2012年8月25日土曜日

鉄はやわらかい


鉄はやわらかい。木はかたい。

鉄を溶接したり、木を彫ったりしていて無意識につぶやく。
形容は主観的、相対的なものではあるが、
使用する道具と素材との関係もあるが、
「金属は木よりかたい」という大雑把な固定観念が、個々の素材に向き合う時、打ち砕かれる。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120825-00000215-yom-soci.view-000



硬度、引っ張り強度、引き裂き強度、粘度、可塑係数。。
様々な数値により客観的形容は可能であるが、
グニャッときれいなカーブをえがく線路と、変形のない枕木の写真を見、
素材に向き合っていたその時の感覚がよみがえり、
再びつぶやく。



2012年8月19日日曜日

落雷

実家、墓地近くの落雷。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/584865/

ドライ・アーティチョークのパスタ?

立ち枯れの朝鮮薊(アーティチョーク)を見て思い出す。
思い出せない味のこと。

ドライ・アーティチョークのパスタ。
どんな味だったか。

イタメシに目覚めさせてくれた師匠の家でごちそうになったパスタということは思い出すのだが。
インターネットなどなかった頃、その味は忘れ去られ、ドライ・アーティチョークという言葉と食べたという記憶だけが残る。


イタリアから食材を輸入していた人だから輸入したドライアーティチョーク(乾燥アーティチョーク)なるものを食材にしたパスタだったとずっと思っていた。

立ち枯れの朝鮮薊を見て、忘れ去られていたその記憶が蘇る。
今でこそインターネットであらゆる情報は居ながらにして入手可能。
さっそく「ドライアーティチョーク」と打ち込みググルこと数秒。
「ドライアーティチョーク」なる言葉は登場せず、ヒットしたのは「ドライトマトとアーティチョークのパスタ」ばかり。
ドライ・アーティチョークのパスタではなく、ドライトマトとアーティチョークのオイル漬けのパスタだったのだ。
それを知ったとたん、口の中にすっぱい唾がにじみ出る。
なんとなく思い出す味。
10数年ぶりにその謎が解ける。

脳みそが記憶することを優先し、言葉を短縮して更新した。
短縮された言葉によって味覚の記憶がどこかに行ってしまっていたのだ。




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ところでガーデンオーナメントとしてもよく見かけるアーティチョーク。
これはいかにして食するものか。

栽培して初めての年は、拳より大きな、梅雨時に咲く鮮やかな蛍光紫の花5~6個を観賞したため食することはしなかったが、2年目には大量のつぼみがつき花が咲く前に収穫。
ガクは硬そうで食べれそうにない。しかし、はたしてガクをどこまでとればよいのやら。
むいていくうちにどんどん小さくなってゆく。

オリーブオイル、にんにくと鷹の爪で、エビと塩湯でしたアーティチョークをいため、マジョラム、オレガノ、イタリアンパセリで仕上げたパスタ。
野菜の王様というアーティチョークはいったいいかなる味か。
今まで食したことのない特別な味にちがいない。
そう期待を膨らませて食した味は、、

ブロッコリーの茎のようないもっぽい感じ。
15年前、借家の庭が小さな食用ハーブガーデンだった時の話。



1996 5/29 レシピ

Kim Jung Gi 氏の視界

Kim Jung Gi 氏のスケッチブックに描かれた車中の空間について、その絵画作用空間を図式化してみる。


トップビューからみた車は四角でなく、スケッチブックの綴じ線に向かって台形になり、スケッチしている本人のリクライニングシートからの視点は扇形に大きく後ろに湾曲し、作者は車の外に飛び出ている。
フロントガラスから見る前方トラック。作者の進行方向正面の視線が、運転手~後部座席へと左側に移動するにしたがって車中のインテリア空間は台形に変形してゆく。
作者の足の位置、カーナビのある下あたりのダッシュボードがこちら側にせり出している。

人の視界は180度より少し少ないが、絵を描こうと対象に注視するときの視界はさらに狭まるだろう。
作者がこの狭い車中のパノラマビューを描くとき、眼球あるいは首は左側に向かって移動しているだろう。
カメラのレンズでこの視界を捉えようとすれば20mmレンズが必要だろう。
ただレンズで捉えた場合、この視覚と同じになるとは思われない。各方向への消失点が強調され視点から遠ざかるものはさらに小さく図示されるであろう。

この何気ない風景の、しかし不思議な遠近感を持つパノラマビューは作者の視点により無意識に調節されながら違和感なく見えるように図示され、オーディエンスはその視界を追体験することになる。
そして画中の個々の部分を追いかけながら移動する視線は、四角いはずの車中空間が歪んで変形した絵画内空間を体験することになる。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=215847178544944&set=a.185190548277274.38254.100003589911336&type=1&theater

2012年8月15日水曜日

120815 池の鯉

 


修理をしてから5年間ほったらかしにしていた池のそうじ。


金魚、初繁殖
鯉は倍の大きさ(約40cmL)に

網に頭をつっこんでアジの開きのようになっていたという銀鰭の頭も再生している。

この赤白コメット、模様に変化なし。もう一匹は赤白の模様が消え全体がオレンジっぽい金色に変化。




Carp, Goldfish

2012年8月8日水曜日

120807-08 Beatle




しばし赤子とたわむれる。




そして翌日、朝帰りの玄関




AM4:20 昨日に続きマンションの階段でカブト。
角の形が異なるので昨日の固体とは異なる。






























今日は画像認識を実験。



モニター画面中の昨日のカブトに興奮気味に立ち上がり、モニター画像に威嚇行動









その後、朝食を共にする。




しばらくして、頭部をガクッと下げて動かなくなる。。


。。。!

