2015年5月26日火曜日

2015年5月26日 fbより転載

 


少し早いが、収穫、剪定、熱中症。


コメント --------------
なかにし アケ
熱中症はいいねーじゃないけどね 収穫がいいねーお庭にあるのですか~
髙橋 栄
なんとも爽やかに見えますが、今の季節は体が暑さに慣れない様ですので、お気をつけ下さいませ^^;
橋本 公成
ガラクタ倉庫の敷地に3本植わってます。
熊笹や落ちたどんぐりが芽を出したり草刈が大変です。
日の出頃の予定が寝坊して、、暑さにバテました。
もう大丈夫です。冷たい梅ジュースはおいしいです。
大澤 綾乃
梅酒も作りましょう先生!
橋本 公成
梅酒作ります。作るのは、ばーちゃんです!
橋本 公成
梅ジャムも美味です。作るのは、ばーちゃんです!
橋本 公成
昨日32℃、今日の予報は34℃!昨日インドは45.5℃!

fb-橋本 公成
2015年5月26日


2015年5月22日金曜日

乳房はだれのものか~black breasts

2012

Translation work

カテゴライズされているジャンルをわかりやすい一つの概念でくくってみる。
芸術表現と呼ばれている絵画、彫刻、ビットアートなどを、すべて「翻訳の仕事」と考えてみる。


「翻訳」
Translation work


●近代西欧写生絵画
現実空間を網膜に映ったイメージをなぞる。筆、鉛筆などによって手で行う。

現実空間→網膜像→翻訳→

●宗教画
書物(聖書など)に記された教義を文字が読めない人にもわかりやすく伝えるためのメディア。

教義→言葉、物語→翻訳→意味を与えられたモチーフのイメージ

2015年5月21日木曜日

画中画(絵の中の絵)1.~モネのジャポネーズ


名古屋ボストン美術館で修復後のクロード・モネのラ・ジャポネーズを見る。
この絵には二種類の画中画(絵の中の絵)がある。
ひとつはこの絵をモネに描かせるきっかけになった着物の刺繍。もうひとつは背景の団扇である。


クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)」1876年 ボストン美術館蔵


■所見、画中画の画面効果

 モネ自身が語ったという、作品制作の動機である日本の着物の存在については見ればあきらかだが、それにしても着物を着ているカミーユのあまりの生気のなさはどうだろう、、、。
カミーユの眼差しは、この絵を見る者が、右に移動しても左に移動しても正面に立って見ても観客と視線が交わるのだが、その顔は図版の印刷で強調されているよりも背景の青緑灰色に溶け込んで平面的で背景に後退している。そのことがいっそう、この絵の中で生気溢れ描かれる着物の綿入れアップリケの武者絵を強調している。武者絵はそのポーズとあいまって、赤い地の着物の裾を踏みつけて力強く、画面平面から見るものの方に飛び出してくる。これは、この絵を見るものの視点がちょうど武者絵と同じくらいの高さであるのに対し、カミーユの顔は見るものの視線のはるか上にあることでより強調される。(大きな画面の絵はそれ自身が遠近法の影響を受ける。)力なく扇子を持って天(上)に突き上げられるカミーユの右手に対応する、武者の左手は力強く地(下)の方に踏ん張りをきかせている。
絵の中の絵である武者のアップリケがこの絵の中でもっとも立体的に描かれている。
カミーユの全身と赤い着物が表すS字形の上昇する構図が武者絵の動きで反復されるが、そのS字の動きは背景へ後退する赤い形と武者絵の前進する水色へと力の働く方向が拮抗する。
その二つのS字が交差するあたり、ちょうど武者が刀を抜こうとする右腕のひじ辺りで、背景の青緑灰色は武者の着物の色と同じ色になり遠景と近景が溶け込んでいる。あたかもカミーユの身体が着物によって透明になったようだ。背景の青緑灰色は補色である赤との対比によってカミーユの着物より後退して奥行きを表しているが、カミーユの臀部のあたりから流れ込む青緑灰色は武者の着物の色に彩度を上げながら手前に張り出してくる。赤との対比で後退していた青が画面中央から赤との対比で逆転し前進して見る者に近づいてくる。

もう一つの絵の中の絵、背景に貼られた団扇は絵画全体を平面化させる効果や多焦点による奥行き効果(ゴッホのタンギー爺さんのように <註1>)のためでなく、画面全体のS字構図にリズムをあたえるために用いられている。扇子はそこに描かれた絵柄が描写されているが、あくまで背景としてピントがぼかされている。着物の刺繍とははっきり異なる距離に存在するように描写される。
ゴッホの「タンギー爺さん」では絵の真ん中に座るモデルと背景に貼られた浮世絵が同じ強度とピントを合わせて描かれることで、絵の中の絵と、背景の前に座るモデルが同一平面の浅い奥行きの中に納まっているのと対照的である。


以前何かの図版で見た時は着物の赤全面に走る亀裂が無残であったような気がする。これは生乾きのバーミリオンの上にクリムソンレーキで薄塗りし、透明感のある赤で陰影を表す時の方法として古典的な手法であるが、印象が逃げないうちに画面に定着しようとする速筆での制作方法によっては不向きであったのであろうと推測される。絵画を構築する上での職人的手法は、印象が逃げないうちに画面に定着させようとする速筆に相容れない方法であったであろう。

この絵が「印象派」という名前の由来になった展覧会後に描かれたとされ、それ以前にサロンに出品され落選した大型の人物画「草上の昼食」(1863年)と異なるのは、光の反射表現である。この絵で震えるような筆致で表されるキラキラとした金色の部分であろう。「草上の昼食」における人物画が屋外での情景を描きながら、また、光の描写表現が強調されたものであっても、そのタッチは大きな平筆で力強く塗られ、ハイライトが明暗法で強調されてはいるが、それはあくまで暗部に対する明部としての対位法による光の描画表現であった。

