2021年12月22日水曜日

211222 スキー場での視界

 

体験者と観察者の視界

体験者=観察者の視界



2021/12/22 note


 理屈的に言って30度の傾斜は90度垂直に比すればゆるいものだ。
 しかし、体験者=観察者の場合、それは垂直に飛び込むような視界に変わる。








日本の女子ゴルファーが海外メジャーで強く活躍する選手に共通してることは身長150㎝少々で、足が長いとは言えない体形。このことによって球をとらえる視界から考えれるのではという仮説を立ててみた。



2021/8/22 note



 スキー場での視界は、このこととの関連で考察。






そしてこの2年、現実の切り取られた情報による「恐怖心」についての社会状況にも共通していると思える。




2021年12月10日金曜日

211210 大草

 

05:16 起床時まあまあ










06:47 出かける準備

07:57  中部大近くいつものコンビニでコーヒー休憩

08:34 到着
急な労作が呼吸パニックを引き起こすので、だましだましゆっくりと出勤。
寒いからと発作を起こすわけではない。
今朝は95%だったしまあまあ









2021年12月1日水曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その2)

 

8年前の投稿をfacebookが知らせてきた。
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https://www.facebook.com/kiminari.hashimoto/posts/566359226776687
橋本 公成  2013年12月1日投稿 プライバシー設定: あなたの友達
片目で見るとリアルなダイオラマ。20年間放置していた両眼視について、思考を再開しよう。
西山 禎泰, 杉山 健司, 加藤 令吉, 高橋 和生, 大平 隆文, 鈴木敏春, 松本 知子

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https://www.facebook.com/masakimuseum/photos/a.133393193499771/213260528846370/
正木美術館 2013年10月29日投稿 公開  

「カリフォルニア コンドル」と杉本博司氏、鈴木芳雄氏。

物黒無の名付け親・杉本博司氏が、展覧会「物 黒 無―モノクローム」をみに来てくださいました!

展示室の杉本作品と杉本コレクションも、生みの親の訪問に、少々緊張しているかのよう…。

11月5日(火)の東京レクチャー 
http://masaki-art-museum.jp/20131018_masaki.pdf 
で、モデレーターをつとめていただく鈴木芳雄氏も、時間をあわせ、来てくださいました。
みなさま、外苑キャンパスでおめにかかれますよう! 
コメント10件
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>高橋 和生(8年前)
心理学ですか。少しかじろうと、図書館で借りて・・・・無理でした。騙し絵の方が楽しいです。(^◇^)

>橋本 公成(8年前)
この画像の掛け軸は現代美術家の杉本博司氏の写真作品です。アメリカ自然史博物館のダイオラマを写したものです。
20数年前、映像の歴史に興味を持っていた私はダイオラマと2つのCCDカメラ、そのライブカメラから取り込んだ観客の映像を出力する2つのブラウン管を遠近法的にダイオラマに合成する装置を発表しました。
その装置は両眼視についての思考以外のほかに多くの要素を含んでいたため、その後の私の作品は複数の興味に分散し両眼視については放置され忘れていたのですが、先日この作品を評価してくれていた人から両眼視についてあらためて気付かされたのでした。
そんな時に今朝、日曜美術館の展覧会紹介のコーナーで正木美術館で開催中の展示で杉本博司氏のこの作品説明でダイオラマと両眼視、単眼視(カメラによる視覚)のことに触れられ忘れそうになっていたことを又、思い出したのです。

>橋本 公成(8年前)

杉本博司氏のwiki、下記にダイオラマに関する部分抜粋  

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%8D%9A%E5%8F%B8?fbclid=IwAR3bxp3T_c6G0ua2SxiZLoAo3cWjp9sEK0GmF5DRBlK17JucvBq59nTd8iA

..最初のシリーズの『ジオラマ』では、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮った。
片目を閉じた「カメラの視覚」のもとでは、両目で見ると模型だと分かるジオラマが遠近感の喪失によりリアルに見える、という発見からこのシリーズは始まっている。
精巧なジオラマを本物に見えるよう注意深く撮ったシリーズは、「写真はいつでも真実を写す」と考えている観客には一瞬本物の動物や古代人を撮ったように見えてしまう。..



>高橋 和生(8年前)
現実化してみせるには、遠近法。これは私の世界でも。両眼視は、遠近感の為に必要ではあるが、片方の眼だけでかえってジオラマを現実化してみせられるということ。
で、いいのかなあー?
さすれば、他の遠近法を使っていみているのでしょうが、ハテサテ?E.T.ホールの本をよみかえします。

>橋本 公成(8年前)
E.T.ホールの何ていう本ですか?

