2012年11月21日水曜日

Heihachiro's Ripples 02 ~平八郎の「漣」2

平八郎が意図したかもしれない装置の作用空間を確認するために1/10のスケールモデルを作る。

美術教科書の印刷と絹本着色という説明だけで誤解していたこの作品を補完するために。

図版による黄色みがかった白っぽい地色は金箔の上に貼られたプラチナ箔の効果ではなく、撮影時に反射した色が映り込んでいるものであるだろう。
熱転写でプリントアウトしたものを裏側からシンナーで表面のマゼンダがかった青紫色を洗い落とし、地の部分にラッカーの銀色(アルミ粉)を塗る。

現物の地は強烈な銀色の反射効果はない。
そして岩群青で描かれた図は、吸い込みのある紙にマジックインキの青で描かれたように光を吸い込んだ青の図である。

Heihachiro's Ripples 01 ~平八郎の「漣」1



平八郎が意図したかもしれないことを期待して見に行った「漣」。
あぁ~なんということだ。屏風は180度に全開され、無残にも壁にはりつけにされている。
それもガラスケースの中で、トップライトを浴びながら。
図としての「絵画」を鑑賞しようとする近代美術館的展示。
はたしてこのインスタレーションは平八郎の装置の効果を伝えているか。
表現方法としての「インスタレーション」ばかりに気を配る昨今、ものを置く、設置するということがどういう効果を指向するか、本来の意味でのインスタレートがもっと考慮されるべきである。
そうすれば80年前に作られたものの現代的意味が絶えず現前し、目の前にたち表れるのだが。


http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000166029.html


美術館を出、松屋町に向かって歩き末吉橋から東横堀川の漣を撮影する。
阪神高速1号環状線高架に反射する漣の効果。
この反射効果をアーティフィシャルに、住空間に、屏風に貼られたプラチナ箔と岩群青で平八郎は試みようとしたのではなかったか。

東横堀川末吉橋より見る

2012年11月19日月曜日

121119 天滴

 

121119 08:49


点滴



fb-橋本 公成
2012年11月19日


2012年11月5日月曜日

121104 今週の田辺

早朝の田辺 (付添い泊の東和病院前) 121104 06:24 

坪庭の杜鵑草 121104 11:02

121104 15:00 針中野
「針中野」地名の由来になった鍼灸院、平安時代より一子相伝。
INにでてきそうなたたずまい。

121104 15:14 大阪府立東住吉高等学校
何十年ぶりの母校。校内に立派な芸能文化実習棟。
高等学校初の芸能文化科を設立後'94年に建てられた。

今週のおばんざい(1) あげのたいたん、ゲソと小芋、小松菜
病院付添い泊の母のために 121104 22:26

今週のおばんざい(2) 鍋いっぱいの豚汁
病院付添い泊の母のために 121104 22:26

田辺の朝日(付添い泊の東和病院より) 2012年11月5日 7:10



父の入院は実家から徒歩数分の病院に。母は付添い泊で一か月半が経過。

2012年10月31日水曜日

Artficial/Natural   人工と自然

西欧キリスト教世界観では、ヒトは神が創ったところから始まるゆえ、ヒトは自然から分離された存在に立っている。
人工と自然は対峙する関係になる。

一方で、いたるところに神が同居しているこの国ではヒトも自然に含まれる存在である。
ヒトは自然の一部であるから、そのヒトが行う人工的なことは自然なことであるという考えになる。
自然界に存在しないものを創造し、もともとある自然界に影響をあたえることがあっても、
はたまた、生物的自然な状態に人工的に変化を加えることがあっても、
それは自然に含まれているヒトの行うことであるから自然なことなのである。

医師との面談で、老衰が進行する高齢者への胃婁が西欧ではほとんど行われず、点滴による延命処置さえもまれであるという話を聞いた。
高齢者への胃婁がこんなに多く行われているのは日本だけ、とも。

そのことを聞いた時、西欧と日本の世界観、広い意味での宗教観の違いについてが瞬時に頭をめぐった。
西欧で高齢者への人工的な延命処置が一般的でないとするならば
西欧における「自然な死」については、日本語の字義どうりの「自然な死」と異なり、
その根底にはヒトが自然から分離している存在であるという考えがある。

「美しい自然の国」「自然を愛する国民」という言葉の裏にあるこの国の「自然」観についてと、
「自然な死」という事について改めて考える契機になった。

2012/10/15

2012年10月20日土曜日

121020 芋茎

 
芋茎のおひたし




wikiでずいきを調べると興味深い記事に出会った。
なじみの素材、瀬戸の陶器(白雲)の材料のドロマイト土が、口にしても無害という記事。

調理法 乾燥したもの
貯蔵に耐えるので備荒食糧に適する。加藤清正が熊本城の築城(現在の城より改築前に当たる)に際して篭城を予見して、畳の芯になる畳床(本来は藁床を用いる)や珪藻土とベントナイトもしくはドロマイト土(両方とも口にしても無害な土類)を主成分にした土壁にスサ(土壁に補強のために梳きこむつなぎ。本来は藁を用いる)として芋茎を用いた逸話がある(ベントナイトについては水分を吸うと膨らむ性質があるので乾パンの原料にも日中戦争以前より用いられてきた)。近年、災害時の非常食として、干した芋茎の利用が模索されている。


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ずいきのおひたし (2012年8月5日)

干しずいきと干しえび (2012年8月5日)


2012年10月12日金曜日

total recall

病院のソファーに寝ころがり、
iPS細胞の記事を読みながら、
記憶の再生について思索する。

働かなくなった
身体中の筋肉をすべてiPS細胞で再生したとして、
健康な筋肉の臓器に接続されたとして、
<未決>

iPS細胞で再生された筋肉が、
再び老化して、
再び交換できるとして、
そのつど、新たな経験による記憶が
筋肉にリセットされたとして、
<未決>

そして寿命がどんどん伸び、
人口増加が社会問題になり、
そのため人々が交換できる回数を取り決め、
取り決めによる再生回数が寿命になるとすれば、
<未決>

身体のほとんどの部位が再生されたとして、
その人固有の経験としての身体の記憶は、
再生可能か
そもそもその人固有ということが無意味になってしまい、
<未決>

記憶を必要として
写真を集めるレプリカント。

(2012/10/06)