この絵の中の金色の部分はモデルのカミーユがかぶっている鬘と着物の金糸で刺繍された部分である。細い筆で、オイルをあまり混ぜず、絵具を擦れさせながらなぜるように、反射する色(赤、緑、青)が集積される。特に、この絵のS字構図を大きく回転させる中心になる武者の着物に渦巻く金刺繍部分。古典的な布表現による赤い布部分とは対照的な描写技法である。





■謡曲「紅葉狩」~平惟茂の戸隠山での鬼女退治

 しかし、入口に展示されたモネの絵のモチーフになったであろう花魁の着物の再現は、観客が記念撮影するようにと展覧会を盛り上げるための単なる観客向けディスプレイであるのだろうが、もう少し何とかならなかったものか。
絵を見ればわかるように赤い布はこんな光り輝くサテン地ではなく赤く染められた木綿地(それとも絹?)ではなかったか。武者絵は単に布に刺繍したものでなく立体感を強調した綿入れのボリュームあるアップリケであったはずだ。そして日本が誇る画像データ解析技術をもってモネの元絵からすればこんな貧弱で滑稽な武者絵にはならなかったのでは。。。元の絵がほんとに西欧に持っていかれてしまったような残念感。。
この展示着物ではモネの制作意欲は湧かなかったであろう。


近年の研究でこの着物の絵柄が何を表しているかがわかったらしいことがカタログに記されている。<註2> 謡曲「紅葉狩」~平惟茂の戸隠山での鬼女退治をデザインした刺繍。平惟茂の命を狙う美女に化けた鬼を、惟茂が夢のお告げで退治する。

はたしてモネはその着物の物語を知っていたか?
妖艶な表情で描かれたカミーユは謡曲「紅葉狩」中の美女に化けた鬼を思わせる。
武者絵の模様(ジャポネ、当時の西欧から見た野蛮?)は美女に化けた鬼(カミーユのいる19世紀末、産業革命進行中の西欧世界)を今まさに切りつけようとしているようにも見える。と見るのは深読みのしすぎか?モネが知っていなかったとしてもその物語は今、この絵を見る時、象徴的に見える。もう一度、画面全体を見渡してみよう。(洋服を着て浮世絵に囲まれるゴッホの「タンギー爺さん」との比較。)
扇子、団扇、着物、茣蓙、画面にあるモチーフは日本のものばかりである。金髪のカミーユの顔以外は日本趣味で統一されている。カミーユ自身は黒褐色の頭髪であったということだから、金髪の鬘をかぶらなければより日本趣味で統一された画面になったはずだ。それなのにモネはあえて金髪の鬘をかぶせて日本でない事を強調する。エキゾチックは取り込む側による感覚である。文化的優位性を保持していなければならない。


背景から分断され、異なる文化にマッピングされる。
カミーユはそこにいる世界から分断されジャポネにペーストされる。
カットアップされた周辺文明のジャポネ(日本)は古代文明に起源する大きな西欧文明の歴史にペーストされ吸収される。


現実空間の光の反射を物質的な絵具=色へ変換し定着しようと光を追いかけたモネの印象派絵画。モネが震えるような金色の光の表現に熱中していた頃、日本ではそんなことに熱中しなかった。その頃、日本では光の反射を色ではなく反射する物質を用い、それ自身、光る絵画空間を作り上げていた。画面に金箔を貼り、きりがねや金泥を用いたそれ自身、光りを反射する絵画。



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<註1>
ゴッホ 「タンギー爺さん」 1887年 ロダン美術館蔵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%88%BA%E3%81%95%E3%82%93
<註2>
横山昭「モネと日本趣味 その一側面--<ラ・ジャポネーズの衣装から見えるもの>--」
神戸大学美術史研究会「美術史論集」第12号、2012年

参考文献
「ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展 印象派を魅了した日本の美」カタログ 2014年

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"The Confused Thinking Behind the Kimono Protests at the Boston Museum of Fine Arts"
by Seph Rodney on July 17, 2015  /HYPERALLERGIC

http://hyperallergic.com/223047/the-confused-thinking-behind-the-kimono-protests-at-the-boston-museum-of-fine-arts/?utm_medium=email&utm_campaign=The+Confused+Thinking+Behind+the+Kimono+Protests+at+the+Boston+Museum+of+Fine+Arts&utm_content=The+Confused+Thinking+Behind+the+Kimono+Protests+at+the+Boston+Museum+of+Fine+Arts+CID_55cafd380c26b8c28fa16931c4d039ee&utm_source=HyperallergicNewsletter

2015年5月19日火曜日

ガラスコップがガラスコップでいられる時をすぎても

80年のある日、西日が燦々と差し込むアパートの二階で机の上に置いてあったガラスコップに強烈な西日があたってキラキラと輝き、私はガラスコップがガラスコップである時に出会った。
即悟というようなものがこういうものだというような納得であり、どのような言葉だったか忘れてしまったが、川端康成が何かに記していたことと同じ体験のように感じた。まったくこういった感覚をとらえることに貧弱な私の言葉は無力である。



インテリアとホワイトキューブ

加藤志織氏が『現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展を見て』の中で以下のように記している。

「しかし、ほぼ既製の工業製品そのものである小便器や自転車の車輪を生活空間に置いたとしても、ただ日常の中に埋没するだけのような気がする。むしろレディ・メイドの作品などは、美術館という非日常的な空間にあってはじめてその真価を発揮するのではないか。」
引用元:http://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/?sora=9160   空を描く ≫ 芸術教養


しかしそれは、はたして工業製品のようなものを日常空間から芸術空間にインスタレートしたものだろうか?
私は、日常の中でも埋没しないそのものの存在というものがあるように思うのだ。むしろ、日常の中でこそ、その真価を発揮する、そのものとしか言いようのない存在。
ただそれは、いつもそうであるということではない。夢が醒めるように、一瞬の時が過ぎ去ればもとのガラスコップに戻ってしまい、再び出会うことはまれなことであるのだ。
それは空間の問題だけではない。