>橋本 公成(8年前)
エドワードホールの「かくれた次元」でしょうか?昔、本棚にあったような。。

>橋本 公成(8年前)
産業革命とともに始まる人間の大移動、大観光時代と写真、イメージ、視覚について書かれた伊藤俊治著「ジオラマ論」があります。


>橋本 公成(8年前)
20年前から放置された装置です。









>杉山 健司(8年前)
凄く面白そうな話!今度会ったら、このことについて話をぜひ!

>橋本 公成(8年前)
>杉山さん まだ、直感的に思いついたことを試している段階です。何らかの成果に結実するのか?

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「古い3D」と「新しい3D」(その1) 2021年11月7日日曜日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2021/11/dd.html


2021年11月16日火曜日

211116 四十数年ぶりに源氏物語絵巻を見に行く。


 
学生の頃、石川県立美術館で見て以来、四十数年ぶりに源氏物語絵巻を見に行く。
前回見たときはどのような展示だったか記憶が薄れて思い出せないが、その時買った「第四十帖 御法」の印刷図版がずっと額に入って手元にある。当時は昭和7年に額面装になってからの展示だったようだが、装丁板に引っ張られて痛みがひどいことから巻子装に戻されたとのことで、早々に見に行く。


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「修復完了記念 館蔵全巻特別公開 国宝 源氏物語絵巻」

2021.11.13 (土) ~ 2021.12.12 (日)

徳川美術館所蔵の国宝「源氏物語絵巻」は、『源氏物語』を絵画化した現存最古の物語絵巻で、平安の王朝文化を象徴する名画のひとつとして世界的にも有名です。

もとは3巻の巻子装でしたが、保存と公開の観点から昭和7年(1932)に額面装に改められました。

当時としては最善の判断でしたが、80余年を経て額面装による弊害が生じたため、平成28年(2016)から5年にわたる保存修復を行い、

詞(ことば)と絵が響き合うよう本来の巻子装に戻しました。

令和2年(2020)に全15巻の修復が完成したことを記念し、前後期で展示替を行いながら、全巻を特別公開いたします。


■「国宝 源氏物語絵巻」の展示スケジュール
前期(11/13~11/30):蓬生/柏木一/柏木三/竹河一/橋姫/早蕨/宿木二/東屋二

 後期(12/1~12/12):関屋・絵合/柏木二/横笛/竹河二/宿木一/宿木三/東屋一


徳川美術館所蔵の国宝「源氏物語絵巻」各帖の詳しい内容はこちらをご覧ください。
国宝 源氏物語絵巻の世界へようこそ(徳川美術館)
https://my.ebook5.net/tokugawa/genji/

       展示作品リスト


2021年11月14日日曜日

211114 カンムリカイツブリ @ 愛知池




十日ほど前、飛来した冬鳥のホシハジロ、オオバンに混じってカンムリカイツブリらしき影が見えたのでバカチョン持ち出しshooting。



カンムリカイツブリ冬羽。警戒心強くかなり離れた距離。すぐに潜って移動する。


カンムリより一回り小さいカイツブリを拡大するとアカエリカイツブリらしきものが。

しかしこれは勘違い。アカエリは淡水池にはこないし、写真を撮った時の感覚を思い出したら大きさがまずカンムリよりかなりかなり小さいことから、その時も普通のカイツブリと思ったはず。


それにしても普通のバンがいなくてオオバンばかり増えている。

ホシハジロいるところオオバンあり、一緒に移動してるごとく。
それにしても大きな弁足。
足の指がグローブのように広がって葉っぱのような水かきはカイツブリにもみられる特徴。
— 場所: 愛知用水 愛知池




定住者のカルガモは移民のホシハジロを追い回し威嚇する。
ように見える。











2021年11月7日日曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その1)