寝てる!






2012年8月6日月曜日

1945年7月26日




60年代の遊び場

3年生になって教室は学校の北側校舎に移った。
窓の外には建物が建たないマンション一棟くらいの土地がトタン塀に囲まれていたが、校舎の三階窓からは盛り土されたその空き地がよく見えた。

空き地の向こうには公設市場があり、肉屋の店先の鉄板でホルモンを焼く臭い。
その前の道を南海平野線の田辺駅に向かって行く途中の角はイカ焼き屋、その二軒隣にはプラモデル屋があり、その少し先には友だちんちのペンキ屋さん。店先でいっと缶の注ぎ口にこびりついたゴム系の接着剤を集めては練り、丸め、大きくしてスーパーボールのようなものを作って投げあったり、ちんちん電車の線路上に釘をおいてぺちゃんこになるのを隠れて見たり、
とにかくそのあたりが当時の遊び場だった。



「あそこは昔、爆弾が落とされたんや。今でも不発弾が埋まっているから空き地のままなんや。」

「ふーーん」


そんな空き地は他にもあちこちにあったし、その空き地もそんな一つにすぎなかった。









1945年7月26日、田辺小学校、北に直径数10mの巨大な穴ができた。


写真中央黒い池の右下がグランドゼロの料亭『金剛荘』。その下が田辺小学校。左下から上に向かって国鉄阪和線(左下南田辺駅)
米軍資料による





ワシントンの電報

「第509部隊は…日本に対する一連の空襲を始めた。その目的は搭乗員を目標地域と最後の任務遂行のための戦法に慣れさせ、又一方日本人に高い高度を飛ぶB29の小編隊を眺めることに慣れさせるためである。」*1



8月6日の11日前、8月9日の14日前。

1945年7月26日午前9時26分。

「高知付近より進入せるB29一機は愛媛県東部、淡路島北部、大阪府を経て奈良県に入り、生駒東北部において反転して大阪市内に投弾の後、大阪湾を南進した。」*4


原爆投下目標都市 NIIGATA の所在確認とその周辺での爆撃演習のため第一目標 TOYAMA に向かったB-29 7303号機は富山市が雲に覆われていたため第二目標の臨機の任意市街地目標、大阪に向かう。
第20航空軍の命令にもとづき特殊爆撃任務を与えられた第313爆撃航空団所属の第509混成群団(暗号名"8888")



暗号名"8888"

その目的は高度30,000 feet (9,000m) からの原爆投下訓練。
爆弾は投下後飛行機の進む方向に落ちてゆく。
爆発まで50秒かかるとすれば投下した飛行機も爆発に巻き込まれ放射線から逃れられない。
そのため、投下後すぐに150度急旋回して逃げなければならない。
アメリカ軍は原爆と同じ形・重さ・弾道特性の爆弾(模擬原爆)を使って練習をくり返した。
アメリカ本土や南太平洋で練習をくり返した後、7月20日からは日本各地を使って実際に空襲し練習を行った。


「実際、搭乗員たちがしてきた訓練の頂点だったから、たいへんに役立った。彼らに訓練用爆弾を与え、彼らを一つのピンポイント目標に送り出し、結果を写真に撮り-われわれは彼らに目視条件のもとに投弾することだけを許した」*3


#29
date:1945.7.26
Mission no.9  
V(目視)
爆撃高度:29,000feet
J.T.G(目標コード)90:26-Urban
損害評価"None"


「結果は報告されなかったが、写真は爆弾がほぼ町の真ん中に命中したことを示した。照準点が不明のために、爆発点はプロットできなかった。結果は良好」*2







1991年11月
愛知県の「春日井の戦争を記録する会」が国立国会図書館で、機密扱いが解除された米軍の資料を閲覧していて「模擬原爆」投下の事実を発見した。


2001年夏
お盆に帰省したとき、谷町線田辺駅に向かう途中、真新しい石碑と掲示板*5に貼られた資料によって60年代の遊び場が田辺のグランドゼロだということを知る。



1945年8月9日に長崎に落とされたプルトニウム型の原爆「ファットマン」を模した模擬原爆は、ファットマンとほぼ同じの形。長さ3.5m、直径1.5m、重さ4.5トン、通称「パンプキン爆弾」。