ブラタナベ ~ 今川と息長川




一級河川 今川



引用:

奈良時代の(756)天平勝宝八歳丙申(ひのえさる)の朔乙酉(つきたちきのととり)の二十四日戊申(つちのえさる)に、太上天皇(聖武)・天皇(孝謙)・太后(光明)、河内(かふち)の離宮(とつみや)に幸行(いでま)し、経信(ふたよあまり)、壬子(みずのえね)をもちて難波の宮に傳幸(いでま)す。三月七日に、河内国伎人郷(くれのさと)馬国人(うまのくにひと)の家にして宴(うたげ)する歌三首。
 4457 住吉(すみのえ)の浜松が根の下延(したは)へて我が見る小野の草な刈りそね
                                               兵部少輔 大伴宿禰家持
 4458 にほ鳥の息長川(おきながかわ)は絶えぬとも君に語らむ言尽(ことつ)きめやも    古新未詳
                                                  散位寮散位 馬史国人
 4459 葦刈(あしか)りに堀江漕ぐなる楫(かぢ)の音(おと)は大宮人の皆聞(みなき)くまでに
                                                   式部少丞 大伴宿禰池主
万葉集巻二十にある記述で題詞の 河内国伎人郷」と4458の歌に詠まれた「息長川」の所在を巡る論争が発端になり、「伎人郷に居住する馬国人が遠く離れた北近江を流れる息長川(現天の川)を詠み込む筈がない当時伎人郷の近くを流れる川に「息長川」と呼ばれる川が存在し、その川は現今川である」 また、「伎人郷」とは「現在の大阪市平野区喜連町である。この町に「北村某の家記」という古文書があり往古に息長氏が居住していた」という伝承がある、といわれています。
昭和三十四年、日本上古史研究会報において大阪樟蔭女子大学教授の今井啓一氏が
『息長氏異聞』と題する論文で喜連の息長氏について論じられ、これに対して大阪大学助手の八木毅氏が『万葉集の息長』と題する論文で反論されています。最近になってこの『息長川』が注目を浴びだしたのは東住吉区の郷土史家の方が『万葉集に詠まれた息長川は我が町の今川だった』と活発な『今川即ち息長川』説を唱えておられます。当初私もこの説に賛同して考察を始め喜連村誌・東成郡誌・大阪府史・市史等の記事内容から往古の息長氏喜連居住説を信じていましたが大阪市文化財協会(現研究所)の発掘調査報告書を読み現地を歩いてみると古代の地形環境や数少ない資料から村郡誌府市にある喜連の息長関連記事や喜連近辺の息長川存在説に多くの疑問があることを知りましたが、信頼できる資料が皆無に近く2次3次資料を参考に憶測することが多く合理的な論理をもって通説を完全に覆すことはできなかったことは残念ですが、発掘調査結果や関連する2次3次資料だけでも『今川=息長』説には疑問が山積することがお解かりいただけると思います。今後とも出来うる限り裏付けとなる資料の収集に努め考察を続けたいと考えております。 

住吉郡の初見史料は平城京跡出土木簡で(表)無位田辺史広調進続労銭伍佰文(裏)摂津国住吉郡神亀五年九月五日勘錦織秋庭と記されているもので、(733)天平五年の右京計帳にも住吉郡田辺郷戸主正七位上田辺史真立の名が見られます。この住吉郡田辺郷も「和名抄」には記載されていない郷ですが現在東住吉区に北田辺、田辺、南田辺。住吉区に西田辺の地名が存在し、この辺りではないかと思われますが古代の田辺郷との繋がりは不明です。下は『伎人郷』を取り巻く地域の古文書による国郡郷名を調べたものです。竹渕・賀美(加美)・三宅の各郷名は現在も実在しますが、百済郡南部郷の所在地については不明です。


東成郡誌北百済村(参照記事)----- 
息長川  
今川の舊河身なり。今川、舊河内川と称せり、河内丹北郡より流れて喜連村に入りて息長川と称せり。今の河身は、往古の流域と頗る異れるが為に、今川と称するなり。
 [万葉集]天平勝寶八歳丙申、二月朔乙酉二十四日戌申、太上天皇、皇太后、幸行於河内離宮経信々以壬子傳幸於難波宮也三月七日於河内国伎人郷馬史国人之家宴歌 にほ鳥の息長河は絶えぬとも君に語らむ言つきめやも   馬史国人


追記引用:大阪市東住吉区ホームページより

018 息長川(おきなががわ)
2022年12月19日

ページ番号:32784

河内国伎人郷(クレサト・現平野区喜連)の豪族、馬史国人(ウマノフヒトクニヒト)が万葉集の巻20-4458番に詠んだ、「鳰鳥(ニホドリ)の 息長川(オキナガガワ)は 絶えぬとも 君に語らむ 言(コト)尽きめやも」に見える息長川は、通説では近江の天野川とされていますが、河内の川という説もあり、私たちは現在の今川がその流れを汲むものだと考えています。
そして「この歌は古今和歌六帖に僅か一文字違いで、『君に語らふ 言尽きめやも』(読み人知らず)と詠まれている、古歌の引用である」とする通説に対して、私たちは国人の歌が本元で、これが詠まれた奈良時代中期(756年)より、150年も後に編纂された、「古今和歌六帖」に載っている歌の方が、万葉集の歌を引用したものであると考えています。
つまり、巻20-4458番に詠まれた「息長川」は、奈良時代末期から平安初期に至る度重なる大洪水で、息長川の水源となる馬池谷筋が埋まってしまったため、この歌が「古今和歌六帖」に詠まれた頃には、豊かな水量を維持していた「息長川」が姿を消し、何処の川か分らなくなったからだと考えています。{大阪春秋(平成20年(2008年)秋号、平成10年(1998年)10月、100~108頁)を引用}


