月前から“織り込み済み”だった可能性がある。

 ちなみに25日の毎日新聞の番組欄を見ると、〈クリスマスの約束 小田和正のライブ特番 37組のアーティストが互いに尊敬し認め合う14年間のライブ〉とあった。


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2014年12月25日木曜日

聖夜:馬小屋二階のピエタ

KANBASE 1993 VOL.4 (published on 1992 DEC.)のためのart work for 1992 X'mas(撮影:日比野誠二)6x6 positive film を小さなブラウン管に封印した。



KANBASE 1993 VOL.4
http://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK111012

ヤフオクに流れている


92年作の和合雛は一対のオブジェ。
男雛と女雛は別れ別れに。


http://page19.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x370821749

















プラモデルのように陶をパーツごとに作り組み立てたもの。内部空間を持つ立体物。
鉄釉となっているが、マンガンと銅、呉須を調合した顔料を塗布し酸化焼成。
上部、下部は同じ顔料だが調合比、土が異なるため、発色が異なる。(上部には塗布前に塩化コバルトをひいた)本焼きの金化部分と、本金彩上絵部分が混在する。
着物を表す翼部は酸化磁器にマロン系顔料の転写ベタ版シートで上絵焼成。
上部にオルゴールが仕込まれている。下内部には本金彩の子宮を内蔵。
オルゴールの「たのしいひなまつり」の曲が子宮に降りそそぎ「女の子」が刷り込まれる。
1992年のハート・フィールドギャラリーでの雛展に出品。22年ぶりにネットで再会。

別れた男雛はどこへ放浪の旅に行った?




















2014年11月27日木曜日

雨の日に沢蟹



冬に向かう雨の中、洞に向かう。

秋に咲く桜は雨でも散らないのは気温が寒さに向かう季節のせいか。。

などと考えながら大草の桜を横目で見て、

それほど冷たい雨ではないが、濡れ続けるとさぶい。


水の流れが轍をつくる敷地の一番奥

裏山から流れた雨、軒付近に溜まる。

入口には本日のお客さま、沢蟹。


一昨晩は、猪。


「こないだ道を横切ってたんだから」

それを聞いていなかったら、夜中の裏山でガサガサする音を、

数日前、窓を開けたときにメンチ切られた鼻の上が白いあの猫と思っただろう。



屋内なのに

激しさを増す雨は、部屋の入口を滝にかえ、壁土を溶かして土間に溜める。

入口にある溝はゴミによって流れることなく水溜りとなり、

ピチャピチャとリズミカルな音を刻む。


探し物をと奥には入ると崩れた繊維になった軍手数人分。

捨てようとゴミ袋に突っ込めば、十数年分の埃が目に見えず舞い上がり肺に入る。

気管支によくないものが進入してきたと

対決するからだは肺の奥から咳を連呼。


ねばならぬと決めたからか、眠くない。

それでも十時間の作業はからだを疲れさせ

二時の時報とともに瞼を下げる。


だいぶ片付けたから、横になるスペースもできた。

鉄板を貼った大きな台に、何かのために買ってあった布団にするには小さなキルト地を敷き、

石油ストーブを近くに寄せ臥る。


何年ぶりにここで寝る?

が、30分もたたずに目が覚める。

ボリュームの大きい深夜便の声で眠りが浅いだけか



底冷えのない明け方まで作業をし

明るくなってから帰宅。

埃まみれのからだを湯船につけ、雨に濡れたからだを暖める。



徹夜明けの仮眠

一時間のタイマーの目覚ましにしては速いなと思って手に取った携帯が

訃報を告げる


「きのうなくなった」








2014/11/26  通夜に

2014年11月13日木曜日

Dionysian Enthousiasmos  「熱意」

Dionysian Enthousiasmos を経験したものは、再び、何度も、その状態にイクことを希求する。
自らの意志などの及ばない状態で、何者かによって身体が動かされているような、その感覚は「自己」といったちっぽけな枠組みから開放される体験であると同時に、どうしようもないくらいの苦しみの体験でもある。しかしそれが自己から離れておこっているのだから苦痛とは異なる苦しみである。「近代的自己」という考えに囚われていることが馬鹿馬鹿しい、「無名性」に到達できる体験である。しかし、ひとたび日常に帰還すると、どこをどうやって行けばよいか迷子になってしまう。再びその場にに行くこと、その境地を体験することを希求することすらも忘れてしまう。しかし、何かの拍子にその時の感覚を思い出し、再びそこへ行こうとする。それが再び始めることである。それは脳の中で起こっていながら、何か外の力が働いているような体験である。脳の外というよりも脳の深いところにある海馬に因っているのかもしれない。



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http://www.huffingtonpost.com/2014/10/24/leonardos-brain_n_6043970.html


引用始まり

..He or she must be in a nearly "orgasmic" state to produce it. Our word enthusiasm comes from Dionysian enthousiasmos, a wild state of holy inspiration.
Orgasm is a right-hemispheric function. Love is rooted in the right brain. Ecstasy is an emotion experience at the right of the corpus callosum. ...

