17:52 JPT |
19:21 JPT |
18:12 JPT |
『ねぇ、ママ 1回かかっても、またかかるとか、何回もかかるっていうのは、いわゆるふつうのカゼと同じじゃないの? なぜみんなそんなあたりまえのことにきづかないの?』
『そうねぇ、ぼうや、落ち着いて考えたらおかしなことだとみんな気づくはずなのに不思議ねぇ。』
『 むすこよ、お前にはまだ難しいかもしれんが、Fake news とわかっていても、世の中がそちらに動き出せば、その架空の物語に沿って行動しなけりゃ経済的恩恵も受けられず、生きてゆくことさえできなくなるのさ。父さんも、フェイクとわかっていても生きていくために給付金の申請をしてお金を受け取ってしまった。だから、今になってはもう無いとは言えないんだ。ないことを証明することはあることを証明するより難しいのさ。大きくなったらおまえにもわかる。』
『どおして?! どおして「王様は裸だ!」 って言ったらいけないの?!』
『それが物事が成立するということだよ。』
『文明とは物事が成立したことによって成り立っている。
そして、成立したものが歴史というのだよ』
"Breath" 1999 kiminari Hashimoto |
夜中に目が覚めるとラジオがBD爺さん確定のニュースを伝え、あぁ~と落胆しながら再び寝入ってしまったが、5時間後に起きるとUSメディアが一斉に勝利を伝えている。
あぁぁなんということだ。
裸の王様は寅さんではなく、寅さんこそが「王様は裸だ!」とfake news teams の仕掛けた世紀最大の虚構のオフレコを暴いたのだ。
時にその虚構を利用しながら、時に自身がその被害者になってみせながら。しかし梅爺チームの結束はあらゆる組織に入り込んで戦う相手としては巨大すぎるし、4年間のうちに寅さんの唯一の情報発信だった公正だと思っていたプラットフォーマー痛痛ア~も発言を検閲するパブリッシャーに変わってしまっていた。
一週間前、大阪市区の赤と青に区分された投票結果に一喜一憂したが、覚悟のなさを、潔さにミスリードさせる結果後の記者会見を見て、反対を望んだのは正しかったと安堵したが、陣取り合戦に見せかけた世界戦争とは、あきらかに次元が異なっている。
寅さんは梅爺さんとプロレスしていたのではなく、4年前からFake news teams と戦っていたし、今も戦っている。
4.July 2020- 12:00 |
“..now that the precedent has been set, on-line education could become the norm, not the exception. Or, that in-person versus online could eventually become the difference between private and public education, which would only serve to exacerbate the wealth and access-to-culture gap between the haves and the have-nots,”
「..今や先例が決まったので、オンライン教育は例外ではなく標準になる可能性があります。または、その対面対オンラインが最終的に私立と公立の教育の違いになる可能性があり、それは富と文化へのアクセスへのアクセスを持っている人と持っていない人の間のギャップを悪化させるだけです」
Art Students Demand University Accountability and Reimbursements During Pandemichttps://hyperallergic.com/549734/art-students-covid-19/?fbclid=IwAR04KHcmxTpACIUMREupP68qTQlZwH4mIKHjr9E_8NZO5Kpvf0AnSVZtBKQ
Students at some of the most renowned art universities in the country, including the Rhode Island School of Design, Yale, and NYU Tisch, are sounding alarm bells about their schools’ handling of the COVID-19 crisis.Valentina Di Liscia March 27, 2020
時の流れに身をまかせ
あなたの色に染められ
一度の人生それさえ 捨てることもかまわない
(作詞:荒木とよひさ)
「シュレディンガーの猫」は箱を空けるまで生きているか、死んでいるかわからない。未観測の段階で「猫」は生きてもいるし、死んでもいる。武漢由来ウイルスの感染者の数字は、検査数が少ない地域、検査自体行われていない地域を考えると「シュレディンガーの猫」のようである。たとえ陰性の検査結果であってもウイルスがヒト個体内に「無い」というわけではなく、設定された陰性基準の数値検出ができないレベルであり、ウイルスがあれば生き続けるという。WHOのパンデミック声明ーヒト個体のアクチャルな移動の制限(グローバリズムの強制終了、派生する大戦前の世界大恐慌へのリアルな予感)のなか、ウイルスと情報はグローバルに越境し続ける。
「記憶は保持されているというのは幻想である。
記憶は、あることを思い出した時点で、たった今、作り直されている。
鮮やかな記憶とは、繰り返し繰り返し呼び出し強化している自己愛的回路の変形といえる。」
伝承によれば、聖徳太子は四天王寺に「四箇院」(しかいん)を設置したという。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つである。敬田院は寺院そのものであり、
施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための今日でいう社会福祉施設である。
天平の疫病大流行は、735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。ある推計によれば、当時の日本の総人口の25–35パーセントにあたる、100万–150万人が感染により死亡したとされている。天然痘は735年に九州で発生したのち全国に広がり、首都である平城京でも大量の感染者を出した。737年6月には疫病の蔓延によって朝廷の政務が停止される事態となり、国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死した。天然痘の流行は738年1月までにほぼ終息したが、日本の政治と経済、および宗教に及ぼした影響は大きかった。
背景
日本の中央政府は、8世紀初頭までに中国にならった疫病のモニタリング制度を導入しており、国内で疫病が発生した際には朝廷への報告が常に行われるよう公式令で定めていた。
この制度の存在により、735–737年に発生した疫病の際にも詳細な記録が残されることとなった。それらの記録は『続日本紀』他の史料に残されており、流行した疫病が天然痘であったことを伝えている。
余波
東大寺大仏殿。盧舎那仏像(奈良の大仏)は天平の疫病大流行の後、聖武天皇の命によって建立された。政権を担っていた藤原四兄弟が相次いで病死した後、彼らの政敵であった橘諸兄が代わって国政を執り仕切るようになった。天然痘の終息から数年後には、農業生産性を高めるため、農民に土地の私有を認める「墾田永年私財法」が施行されたが、これは疫病によるダメージからの回復を目指す社会復興策としての一面が強かった。
当時、災害や疫病などの異変は為政者の資質によって引き起こされると見なす風潮があり、天然痘の流行に個人的な責任を感じた聖武天皇は仏教への帰依を深め、東大寺および盧舎那仏像(奈良の大仏)の建造を命じたほか、日本各地に国分寺を建立させた。
盧舎那仏像を鋳造する費用だけでも、国の財政を破綻させかねないほど巨額であったと言われている。