また、源氏物語の夕顔の巻では、初めての道行きに、光源氏が夕顔に対して、何の説明もなく突然に「息長川と契り給ふよりほかのことなし」として、「末永い愛を誓って『息長川』を繰り返した」と「息長川」を引用しています。
文学界の通説ではこの台詞は、古歌を書き写した屏風絵や歌扇に書かれ、また鳰鳥の歌も歌人に広く詠まれていたため、「息長川」と言えば「誠実な恋」を意味するものと考えられていたようです。しかし国人の歌意は恋ではなく、客人・大伴家持の挨拶歌に対する答礼歌であった(鴻巣盛廣説)と考えられ、両方の歌は僅か一字違いで、全く異なった意味の歌であると考えています。







memo from Feb. 15 2015

"He or she must be in a nearly "orgasmic" state to produce it. Our word enthusiasm comes from Dionysian enthousiasmos, a wild state of holy inspiration.
Orgasm is a right-hemispheric function. Love is rooted in the right brain. Ecstasy is an emotion experience at the right of the corpus callosum."

..彼または彼女はそれを作ることはほぼ「オルガスム」状態である必要があります。
私たちの言葉で言う熱意はディオニシアンの熱意からきたもの、神聖なインスピレーション、野生の状態。
オーガズムは、右半球機能です。愛は右脳に根ざしている。エクスタシーは脳梁の右側にある感情の経験です。.

http://www.huffingtonpost.com/2014/10/24/leonardos-brain_n_6043970.html

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Why Do We Make Art? Author Explores The Depths Of Leonardo Da Vinci's Brain To Find Out
The Huffington Post By Katherine Brooks

Posted: 10/24/2014 8:52 pm EDT Updated: 10/27/2014 4:59 pm EDT

なぜ私たちはアートを作るのですか?著者は、見つけるためにレオナルド・ダ・ヴィンチの脳の深さを探る
Huffington Postの別  キャサリン・ブルックス
投稿日: 2014年10月24日8時52午後EDT 更新日: 2014年10月27日午後4時59分EDT

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"The good painter has to paint two principle things, that is to say, man and the intention of his mind. The first is easy and the second difficult."
Leonardo da Vinci, the man who pondered these thought centuries ago, was an innovator across art and science, who obsessed not only over the rigors of
beauty, but over the creative processes taking place deep inside his mind. Leonard Shlain, the late author and surgeon beloved for books like Art & Physics,
 seemed to pick up his mantle in the 20 and 21st centuries.

「優れた画家は2つの主要なものを描く必要があり、それは、男と彼の心の意思を言うことである。第一は、簡単かつ第二に困難である。」
レオナルド・ダ・ヴィンチ、これらの思考何世紀も前に熟考男は、芸術と美の厳しさを超えていないだけ取りつかれ科学、全体の革新者だったが、彼 ??の心の奥深くで起こる
クリエイティブなプロセスの上。レオナルド・シュレイン、後半著者およびのような書籍の最愛の外科医ア ??ート&物理学は、20と21世紀に彼の外套を拾うように見えた。

Shlain's most recent publication, Leonardo's Brain, posthumously released by Lyons Press this month, explores the ins and outs of Leonardo's creative mind,
focusing on the great artist's ability to utilize both the left and right sides of his brain.
Using "The Mona Lisa" master as his focal point, the author delves into the intersection of art and science, attempting to illuminate why and how humans
make art. Below is an excerpt from that book, taken from a chapter entitled "Fear, Lust and Beauty."

Shlainの最も最近の出版物、レオナルドの脳死後今月リヨンプレスによって解放は、彼の脳の左右両側を利用する偉大な芸術家の能力に焦点を当て、レオナルドの創造的な
心のインとアウトを探る。彼の焦点として「モナリザ」のマスターを使用して、著者はなぜ、どのように人間が芸術を作る照らすしようと、芸術と科学の交差点掘り下げ。
下記の章から取られたその本からの抜粋であり、「恐怖、欲望と ??美容は。」


leonardos brain
leonardos脳

Creativity is at its base a combination of fear and lust. Danger and sex are the fundamental processes that artists traditionally call upon to create a work of art.

創造性は、そのベースで恐怖と欲望の組み合わせです。危険と性別は、アーティストが伝統的に芸術作品を作成する際に呼び出して基本的なプロセスです。

Of course, he or she is not aware that these are the root causes.
もちろん、彼または彼女は、これらは根本的な原因であることを認識していません。

Creativity begins with perceiving a pattern, a feature, or an alternative use for a common object.
創造性は、パターン、機能、または共通オブジェクトのための代替使用を知覚することから始まります。

After recognizing something novel, the artist breaks down the observation into its component parts.
何かの小説を認識した後、アーティストはその構成要素に観測を分解します。

This is primarily a left-brained function, reductionist and analytic.
これは主に還元主義と分析左脳が関数である。

An artist will reassemble the pieces into a new and compelling manner that others will recognize as art.
アーティストは他の人がアートとして認識される新しい魅力的なやり方に作品を再構成します。

But the work of art must contain "passion." It must be a work of "love."
しかし、芸術作品は、 "情熱"を含まなければならない それは"愛"の仕事でなければなりません。

He or she must be in a nearly "orgasmic" state to produce it.
彼または彼女はそれを作ることはほぼ「オルガスム」状態である必要があります。

Our word enthusiasm comes from Dionysian enthousiasmos, a wild state of holy inspiration.
私たちの言葉の熱意はディオニソスから来るenthousiasmos、神聖なインスピレーションの野生の状態。

Orgasm is a right-hemispheric function.
オーガズムは、右半球機能です。

Love is rooted in the right brain. Ecstasy is an emotion experience at the right of the corpus callosum.
愛は右脳に根ざしている。エクスタシーは脳梁の右側にある感情の経験です。

The scientist does the same, but is interested in understanding how the parts relate to the whole.
科学者は同じことを行いますが、部品が全体にどのように関連するかを理解することに興味があります。