引用終わり


..彼または彼女はそれを作ることはほぼ「オルガスム」状態である必要があります。私たちの言葉で言う熱意はディオニシアンの熱意からきたもの、神聖なインスピレーション、野生の状態。オーガズムは、右半球機能です。愛は右脳に根ざしている。エクスタシーは脳梁の右側にある感情の経験です。.


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http://referenceworks.brillonline.com/entries/brill-s-new-paulv/enthousiasmos-e12221560


ページ引用始まり

In Greek religion enthusiasm (ἐνθουσιασμός/enthousiasmós) refers to being taken by a higher power, usually personified by the gods (cf. θειασμός/theiasmós, ‘inspiration’; ἔνθεος/éntheos, ‘possessed by god’). The individual leaves an ordinary state and enters one that is determined from without and strange, to being no longer ‘him- or herself’ (ἔκστασις/ékstasis; cf.  Ecstasy). What humans achieve in this state, which is experienced as paranormal, is god-given (cf. Heraclitus [1] fr. 22 B 92; B 93 DK;  Pythia [1]). How this possession (katokōchḗ, Pl. Phdr. 24…

ページ引用終わり


ギリシアの宗教において。熱意 (ἐνθουσιασμός/enthousiasmós)はより高い力によってとらえられることを言及します。そして通常、神によって象徴されます、(参照 θειασμός/theiasmós, ‘inspiration’[インスピレーション]; ἔνθεος/éntheos, ‘possessed by god’ [神に取りつかれた]もの)。もはや「彼あるいは彼自身」でないことに、個人は常態を残して、外で決定されて、奇妙であるものに入ります(ἔκστασις/ékstasis; cf.  Ecstasy)人間がこの状態(超常的であるように、それは経験されます)において成し遂げるものは、神から与えられています。(参照 Heraclitus [1] fr. 22 B 92; B 93 DK;  Pythia [1])この属性はどうですか(katokōchḗ, Pl. Phdr. 24…

2014年11月3日月曜日

day #20760: 141103

photo by Kazuyoshi Furuhashi

photo by Ayano Osawa

photo by Ayano Osawa

photo by Ayano Osawa

photo by Ayano Osawa






愛知県庁地下 2014年11月3日(文化の日)一日展示
http://www.aichi-bunka.jp/event/show.html


2014年10月25日土曜日

141025 杜鵑草の季節



田辺のせんだいにて


と書いて、「せんだい」とはどんな漢字かと調べたら載っていない。でてくるのはセンザイ
【前栽】
読み方:センザイ(senzai), セザイ(sezai)
1 草木を植え込んだ庭。寝殿造りでは正殿の前庭。のちには、座敷の前庭。
2 庭先に植えた草木。
ダと発音するのは母に多い。故に「ザ」を「ダ」となまるのは大和言葉?かと思ったが、父方の祖母もセンダイと言ってたと思うから難波大和言葉?か
というかどちらがなまったのか?センダイが漢字を当て、関東でセンザイになったという説(僕説w)

田辺の一般的な借家には門塀があり前前栽があり、後ろ前栽(座敷の前庭)がある。
こう書いてみると、「前前栽」とは「馬から落ちて落馬した」的だ。センザイとは前庭のことか?

fb-橋本 公成
2014年10月25日

2014年10月17日金曜日

141017 warehouse /121017

141017 warehouse /Kiminari Hashimoto





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2012年10月17日 19:50
「意思の確認」
今、この場合、「意思」の確認なのか。「意志」の確認なのか。
意思の確認は方法の選択的意味合いが強いが、今、この場合、それは方法の選択ということで済まされることか。
その返事は反射的に発せられた言葉なのか。意志によるものか。
意志は方法でなくその先に見据えた目的がある。
その目的を見据えた回答であるのか。
寄り添う者は
意思を尊重するか。
観察者は
意志を尊重するか。