この深田さんの番組、本題のことは置いておいて、話の中に登場する「古い3D」と「新しい3D」の技術的なさわりが分かりやすいです。

https://www.youtube.com/watch?v=MKi_aUQWYZ4


ここで語られているホログラム、3Dは、つまりはディスプレイ技術。
古い技術=両眼視差によるホログラムディスプレイ
新しい技術=ディスプレイをのぞき込む人の視点を検知して内部サブジェクトが追尾対応変化する多視点型ディスプレイ
SONYによる多視点型ディスプレイはセンサーとディスプレイをインテグレイトする3Dディスプレイ技術で、イメージセンサーチップの上にメモリを積層するという新技術を確立。センサーで映像を取り込みながら、そのセンサーの裏にメモリがくっついてるので短期記憶保持などにより、オーディエンスの目の位置(視線)が映像のどこを見ているかが変わっていくのを感知し、見せる映像の角度をちょっとずつ変えてゆく。多視点型ディスプレイが一枚のフラットパネルで実現できるというもの。
この、オーディエンスの視点をセンサーで追尾し、オーディエンスが見ている映像に影響を与えるという技術は、第2回名古屋ビエンナーレ、アーテック91で発表された、  さんの作品にありましたね。



Electric Heart Mother  Version03 (1992) のこと

僕も2台のライブカメラ(SONY Hi-8) と2台のブラウン管 (SHARP 14inchTV) を動かして現実空間に両眼視のホログラム風イメージを合成した大雑把なモデル化を作ってみたけど、30年間放置してる間に、どうしようもない粗大ゴミ化していて何とかしなければと焦る。



ふくいビデオビエンナーレでの展示 (1992)




そもそもこの作品を作ったきっかけは、「絵画の遠近法」「絵画の奥行き」についてというフォーマルなテーマから発展したものだった。そのため、この立体的な構造物は「その大きさが遠近法の影響を受ける大きさでなければならない」というのが始めの取り決めの一つであり、その内部にやはり奥行き(遠近法の消失点に向かう先細りの台形を底面に持つ画箱としてのダイオラマ)が作られた。「内部空間を持つ彫刻」ということも一方でのテーマであって、「絵画(2次元)と彫刻(3次元)両方の次元がオーディエンスの視線上で交差する映像装置でもある。」
<実際のダイオラマを実見するよりも、それがカメラで写真になった時により奥行きを持った深い空間を提示する。>ということを示したのは杉本博司氏のデビュー作?ニューヨーク自然史博物館のジオラマ装置を写した写真作品だったが、




another story
<30年間放置してる間に、どうしようもない粗大ゴミ化していて何とかしなければと焦る。>からの  another story 
 日常の生活スペース以上の大きな作品の場合、発表空間の大きさに合わせて分割して作るため会場での設営時にしか改良や銀杏性ができないという欠点がある。普段の制作スペースがそれ以下である場合、毎朝起きて作品に対峙して問題点を少しづつ調整してゆくといった制作方法に至らない。パーツごとの部品は別々に梱包されたりしていて、ましてや電気の来ていない倉庫にあっては実験さえできない。まあこういうことは作家の言い訳にしかすぎず身から出た錆で、泣き言言うな!と天から叱られるが、組み込んだ機材さえもが前世紀の仕様からアップデートしていないとその部分でも機能させるのが困難なゴミになってしまう。こういったことは制作初めのころにもすでに想像がついていたし家電を素材にした作品を美術コレクターなどは手を付けないという一般的認識もあった。それでも後先考えない若気の至りは「青春美術」の無謀のなせることであり、力技で強引にねじ伏せるといった狂気じみた行為であったのかもしれない。

another story 02
 この作品は、茂登山清文先生に声をかけられた1991年末~1992年年始にかけてのグループ展 cool break へ出品することを決め、91年秋より制作を始めた。勝川のアパートでの制作が限界だったので、年末二つのグループ展出品のため、瀬戸に仕事場を借りたのである。陶芸家中村康平氏が陶壁制作用に借りていた栗木製陶所の一角をシェアさせていただいたのが始まりで、康平さんが金沢に帰る94年頃まで制作場のシェアは続いた。

(つづく)

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about my work: Kinetic structure  2016年10月8日土曜日

ライブカメラ ビデオ ストラクチャー  2015年12月20日日曜日

Diorama of EHM 1992 -01  2014年5月12日月曜日






2021年10月31日日曜日

「古い3D」と「新しい3D」(その0)

今日は、白地に黒一色によるドローイングをメインにしたインスタレーションを二つ見た。


クレメンス メッツラーさんによる「運河に描く」(中川運河)と、伊藤千帆さん、小川友美さんによる交換制作「hokakara」(ガルリ ラベ)だ。


クレメンス メッツラー「運河に描く」ビューポイントから見た風景(中川運河)

ビューポイントが設定されている

クレメンス メッツラーさんは名刺にはイラストレーションと明記されていることからも「イラストレーション」を表現のフィールドとして活躍されてる、一方、中川運河に関するいくつかのプロジェクトにもその始まりの段階から精力的にかかわりのある活動をされている。