Whereas the scientist uses reductionism and synthesis in the service of advancing knowledge, the artist uses the same in the service of aesthetics.
科学者が知識を進めるサービスに還元主義および合成を使用し、一方、アーティストは美学のサービスで同じを使用しています。

The artist employs images and metaphors to interpret the relationships of reality; the scientist imposes numbers and equations on nature to express
relationships of reality.
アーティストは現実の関係を解釈するために、画像やメタファーを採用。科学者は現実の関係を表現するために、自然に数字や数式を課す。

The writer Vladimir Nabokov observed, "There is no science without fancy, and no art without facts."
作家ウラジーミルナボコフは「空想なくし、科学、そして事実なしなし芸術はありません。」

The revolutionary artist and visionary scientist are both fundamentally engaged in investigating the essence of reality.
観察 革命的な芸術家や先見の明の科学者は、両方の根本的現実の本質を調査に従事している。

A sense of beauty would not have evolved unless it gave humans an edge in the fight against other animals for resources.
それは資源のために他の動物との戦いで、人間にエッジを与えない限り、美意識は進化しなかったでしょう。

But, the question must be asked:
Of what conceivable benefit could it have been to be in awe of a gorgeous sunrise when the attention would have diminished one's alertness to danger?
しかし、質問は尋ねなければなりません。
考えられる利点は、注意が危険に自分の覚醒を減少しているだろうときゴージャスな日の出の畏敬の念にあるとされている可能性がものの?

Beauty is, unfortunately, one of those short, slippery, all-purpose words that resemble children's play bubbles.
美しさは、残念ながら、子どもの遊びの泡に似ているそれらの短い、滑りやすい、万能ワードの1つである。

The word beauty is used so commonly in so many different contexts that trying to grab ahold of the word is like trying to wrap you arms around a rainbow.
ワード美しさは言葉のネタをつかむしようとしていることは虹の周りにあなたの腕を包むしようとするようであることを非常に多くの異なった文脈でそう一般的に使用されて
いる。

The experience of beauty, like love and truth, is subjective.
美しさの経験は、愛と真実のように、主観的なものである。

Its qualia of nonobjectivity is the reason scientists have, for the most part, avoided getting stuck in this ambiguous word.
nonobjectivityそのクオリアは科学者たちが、大部分は、この曖昧な言葉で立ち往生避けてきた理由です。

Further reflections on beauty's definition, however, allows its breakdown into several different categories.
美しさの定義についてのさらなる反射は、しかし、いくつかの異なるカテゴリーにその内訳を可能にします。

There are three distinct kinds of beauty: sexual, natural and artifactual. (An artifact here is something crafted by the human hand.)
性的、自然と人為:美の三つの異なる種類があります。(アーティファクトここでは、人間の手によって作ら何かである。)

These three categories overlap each other.
これらの三つのカテゴリーが重なる。
...


The third category, artifactual beauty, is the oddest.
第三のカテゴリー、人為的な美しさは、奇妙である。

While humans are among a multitude of other creatures that fashion tools for a particular use, we appear to be the only animals concerned that the tool
we make is aesthetically pleasing.
人間は他の生き物の多数の中であるが、そのファッションのツールは、特定の用途のために、我々は作るツールは美的であることを懸念して唯一の動物であるように見える。

From artisanal toolmaking, humans progressed to becoming artists.
職人工具製作から、人間は芸術家になることに進行した。

The objects they created increasingly had less and less practical value, until the artist was motivated to make something beautiful that was not
utilitarian: art for art's sake.
芸術家だった美しいもの作るやる気になるまで、彼らが作成したオブジェクトは、ますます、少なく実用的な価値を持っていません芸術のための芸術:功利を。

But why would someone devote time and energy to create something that could not be used in any capacity other than to evoke a response in the viewers or
the artists themselves? Why do we seek beauty for beauty's sake?
しかし、なぜ誰かが視聴者やアーティスト自身で応答を喚起するため以外の容量で使用することができなかった何かを作成するための時間とエネルギーを費やすだろうか?
なぜ我々は美しさのために美しさを求めていますか?

The adaptation of what we call "appreciating beauty" begins with sexual attraction.
私たちは「美を鑑賞」と呼んでいるものの適応は性的魅力で始まる。

How humans sublimated one of the instinctual drives, originally intended to heighten procreation, into an urge that propelled Leonardo to paint
The Last Supper is instructive.
どのように人間は本能的なドライブのいずれかを昇華させ、もともとペイントするレオナルドを推進衝動に、生殖を高めることを意図し最後の晩餐は有益である。

It will lead to an understanding of how the quest for beauty became an integral part of human creativity.
それは、美しさのための探求は、人間の創造性の不可欠な部分になったかの理解につながる。

Leonard Shlain died in May 2009 at the age of 71 from brain cancer shortly after completing this book.
レオナルド・シュレインは、まもなくこの本を完了した後に脳腫瘍から71歳で2009年5月に死亡した。

We present this excerpt courtesy of his family, including Founding Editor of HuffPost Arts, Kimberly Brooks. 。
我々を含む、彼の家族のこの抜粋の礼儀を提示HuffPost芸術の編集者、キンバリー・ブルックスを設立。

Leonardo's Brain is available through Lyons Press.
レオナルドの脳はを通して利用可能であるリヨンプレス。


EARLIER ON HUFFPOST:
以前HUFFPOST上:

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Enthusiasm  熱意
From Wikipedia, the free encyclopedia  ウィキペディア(無料の百科事典)から
A visitor appreciates a piece of art from Alex Grey
訪問客は、アレックス・グレーから芸術を評価します

Enthusiasm originally meant inspiration or possession by a divine afflatus or by the presence of a god. Johnson's Dictionary, the first comprehensive
dictionary of the English language, defines enthusiasm as "a vain belief of private revelation; a vain confidence of divine favour or communication."
In current English vernacular the word simply means intense enjoyment, interest, or approval.
熱意は、当初、神のインスピレーションによって、または、神の存在によってインスピレーションまたは所有を意味しました。ジョンソンの辞典(英語の最初の包括的な辞書
)は、熱意を「個人的な意外な事実の無駄な信念」と定義します;神の支持またはコミュニケーションの無駄な信頼。」現在のイギリスの方言では、語は単に激しい楽しみ、
関心または承認を意味します。