意思には他者、群れが介在し、意志には生物本能が住まう。





warehouse: kiminari Hashimoto

2014年10月12日日曜日

141012 きそがわ日和

@ 伊藤正人+吉田知古 にょるインスタレーション空間でのスナップ


ほうじ茶のかおり、蔦の茎、ローレライ  きそがわ日和

橋本 公成さんはきそがわ日和にいます。
2014年10月12日 · 岐阜県 美濃加茂市

インスタレーション:伊藤千帆


2014年10月12日
旧大垣共立銀行の建物外壁西側に茂る蔦が壁の隙間から内部に侵入し空間を縦断するように伸び続けているこの蔦は、まぎれもなく伊藤千帆の作品の一部だろう。なぜなら彼女はそれを展示の妨げとして排除し取っ払ってしまわずに、残したのだから。鑑賞者によって踏まれ、ゴミになった葉片を箒で掃いて自然に伸び続けている茎をできるだけそのままにして見せているというその行為は利休を思わせる。(というのは大げさか)しかし、その空間を走る線の長さと量は、セルキューブのボリュームと関係を成すに十分な量である。ところでこのキューブは何か?それは左手奥にあるカラッポになった金庫空間を型取し、取り出したように見える。ー 場所: きそがわ日和



壁から床、柱へとはいまわる蔦の茎と、空っぽの金庫空間(右)




2014年10月12日 12:10 

ヒレンジャク えのき 宿木 きそがわ日和
ー 場所: 美濃太田

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3年前の今日
2011年10月12日 0:20
甘たるい 金木犀でむせぶ 我が肺


2014年9月29日月曜日

「パナマにはパナマの、中川には中川の¥為がある」vol.04 # two eye - the next dimension


よくみながするセカイ系の物語を吾もしてみんとおもふ


森石油ビルの二階にはじめて行った時、そこは両眼を左右にそれぞれ引き裂かれた box camera 暗箱の中にいるように感じた。




























PLAN 140926 " two eye - the next dimension "


memo " the next dimension " 画中画(モナリザの背景についての論考)

memo
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Short report
Da Vinci’s Mona Lisa entering the next dimension
Claus-Christian Carbon, Vera M Hesslinger

http://www.perceptionweb.com/openaccess/p7524.pdf

http://www.gizmodo.jp/2014/05/3d_127.html


レオナルド ダ ビンチのモナリザの類似作品についての論考。
ダビンチとともにイーゼルを立て絵画制作されたとするもの。
背景の風景はあらかじめ描かれた画中画であると推測することにより、この2点の作品が同時期、同場所で描かれたたことを視界のずれによって証明している。

2014年9月24日水曜日

南海平野線

設計当時、南海平野線専用に配備されたモ161型車輌。二両編成で運行していた時もある。



1914年4月26日~1980年11月27日の66年間、地下鉄谷町線が八尾南まで延長したことで廃線になった南海平野線。
いろんな人たちがアップしているブログを駅に沿ってまとめたページです。



南海平野線
https://www.youtube.com/watch?v=ffotPAQiS18

http://9199.jp/wiki/%93%EC%8AC%95%BD%96%EC%90%FC/

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今池駅
http://gingatetsudo2012.com/sub512.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshio1mura/27184050.html

今池ー飛田
http://www.asahi-net.or.jp/~pu7t-kmr/hirano/hirano5.htm
http://kamae.cocolog-nifty.com/kamayan/2008/05/post_1.html

飛田駅付近
http://ycp.jp/nankai-kido-osaka/nankai-hirano_01.htm

飛田ー阿倍野
http://205-161-205.at.webry.info/200901/article_8.html

阿倍野平面交差
http://blog.livedoor.jp/michi2002/archives/cat_50014042.html

股ヶ池駅
http://blogs.yahoo.co.jp/wing3863/33771197.html

股ヶ池ー田辺
http://blog.livedoor.jp/michi2002/archives/50968113.html

田辺駅
http://fugaku2.blog74.fc2.com/blog-entry-846.html
http://eisenbahn.jugem.jp/?eid=18
1975年当時の南海平野線、田辺駅付近の画像が多いページ。
http://www.hct.zaq.ne.jp/scr/nankai/hiranosen1.htm
古い田辺駅のスケッチ
http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033877.html

駒川町駅
http://k-conny.blog.so-net.ne.jp/2010-12-13
http://www.asahi-net.or.jp/~pu7t-kmr/aki562.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~pu7t-kmr/hirano/hirano3.htm
駒川町駅ペーパージオラマ
http://peparama.blog22.fc2.com/blog-entry-62.html