その日、多分、父は九州の陸軍士官学校におり、母は奈良で少女時代をすごしていただろう。
ただ、本家はグランドゼロから数百メートルのところにあり、模擬爆弾でなく原子爆弾であったなら父母は生存していただろうが、父は帰ってくる家をなくし、今の自分は存在していなかっただろう。
このことが自身の原爆に対する身近な想像力である。






























*文献、資料 ---------------
「あれから57年 7.26田辺の模擬原爆証言集」2002年7月26日改訂版
発行/7.26田辺模擬原爆追悼実行委員会
作成/北田辺のまちづくりと歴史を考える会

吉田守男「京都に原爆を投下せよ」 角川書店 1995年

*1,*2 「米軍資料 原爆投下報告書 パンプキンと広島・長崎」東方出版(奥住喜重・工藤洋三・桂哲男/訳)1993年

*3 米軍資料「原爆投下の経緯」(東方出版刊行)ポールW・ティベッツ・ジュニア准将(エノラ・ゲイ機長)のインタビュー回答

春日井の戦争を記録する会編
『5トン爆弾を投下せよ!』(91年刊)/『模擬爆弾と春日井』(95年刊)

*4 「東住吉区史」P508(東住吉区役所 昭和36年3月

http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/hs-mogi.html
http://www.nnn.co.jp/dainichi/kikaku/genbaku/
http://hiranogou.cocolog-nifty.com/blog/cat48836276/index.html
http://tamutamu2011.kuronowish.com/mogigennbaku.htm
http://www.oml.city.osaka.jp/net/osaka/osaka_faq/71faq.html

*5 このページ画像は模擬原爆で亡くなった村田繁太郎さんの子息で村田保春さんが建立した石碑わきの掲示板を撮影したもの。

2012年8月5日日曜日

ずいきのおひたし


大阪の夏料理。
ずいきのおひたしをつくる。

生のずいき(小芋=里芋の葉柄)がないときは干芋茎(芋がら)を使用。

レシピ (2~3人分)------------
1)芋がら 1束
2)薄油揚げ 3枚
3)ダシジャコ(いりこ) ひとつかみ
4)薄口醤油
5)日本酒

芋がらはたっぷりの水につけ半日くらいかけてもどす。
もどしたずいきの水気をしぼり、あく抜き後、3~4cmに切りそろえる。
同じくらいの大きさに油揚げを切り鍋に入れる。
水と日本酒、薄口醤油少々と、たっぷりのダシジャコを入れ煮る。

煮立つと芋茎は一気に量が膨れ上がる。
10~15分くらい煮、冷まして味をしみこませる。

冷めると味が濃くなるので醤油は控えめに。


冷蔵庫で冷やしておけば2~3日もつし、夏の暑い日、食欲がない日にも口にやさしい。

なすそうめん

橋本の祖母から母に伝えられた料理。

もともとは、金沢から来ていたオトコシが橋本の家に伝えた料理という。
そのオトコシが言うところによれば故郷ではたいそうなごちそうだったらしい。

幼少の頃から食卓によく登場したが、なすのむにゅっとした食感で好きになれなかった料理。
なすが子供が嫌いな野菜の上位に登場することもうなずける。


ただ、どんな味だったか?記憶が曖昧。
金沢に居た時もそういうメニューに出会った記憶がない。民間に伝わる家庭料理か。

大阪から干しえびを送ってもらい、自身であらためて料理することにした。


レシピ(一人分)----------
なす 1本
干しえび ひとつかみ
そうめん 1束 (100g)
調味料:なし (干しえびとそうめんの塩分のみ)

1)なすを厚めに輪切り、なべに干しえびと一緒に入れ、水から炊く。
2)そうめんをゆでる。
3)1と2をあわせて完成。
* 盛り付け後干しえびをさらに3~4個振りかけても食感の違いを楽しめる。

干しえびとそうめんからの塩分のみで料理するため調味料は不要。
茄子を炊く時の干しえびからの海の香りがなんともいえず食欲をそそる。
熱々でなく、少しさましてからの方が美味。

幼少期、食べた味はこんな味だったか?
ぜんぜんおいしい。

しかしこの料理、金沢の料理なんだろうか?


干しずいきと干しえび

 大阪から干芋茎(芋がら)と干しえびを送ってもらう。

月に一度お参りに行く石切神社参道の乾物屋で母が買ってきたもの。
以前は良い食材が集まった田辺の商店街もシャッター街になり石切神社に行った時、乾物を求めてくるという。



干芋茎は見た目まったくのわら縄のよう。これが食べれるものかと初めての人は思うだろう。




里芋の葉柄のことを「ずいき」と呼ぶが、このずいきを乾燥させたものが「芋がら」。
秋に収穫した葉柄を乾かして、それを食用にする、昔からの保存野菜。


昨年のものと比べると、今年の芋茎は少し赤っぽい。

これで大阪人の夏料理、ずいきのおひたしをつくる。