Originally, an enthusiast was a person possessed by a god. Applied by the Greeks to manifestations of divine possession, by Apollo (as in the case of the
Pythia), or by Dionysus (as in the case of the Bacchantes and Maenads), the term enthusiasm was also used in a transferred or figurative sense. Socrates
taught that the inspiration of poets is a form of enthusiasm.
当初、熱心な人は、神に取りつかれる人でした。ギリシア人によって神の所有の現れに適用されて、アポロ(ピュティアの場合のように)によって、または、ディオニュソス
(BacchantesとMaenadsの場合のように)によって、学期熱意が、移されたか比喩的な感覚でも使われました。ソクラテスは、詩人の激励が熱意の形であることを教えました。

Its uses were confined to a belief in religious inspiration, or to intense religious fervour or emotion. Thus, a Syrian sect of the 4th century was known as
 the Enthusiasts. They believed that "by perpetual prayer, ascetic practices and contemplation, man could become inspired by the Holy Spirit, in spite of
the ruling evil spirit, which the fall had given to him". From their belief in the efficacy of prayer, they were also known as Euchites.
その用途は、宗教的なインスピレーションに対する信頼に、または、激しい宗教的な熱情または感情に限定されました。このように、4世紀のシリアのセクトは、
Enthusiastsとして知られていました。彼らは、「永久の祈り、禁欲的な実行と熟考によって、支配的な悪魔にもかかわらず、人は聖霊の影響を受けることができました。
そして、それを落下は彼に与えました」と思っていました。祈りの有効性に対する彼らの信頼から、彼らはユーカイトとしても知られていました。

Several Protestant sects of the 16th and 17th centuries were called enthusiastic. During the years that immediately followed the Glorious Revolution,
"enthusiasm" was a British pejorative term for advocacy of any political or religious cause in public. Such "enthusiasm" was seen in the time around
1700 as the cause of the previous century's English Civil War and its attendant atrocities, and thus it was an absolute social sin to remind others of
the war by engaging in enthusiasm. The Royal Society bylaws stipulated that any person discussing religion or politics at a Society meeting was to be
summarily ejected for being an "enthusiast."[citation needed] During the 18th century, popular Methodists such as John Wesley or George Whitefield were
accused of blind enthusiasm (i.e. fanaticism), a charge against which they defended themselves by distinguishing fanaticism from "religion of the heart."

16、17世紀のいくつかのプロテスタントのセクトは、熱心であると言われました。名誉革命にすぐに続いた年の間に、「熱意」は人前でどんな政治であるか宗教的な原因の
支持の英国の軽蔑的な語でもありました。そのような「熱意」は1700年ごろ時間に前の世紀のイギリス大内乱とその付随する極悪さの原因として見られました、そして、
このように、熱意に係わることによって他に戦争を思い出させることは絶対の社会的罪でした。王立協会条例は、協会会議で宗教または政治を検討している誰でも
「熱心な人」であるために即座に放り出されることになっていると規定しました。18世紀めDuring、ジョン・ウェスリーのような人気のメソジストまたはG・ホワイトフィー
ルドは、衝動的な熱意(すなわち熱狂)(彼らが熱狂と「心臓の宗教」を区別することによって身を守った料金)で非難されました[要出典]。


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http://referenceworks.brillonline.com/entries/brill-s-new-pauly/enthousiasmos-e12221560

http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,een_ja,bT,uaHR0cDovL3JlZmVyZW5jZXdvcmtzLmJyaWxsb25saW5lLmNvbS9lbnRyaWVzL2JyaWxsLXMtbmV3LXBhdWx5L2VudGhvdXNpYXNtb3MtZTEyMjIxNTYw

Enthousiasmos(545の語)
TH.SCH.
TH.SCH.
[German version]
[ドイツ語版]

In Greek religion enthusiasm (?νθουσιασμ??/enthousiasmos) refers to being taken by a higher power, usually personified by the gods (cf. θειασμ??/theiasmos, ‘inspiration’; ?νθεο?/entheos, ‘possessed by god’). The individual leaves an ordinary state and enters one that is determined from without and strange, to being no longer ‘him- or herself’ (?κστασι?/ekstasis; cf.  Ecstasy). What humans achieve in this state, which is experienced as paranormal, is god-given (cf. Heraclitus [1] fr. 22 B 92; B 93 DK;  Pythia [1]). How this possession (katok?ch?, Pl. Phdr. 24…
ギリシアの宗教において、熱意(?νθουσιασμ??/enthousiasmos)はより高い大国によってとられることに言及します。そして、通常神によって象徴されます、(参照θειασμ??/theiasmos、『インスピレーション』;?νθεο?/entheos、『神に取りつかれた』もの)。もはや『him-または自分自身』でないことに、個人は常態を残して、外で決定されて、奇妙であるものに入ります(?κστασι?/ekstasis;参照エクスタシー).人間がこの州(超常的であるように、それは経験があります)において成し遂げるものは、神から与えられています(参照ヘラクレイトス[1] fr。22のB 92;B 93DK;ピュティア [1]).この所有はどうです(katok?ch?、プレース。Phdr。24…

人間がこの状態(超常的であるように、それは経験されます)において成し遂げるものは、神から与えられています。


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Lecture 8: Dionysus
講義8:ディオニュソス