中野駅
http://isv.asablo.jp/blog/2010/10/16/
http://hiranogou.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/1-8f19.html

中野ー西平野
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2012/10/post-3952.html

西平野駅
http://naratokidoki.seesaa.net/article/388801265.html

平野駅
http://blog.livedoor.jp/paper_train/tag/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%B7%9A
http://sumiyoshi-rw.jugem.jp/?eid=776

旧型車輌
http://diversity.jp/horimoto/tetudou1.html


かつての阿倍野平面交差付近。

写真左交差点わきに南海平野線阿倍野駅(当時は斎場前と呼んでた)から、手前にカーブする天王寺行きの線路と、写真左から右に飛田、今池へ向かう線路があったが、現在は天王寺からまっすぐに阿倍野筋を南下する阪堺上町線のみ。
平野方面から阿倍野に向かっては緩やかに上町台地を登りきった、ちょうどこの交差点が台地での一番高いところ。上町台地を東西に走る南海平野線での高低差体験ができるところ。ここから飛田に向かってはかなりの高低差を下ってゆく。写真の交差点右カドに阿倍野斎場とそれに続く都心では広大な墓地を進行方向左手に見ながら、飛田駅へ。そして飛田から今池分岐ポイントまで12%。勾配での登り、平野線のスリバチは飛田駅であった。飛田駅にはかつて遊郭をしきる高い壁が残っていた。


飛田の壁について
http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-886.html



2014年9月18日木曜日

ダイオラマについて、再び

私の感覚がおかしいのか?

確かに、実物はすごく良くできていることに異論はない。
実物を見て感じることが必要なことにも異論はない。

しかし、それが模型であることの残念感は、それを写真で見たときの、また、ビデオ映像で見たときの、それとは比うべきもないのだ。
そのことを、問題にしているのだ。
つまり、精巧にできていればいるほど、肉眼で実物を見るそれが、模型でしかないということのリアリティの喪失が、同じものを実物でなく写真や映像で見たときのリアリティよりもおとっているかということをだ。
なぜ、精巧に、細密に作られていればいるほど、それが、視覚的リアリティから遠ざかっていくということだ。



Facebook 2013年12月1日 21:21 -----
https://www.facebook.com/kiminari.hashimoto/posts/566359226776687?comment_id=3746413&offset=0&total_comments=10
この画像の掛け軸は現代美術家の杉本博司氏の写真作品です。アメリカ自然史博物館のダイオラマを写したものです。20数年前、映像の歴史に興味を持っていた私はダイオラマと2つのCCDカメラ、そのライブカメラから取り込んだ観客の映像を出力する2つのブラウン管を遠近法的にダイオラマに合成する装置を発表しました。その装置は両眼視についての思考以外のほかに多くの要素を含んでいたため、その後の私の作品は複数の興味に分散し両眼視については放置され忘れていたのですが、先日この作品を評価してくれていた人から両眼視についてあらためて気付かされたのでした。そんな時に今朝、日曜美術館の展覧会紹介のコーナーで正木美術館で開催中の展示で杉本博司氏のこの作品説明でダイオラマと両眼視、単眼視(カメラによる視覚)のことに触れられ忘れそうになっていたことを又、思い出したのです。


Facebook 2013年12月1日 21:23 -----
https://www.facebook.com/kiminari.hashimoto/posts/566359226776687?comment_id=3746422&offset=0&total_comments=10

杉本博司氏のwiki、下記にダイオラマに関する部分抜粋  
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%8D%9A%E5%8F%B8
..最初のシリーズの『ジオラマ』では、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮った。片目を閉じた「カメラの視覚」のもとでは、両目で見ると模型だと分かるジオラマが遠近感の喪失によりリアルに見える、という発見からこのシリーズは始まっている。精巧なジオラマを本物に見えるよう注意深く撮ったシリーズは、「写真はいつでも真実を写す」と考えている観客には一瞬本物の動物や古代人を撮ったように見えてしまう。..



http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/05/diorama-of-ehm-1992-01.html

http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/05/diorama-of-ehm-1992-00.html

http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/05/diorama-of-ehm-1992-02.html

http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/05/diorama-of-ehm-1992-03.html

http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/05/diorama-of-ehm-1992-04.html

http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html





2014年9月2日火曜日

2014年8月17日日曜日

「北緯35度の栄養学」


引用まとめ
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http://blog.goo.ne.jp/agrico1/e/a78f444ea539d44ee6c624d6ea939bcc

