2013年1月5日土曜日
2012年12月23日日曜日
2012/12/19 15:40
徹夜二日目、明け。
今年の、自身でしかできない仕事に区切りをつける。
6時半、帰宅。
9時40分、着信あり。
15時10分、田辺駅着。
15時15分、病室に到着。
鼓動を感じる冷たい手を握る。
待っててくれたんだね。
握った手から伝わる鼓動は
強くなったり、
感じなくなったり。
そして再び打ち出したり。
この鼓動は
わたしのものか
あなたのものか
どちらのものかわからなくなる。
15時40分、医師が最期の時を告げる。
待っててくれたんだね。
ありがとう。
そしてさようなら。
今年の、自身でしかできない仕事に区切りをつける。
6時半、帰宅。
9時40分、着信あり。
15時10分、田辺駅着。
15時15分、病室に到着。
鼓動を感じる冷たい手を握る。
待っててくれたんだね。
握った手から伝わる鼓動は
強くなったり、
感じなくなったり。
そして再び打ち出したり。
この鼓動は
わたしのものか
あなたのものか
どちらのものかわからなくなる。
15時40分、医師が最期の時を告げる。
待っててくれたんだね。
ありがとう。
そしてさようなら。
2012年12月12日水曜日
2012年11月28日水曜日
光琳の松島
30年ぶりの再会を楽しみにしていた光琳の松島。
30年前は繰り返す曲線による波の表現がブリジットライリーのオプアートのようで目がくらんだことだけが記憶に残っているが、今回は岩にばかり目がゆく。
三つの岩の塊とその視点の違い。
明らかに左3曲と右2曲では視点が異なる。
波を隠すように金泥ではかれた左2曲上部の面は水平線の効果を与えて、左二つの岩の塊の視点を低い位置にする。
右2曲は崖の上から見下ろした遠景の岩崖で視点は高い位置にある。水平線は画面の上よりはみ出し、右上角でうねるように渦を巻く。
そして異なる視点を合体させる役目をはたす右から3番目の曲。
折れ曲がっていない図録の写真のように正面視でこの屏風を平面絵画として見ているだけだとつじつまが合わないような空間が、装置としての屏風を体感するように右端から、左端からと視点を変えて見ると、いっそうダイナミックな作用空間を現出させる。
光琳百図のモノクロの図版では岩の塊の位置によって右から左に向かってなだらかな遠近感があるような絵画的空間であるが、現物の屏風を目にすると真ん中の岩の塊が折れ曲がって見る者の方にせり出す山折の線と合体し(立体化し)一番手前にせり出している。
そして右の岩崖は谷折の線と合わさって奥へと後退する。
真ん中の岩からこちらに向かってくる遠近は見る者の視点を経由し、弧をえがくように右1曲と2曲の谷折りの線に向かって後退する。屏風が時計逆回転に回転するような錯覚にとらわれるのである。
![]() |
| 「松島図屏風」 尾形光琳筆 6曲1隻 紙本着色 150.2 x 367.8 cm (屏風を開いた状態) Fenollosa-Weld Collection Photograph(C)2012 Museum of Fine Arts, Boston. all rights reserved. |
2012年11月21日水曜日
Heihachiro's Ripples 03 ~平八郎の「漣」3
Heihachiro's Ripples 02 ~平八郎の「漣」2
平八郎が意図したかもしれない装置の作用空間を確認するために1/10のスケールモデルを作る。
美術教科書の印刷と絹本着色という説明だけで誤解していたこの作品を補完するために。
図版による黄色みがかった白っぽい地色は金箔の上に貼られたプラチナ箔の効果ではなく、撮影時に反射した色が映り込んでいるものであるだろう。
熱転写でプリントアウトしたものを裏側からシンナーで表面のマゼンダがかった青紫色を洗い落とし、地の部分にラッカーの銀色(アルミ粉)を塗る。
現物の地は強烈な銀色の反射効果はない。
そして岩群青で描かれた図は、吸い込みのある紙にマジックインキの青で描かれたように光を吸い込んだ青の図である。
美術教科書の印刷と絹本着色という説明だけで誤解していたこの作品を補完するために。
図版による黄色みがかった白っぽい地色は金箔の上に貼られたプラチナ箔の効果ではなく、撮影時に反射した色が映り込んでいるものであるだろう。
熱転写でプリントアウトしたものを裏側からシンナーで表面のマゼンダがかった青紫色を洗い落とし、地の部分にラッカーの銀色(アルミ粉)を塗る。
現物の地は強烈な銀色の反射効果はない。
そして岩群青で描かれた図は、吸い込みのある紙にマジックインキの青で描かれたように光を吸い込んだ青の図である。
Heihachiro's Ripples 01 ~平八郎の「漣」1
平八郎が意図したかもしれないことを期待して見に行った「漣」。
あぁ~なんということだ。屏風は180度に全開され、無残にも壁にはりつけにされている。
それもガラスケースの中で、トップライトを浴びながら。
図としての「絵画」を鑑賞しようとする近代美術館的展示。
はたしてこのインスタレーションは平八郎の装置の効果を伝えているか。
表現方法としての「インスタレーション」ばかりに気を配る昨今、ものを置く、設置するということがどういう効果を指向するか、本来の意味でのインスタレートがもっと考慮されるべきである。
そうすれば80年前に作られたものの現代的意味が絶えず現前し、目の前にたち表れるのだが。
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000166029.html
美術館を出、松屋町に向かって歩き末吉橋から東横堀川の漣を撮影する。
阪神高速1号環状線高架に反射する漣の効果。
この反射効果をアーティフィシャルに、住空間に、屏風に貼られたプラチナ箔と岩群青で平八郎は試みようとしたのではなかったか。
![]() |
| 東横堀川末吉橋より見る |
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