I. Dionysus / Bacchus = Liber
I. ディオニュソス/バッカス=公文書

A. Origins and Family
A. 起源と家族
1. Zeus + Semele ==> Dionysus, "the son of Dios"?
1. +ゼウス・セメレー==> ディオニュソス、「ディオスの息子」?
Semele and Hera; Birth: Incubation in Zeus' thigh
セメレーとヘラ;出生: ゼウスの腿のインキュベーション
Ino, Athamas, and Melicertes
イノ、AthamasとMelicertes
Nymphs of Nysa
妖精 ニュサ
2. Vegetation god (cf. Osiris, Duzumi, Adonis, Attis, Persephone) / death and rebirth
2. 植物神(参照オシリス、Duzumi、アドニス、Attis、 ペルセフォネ)/死、そして、再生、

Near Eastern origins
近い東部起源
Bronze Age evidence (1400 BC): need to make Dionysus the outsider
青銅器時代証拠(紀元前1400年):ディオニュソスを部外者にする必要
Principal partner: Ariadne (four sons on Lemnos)
主要なパートナー:Ariadne(Lemnosの上の4人の息子)
B. Functions
B. 機能

1. Life-giving liquids (wine, blood, sap, semen) (Bacchae p. 284, 296)
1. 生気を与える液体(ワイン、血、樹液、精液)(バッカスの侍女284ページ、296)
2. Fertility, esp. trees: Dionysus Dendrites
2. 豊かさ、特に木:ディオニュソス 樹枝状結晶

3. Irrationality and the release from restraints
3. 不合理と制限からの解放

4. Theater
4. 劇場

C. Attributes
C. 属性

1. Vines, grapes, wine, ivy
1. つる、ブドウ、ワイン、ツタ
2. Thyrsos
2. Thyrsos

3. Maenads = Bacchae
3. マイナデス = バッカスの侍女

4. Satyrs, sileni or Silenus
4. サチュロス(セイレーノス)、または、 シーレーノス

5. Panther and Goat
5. パンサー、そして、 ヤギ

D. Places of worship
D. 崇拝の場所

1. Extensive. Athens
1. 広範囲な。アテネ
E. Cult
E. カルト

1. Elements: ritualized ecstasy and release
1. 要素:儀式化されたエクスタシーとリリース
Leaving city, especially women, in a "thiasos" (Bacchae p. 282)
去ること 「thiasos」(バッカスの侍女282ページ)の都市、特に女性、
Enthousiasmos / ekstasis / mania (Bacchae p. 301)
Enthousiasmos/ekstasis/マニア(バッカスの侍女301ページ)
Sexual freedom: orgies (Bacchae p. 286)
性的な自由: パーティー(バッカスの侍女286ページ)
Dancing (Bacchae p. 282, 283, 285)
ダンス (バッカスの侍女282ページ、283、285)
Wine but serious worship, "entheos" (Bacchae p. 285-6)
重大な崇拝(「entheos」(バッカスの侍女285-6ページ))以外のワイン
Omophagy; tearing animals apart = communion with the god (Bacchae p. 284; 306)
Omophagy; 神との引き裂く動物別々の=交わり(バッカスの侍女284ページ; 306)
Suckling animals (Bacchae p. 296)
乳飲み子 動物(バッカスの侍女296ページ)
Transvestitism (Bacchae p. 301)
Transvestitism(バッカスの侍女301ページ)
Return and release: Dionysus Lysius (Bacchae p. 309-10)
復帰とリリース:ディオニュソスLysius(バッカスの侍女309-10ページ)
Rituals institutionalized into festivals (Athens = Dionysia: includes procession, theater, other rites)
フェスティバルに施設に収容される儀式(アテネ= ディオニソス祭:行列、演劇、他の儀式を含みます)
F. Major myths
F. 大きな神話

1. Myths of Dionysus' travels
1. ディオニュソスの旅行の神話
Hera drives Dionysus mad
ヘラは、ディオニュソスをイライラさせます
Picks up elements of cult from Cybele
カルトの要素をキュベレから拾います
Midas
ミダス
Conquests
征服した土地
Rescue of Semele from Hades
黄泉の国からセメレーの救出
2. Myths of rejection and punishment
2. 拒否と罰の神話

Lycurgus, Minyads, Proetids
Lycurgus、Minyads、Proetids
Homeric Hymn to Dionysus
ホメロスのHymnはそうします ディオニュソス
Euripides' Bacchae
エウリーピデースのバッカスの侍女
3. Zagreus
3. Zagreus

II. Euripides' Bacchae
II。エウリーピデースのバッカスの侍女

A. Introduction to Greek tragedy
A. ギリシアの悲劇への導入
1. Origins:
1. 起源:
Dithyramb
ディテュラムボス
Cult
カルト
Thespis (6th c. BC) and the three great tragedians: Aeschylus, Sophocles, Euripides (5th c. BC)
テスピス(第6のc。BC)、そして、3人の偉大な悲劇作家: アイスキュロス、ソフォクレス、エウリーピデース(第5のc。BC)
2. Festival of Dionysus (every March)
2. ディオニュソス(あらゆる行進)のフェスティバル

Religious
信心深い
Civic
シビック
Artistic
芸術的な
Competitive
競争的な
3. Theater of Dionysus (Reconstruction)
3. 劇場 ディオニュソス(再建)

Outdoors (seats about 17,000)
屋外(17,000についての席)
Parts: orchestra, skene, cavea, parodoi
パーツ:オーケストラ、スケネ、cavea、パロドス
Three actors and chorus of 24 men, accompanied by aulos, "flute"
24人の男性(アウロスが付随する)の3人の俳優とコーラスは、「フルートを吹きます」
All male performers
すべての男性のパフォーマー
Masks
マスク
4. Reoccurring elements:
4. 再発生している要素:

Messenger speeches
メッセンジャー・スピーチ
Agon
葛藤
Long speeches and stichomythia
長いスピーチと隔行対話
Tragic warner (Cadmus, Tiresias, Stranger in Bacchae p. 288)
悲劇の警告者(カドモス、テイレシアス、バッカスの侍女288ページのStranger)
B. The Bacchae
B. バッカスの侍女