ブログ  「日本人の体力」 2010-02-04 15:41:19 より引用
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●「ベルツの日記」~エルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)はドイツ生まれ。ライプツィヒ大学で内科を修めた後、27の歳に明治政府によって招聘され、以後29年間日本に滞在する。「お雇い外国人」

 そのベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をした。当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。しかし二度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。
 普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのだが、これではまるで逆である。この体力はいったいどこから来るのだろう。

●「ベルツの実験」
 22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。 然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになった。一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができた。

 当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通だったという。ベルツはドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかった。
また彼は日本人女性についても「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」とももらしている。
車夫の食事は、
「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」
平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。肉など食べない。


●フランシスコ・ザビエル~1549年(天文18年)~

「彼らは時々魚を食膳に供し米や麦も食べるが少量である。ただし野菜や山菜は豊富だ。それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる」


●「日本その日その日」エドワード・S・モース(1837~1925)
1877年(明治10年)から都合3度来日

「ホテルに所属する日本風の小舟が我々の乗船に横づけにされ、これに乗客の数名が乗り移った。この舟というのは、細長い、不細工な代物で、褌だけを身につけた三人の日本人ー小さな、背の低い人たちだが、おそろしく強く、重いトランクその他の荷物を赤裸の背中にのせて、やすやすと小舟におろしたーが、その側面から櫓をあやつるのであった。」
「七台の人力車を一列につらねて景気よく出立した。車夫の半数は裸体で、半数はペラペラした上衣を背中にひっかけただけである。確かに寒い日であったが、彼等は湯気を出して走った。ときどき雨がやむと幌をおろさせる。車夫たちは長休みもしないで、三十哩(今でいうおよそ50km)を殆ど継続的に走った。」



●「ジャポン1867年」(1867年は慶応3年)L・ド・ボーヴォワール
世界一周の途中1867年に日本に立ち寄り35日間滞在したフランス人。
日本国内を馬を借りて旅をした際に馬に付き添った別当(馬丁)について書き記す。

「その間中私は別当を見て飽きることがなかった。彼はその友である私の馬に、困難な箇所のたびごとに、咳き込んだ小さな掛け声で予告しながら、私の前をまるでかもしかのように敏捷に走った。
日本では馬に乗る者は、馬の好敵手となるこの筋骨たくましくも優雅な肢体の、忠実で疲れを知らぬ走者が絶対に必要であり、これなくしては決して冒険を冒さないようである。
「アラマド」(これが私の新しい従者の名前である)は、実際この長い一日の間、四六時中我々の速い走行の伴をした。ある茶屋で馬からおりると、彼は直ちにその場にいて馬の世話をし、冷たい水を鼻面にかけ、いんげん豆の飼料を少し与える。この男の軽い足が地面にほとんど触れるか触れないかといった様をどんなにお見せしたいことか。」



 開国の頃、日本人は西欧人が、そして今の私たちが驚くほどに健康で頑強な体をしていた。なりは小さいながらも実力では西欧先進国の水準を遥かに超えていた。
これがやがては日清・日露、そして二度に亙る世界大戦で、人的能力では実質「世界最強」を示したわが国軍事力の礎ともなるのである。
それは白人優越主義時代のただ中にあって、生の日本人の姿を見た欧米人にとっては信じがたい、けれども歴然とした事実だった。




●「北緯50度の栄養学」
島田彰夫博士著「伝統食の復権」の中でドイツの栄養学者・カール・フォン・フォイト(1831~1908年)の栄養学について呼んだ言葉。
明治政府はフォイト理論に基づき、「カロリー・栄養素計算偏重主義」、西洋の栄養学一辺倒の健康政策(=「欧米人並みに体を大きくする栄養学」)を始めた。

体重64kgのドイツ人は一日当たり
タンパク質118g、脂肪56g、糖質500g、およそ3000kcalを摂ることが望ましいと算出。
当時の日本人は小柄で体重が52kg程度だったことから、これを比例配分して
「タンパク質96g、脂肪45g、糖質415g、2450kcal」を日本人の栄養所要量と定めた。


当時の日本人の食生活(=北緯35度の栄養学)
タンパク質56g、脂肪6g、糖質394g、1850kcal



●「肉食と耐久力に関する実験結果」
とあるアメリカの大学において行われたとされる肉食をしている人と、全く肉を食べない人との体力と耐久力についての比較検証。(「大東流霊的食養道」というサイトから)