数年前はコンピュータによって描き起された中川運河が活発に機能していた時代の水際風景を綿密な取材と現在の風景や写真を合成した写真イラストレーションとしてプリントアウトして展示されていた。

その時の印象は平面的なイラストレーションという印象である。

画面が垂直水平にカチッと構成され、斜めの線が、倉庫群の屋根やクレーンなどに見られるものの、奥行きを表現するために用いられているのではなく、あくまで四角いフレームに平行な面のレイヤーが破綻することなく目に届くという意味で画面分割として用いられ、圧倒的な奥行き感を強調するといった消失点を持たないすごく浅い画面の印象だった。

そして今回のインスタレーションもまた、圧倒的な平面性を示していた。


今回は古い時代の中川運河の写真などから取材した労働者や船がペン画によるイラストレーションで制作され、その線画を現実風景のスケールに拡大トレースされ(小学校児童参加によるプロジェクトとして実施されたらしい)、時を超えた現代の風景に合成されるといったインスタレーションである。

プロジェクト系のアート表現、サイトスペシフィックインスタレーションなど近年のアート状況のお約束はすべて盛り込まれているが、私が気になったのはその作品がビューポイントを設定していることである。そのことにおいて、この展示は絵画であるということだ。というか古くから現在まで続く絵画の根本的な問題を扱ったものであることを示している。

指定されたビューポイントから見る時、現実の3次元空間の風景が、イラストレーションの線画によって一層強調され、圧倒的な平面性を示していた。僕が見た日がピーカンに晴れた日であり、風もなく運河の水面が鏡面のように倉庫街の風景を映していたことも影響するかもしれないが、現実風景を見るという体験が、美術館の壁の前に立ち絵画を鑑賞しているような奇妙な感覚に襲われたのである。


私たちは街の中に仕組まれるアート作品を見る時、現実空間に介在する異物としてそれを見る癖がついてしまったが、今回のメッツラーさんの作品は、本人の意図はわからないが、いみじくも街の風景の中で「絵画の構造を見ろ!」というようなメッセージをその作品は発していたと感じたのである。









XYZ軸空間に投げ込まれる

まずこの展示のDMが届いて詳細情報とガラス張りのギャラリーウインドウからの展示写真を見たときに、鉄のような硬質な黒く塗装された線材と同じく黒く塗装された木の枝による立体物を二人の作家が交換制作したものかと想像したのであるが、現実の空間に入るとその思い込みは裏切られる。

白い壁、天井ガラス張りの窓、ショウウインドウのような空間。

伊藤さんは近年、インスタレーションを制作するとき展示空間をCADによるシュミレーションで綿密に検討していると聞く。今回の交換制作も、CADによるシュミレーションで小川さんとの「交換」で展示が検討されたとのこと。




展覧会DM


シュミレーションと現実空間

シュミレーションを仮想空間と呼んでもよいが、メタが提示しているアバターによる仮想空間での体験を体験するような、実際の現実空間がモニター中のXYZ箱に投げ込まれたような錯覚を覚える。それはあくまでCADによるシュミレーションが行われた空間であると知っているからにすぎないが。

白い空間で黒い線によるテープドローイングや黒く塗装された枝や角材は、それ自身の奥行やボリュームを持たないように感じられる。


シュミレーションは現実を体験するためのメタ空間である。

メッツラーさんの現実空間が絵画平面に置き換わったような体験を強いているのに対し、ここでは絵画的な要素としての線によって
そして二つの作品体験を構成しているのは白地に黒い線であるということに共通点がある。


(途中ミカン、つづく)




2021年10月29日金曜日

スモモの樹

 

まったく、突然、いきなり、季節が変わった2週間前、

雨のち、寒気、さむい朝、冬支度

その日を境に自身の変化を実感し、吉祥のあかしと心にとめる。



その日から二週間、

ここ数日の温かさで春が来たと間違えた李の芽が一つ花をつけ、一枝が若葉を芽吹く。


来年のための新たな素材の実験をしていると、

頭頂がまだ黒っぽい若い紋付がバタバタと足元に飛んできて、互いの気配に驚くも、地面の虫をついばんではその枝に戻るを繰り返すこと暫し。




夏の日には大量の果実として授業後のおやつを提供してくれたスモモ、

来年は廃墟の鳥獣たちの胃袋を満たすのか、



それともバッサリされるのか


ポカポカテラスの秋の夕暮れ