1. Structure
1. 構造
2. Themes and Interpretations
2. テーマと解釈

Xenia (Dionysus as Xenos = god in disguise motif): rejection ==> subversion of civilization: woman vs. men, city vs. country, etc. ==> destruction of ruling oikos ==> sacrificial killing ==> institution of polis cult
ジーニア(変装のモチーフのクセノス=神としてのディオニュソス): 拒否==> 文明の転覆:女性対男性、都市対国、その他==> 支配するoikosの破壊==> 犠牲の殺害==> 警察官カルトの設立
KEY: The whole polis must receive Dionysus
キー:全ポリスは、ディオニュソスを受けなければなりません
Ambiguity (p.300): "The god is the most terrible to mortals and the most gentle"
曖昧さ(300ページ):「神は人間に最もひどくて、最も穏やかです」
Rationality vs. irrationality in religion (Bacchae p. 285, 287, 311)
宗教(バッカスの侍女285ページ、287、311)の合理性対不合理
--Web Reading: Rome 186 BC (Livy, Book 39, 8, 13)
-読んでいるウェブ: ローマ186紀元前(リヴィ、本39、8、13)

Mediator between humans and the gods (Bacchae p. 286-7) (cf. Demeter)
人間と神(バッカスの侍女286-7ページ)(参照デメテル)の間の調停者
Culture vs. nature or the Apollonian vs. Dionysian (Nietzsche)
文化対自然または非常な美男子対 Dionysian(ニーチェ)


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An impression of how the skeleton of a blue whale will look in the central hall of the Natural History Museum in London.
A plaster-cast model of a Diplodocus skeleton is to be moved out after 35 years and from summer 2017,
it will be replaced with the whale skeleton, which was bought for £250 in 1891



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http://hyperallergic.com/167959/the-original-renaissance-man-and-his-brain/?utm_medium=email&utm_campaign=Photographers%20Expose%20Their%20Processes&utm_content=Photographers%20Expose%20Their%20Processes+CID_f49297118761d06f55f56867304d2512&utm_source=HyperallergicNewsletter&utm_term=The%20Original%20Renaissance%20Man%20and%20His%20Brain

A third book, Sex, Time & Power: How Women’s Sexuality shaped Human Evolution offered yet another pro-feminist emphasis.
Arguing that natural selection had aligned women’s menstrual cycles with the periodicity of the moon,
Shlain theorized that women were seen as being imbued with the dual powers of sex and time,
a situation that had aroused male jealousy and an attempt to “reclaim” these powers.
The end result, in Shlain’s view, was the historically dominant and flawed institution of patriarchy.

3番目の本、セックス、タイム&パワー:人間の進化形の女性のセクシュアリティは、どのようにさらに別のプロフェミニスト重点を提供した。
自然選択が月の周期で、女性の月経周期を揃えていたと主張し、
Shlainは、女性が男性の嫉妬とこれらの力を「取り戻す」しようとする試みを呼んでいた性別や時間、
状況のデュアルパワーを吹き込まれていると見られたことが理論。
最終結果は、Shlainの見解では、家父長制の歴史的に支配し、欠陥のある施設でした。



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http://hyperallergic.com/121113/research-reveals-artists-brains-may-be-structured-differently/?utm_medium=email&utm_campaign=Research%20Reveals%20Artists%20Brains%20May%20Be%20Structured%20Differently&utm_content=Research%20Reveals%20Artists%20Brains%20May%20Be%20Structured%20Differently+CID_7f0dea6a642b757fe35e7540353a6bea&utm_source=HyperallergicNewsletter

Research Reveals Artists’ Brains May Be Structured Differently


2015年5月7日木曜日

ズクビキ (木菟びき)、擬攻撃

カラスは自分より大きな鳥が現れると猛禽類などにも嫌がらせを仕掛け追い払おうとします。彼らはいつも一羽ではなく、二羽で、あるいはそれ以上の集団でやってきます。
カラスは同時に小鳥類からモビング(擬攻撃)を受けます。






一方で、このモビング(擬攻撃)を利用した狩猟法=木菟びき(ずくびき)というものがあります。フクロウやミミズクを囮にカラスを捕らえる狩猟法で、信州上田のあたりでは「カラス田楽」なる食べ物があったそうです。「ズクビキ」ば、大量のカラスや小鳥類を捕ることができる狩猟法です。
「ズクビキ」を知ったのは白土三平のカムイ伝でしたが、私は実際に1982年12/30に庄内川アサヒビール工場付近の河川敷で、その狩猟法を想像させる異様な擬攻撃に遭遇しました。
河川敷両岸に集結したカラス数十羽と数百のムクドリの群れがギャーギャーとこの世ならざる声で騒ぎ立てている様子に何事かと河川敷に降りてゆくと潅木のなかに、つがいのトラフズクが身を潜めていました。一歩踏み込むと均衡は壊れ、トラフは飛び立ち、それに反応したカラスがいっせいにトラフめがけて攻撃を仕掛けに追い回しはじめた。500mレンズを構えた私の目の前をその群れは猛スピードで通り過ぎ、上空高くまでトラフを執拗に追い詰めて行く光景は今でも忘れられません。











from 1982 DEC. 30  notebook

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「パナマにはパナマの、中川には中川の¥為がある」
vol.001 # mobbing / 集団的自衛権 烏田楽  (2016年10月27日)
https://panamaxnakagawa-entame.blogspot.com/2016/10/vol001-mobbing.html


2015年5月6日水曜日

掟破りのワラビパスタ



ノーマルなイタリアンに飽きたので新しい味を追求します。
というと聞こえが良いが要は残り物パスタ。

あり合わせで作るワラビパスタ
アンチョビの代わりのウルメいわし3尾、炙ってから裂いてオリーブオイル、タカの爪で弱火。
隠し味にアサリしぐれを湯どおしして入れる。
生しいたけ2個、裂いて炒め、塩茹でしたワラビを加え、茹であがったパスタとあえる。
今年は愛知県のアサリは全滅。
ワラビで行く春の味を。

fb-橋本 公成
2015年5月6日