1989/03/28 勝川駅プラットホームの桜


季節外れの投稿

撮影:1989/03/28 NikonF3 35mm posi紙焼きよりスキャン


中央線勝川駅の名古屋行ホームには立派な太い幹の桜が幾本も植わっている。
プラットホームは、なだらかな土盛りで桜が植わっている土とつながっている。
枝は当然のことながらホームの線路側に伸びることを抑えられ反対側の駅外に隣接する道に向かって枝を張る。枝の先は道を隔てて建つパン屋の軒テントに接し、春ともなれば桜のトンネルを作る。
パン屋の中には4脚だけカウンターのこじんまりしたカフェがあり、コーヒーとゆで卵、トーストのモーニングを食すことができる。桜の頃、ここに座りあわただしい朝のひと時をすごすことができるのは優雅な風情である。花が散る頃、そのアスファルトの小道に雪のように花弁を降り積もらせる。

ホームと道を隔てるものは簡単なコンクリートの角柱とそれをつなぐL字鋼4本でありくすんだ空色にペンキで塗装されている。それゆえ、列車に間に合いそうにない時はその簡単な柵を飛び越えて改札を通らずホームに駆け上がることは意図も容易なことだ。こういったホームのつくりは国鉄の駅には特に珍しいものではない。幼少期にしばしば訪れた母の田舎の王寺駅、(そこは関西本線と和歌山線が合流する機関庫や操車場のある大きな駅であったが)もまた、このような簡単な仕切りでホームと駅外が隔てられているにすぎなかった。抜け出したり、忍び込んだりすることが容易で簡単な境界だった。越境すること。境界に立つ事。気づけばそういった位置にいることになってしまうのは幼少期のいたずらな、臆病なのか大胆なのかどっちともとれる行動癖からきているのか。

簡単に出入りができる境界。その気になればひょいと飛び越えることができる簡単な障害物。
境界とは本来そういうものだ。はたまた物理的な障害物すらなくてもあるように思うものでもある。
麻紐を結んだ石を置くことで、入ってはならぬ印とした結界もまたそうであるように、そこを超えることが困難な物理的障害物はない。あるのは、超えてはならぬという共同体の中での約束事であり信用関係によって成り立つ取り決めとしての印だけである。


勝川駅プラットホームの桜は、そんな境界に咲いている。





「おてんとうさまが見ている」
お天道様のまなざしは強力だ。
しかし、近代的自我ヒトは、おてんとうさまに逆らって、
ほんとにお天道さまが強いのか、確かめようとして、結界をまたいだ。
「こんな無謀な気分に誘われるのは満開の桜のせいだ。」
と桜のせいにして。

おてんとうさまは相変わらずにこにこ微笑んでいる。
睨んでいるのは共同体のまなざしだけだった。
怯えているのは共同体に帰属して生きることを選択しようとしている近代的自我だ。





勝川駅 ----

開業当時、東春日井郡(現在の春日井市を中心とした地域)の郡役所があった勝川町の駅として、中央本線の名古屋 - 多治見間開通と同時に、一般駅として開業した。その後、貨物取扱業務を新守山駅へ移管するなど、貨物および荷物の取り扱いを縮小し、現在では旅客のみの取り扱いとなっている。前述したが、JR東海の駅の高架化事業は2009年(平成21年)11月23日に上下線とも完了した。

1900年(明治33年)7月25日 - 国有鉄道 名古屋 - 多治見間開通と同時に開業。一般駅。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。中央西線の所属となる。
1911年(明治44年)5月1日 - 線路名称改定。当駅を含む中央西線が中央本線に編入される。
1964年(昭和39年)4月1日 - 新守山駅に貨物取扱業務を移管、当駅での貨物の取扱を廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)が継承。
1991年(平成3年)12月1日 - 東海交通事業城北線の駅が開業。乗換駅となる。
2006年(平成18年)11月25日 - JR東海の駅にTOICA導入。
2009年(平成21年)11月23日 - JR東海の駅が高架化完了[1]。
2010年(平成22年)6月5日 - JR東海の駅高架下の入り口を移設。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B7%9D%E9%A7%85

2014年8月13日水曜日

140813 自転車散歩 文の里ー阿倍野

股が池の蓮

「アホにつける薬はあらへん」@文の里商店街



忘れていたけど、偶然出くわして、美大1年夏、ここでイーゼル立てF20号の油描いた事を思い出した。瓦が新しくなって色がオレンジ系茶からグリーンに変わっている。
@大阪市立工芸高校



大阪市立工芸高等学校本館 大正13年(1924年)完成@文の里一丁目




ハルカスが日本一高いビルと感じないのはこの凸凹なデザインのせい?