2014年6月29日日曜日

140629 「魅惑の陶製人形」展 (愛知県陶磁美術館)



橋本 公成さんが2014年6月29日の写真5件を追加しました — 場所:  愛知県陶磁美術館
2014年6月29日 · 愛知県 瀬戸市
Today’s feeling: 不思議な気持ち。

「魅惑の陶製人形」展(愛知県陶磁美術館:2014/6/21-8/17)
34年前名古屋にやってきた当時、デザイン室で絵付け中のもや、職場に転がっていたもの、つい数年前に中国での生産工場をさがして苦労したものなどが、今ではガラスケースの中で歴史になっている。今年4月まで所属していたところは製造ラインを持たないところだったので当時、瀬戸のいろんなメーカーさんによく行った。まだ丸山陶器さんも生産されてた頃。しかし後半の17年をすぎる頃から、生産工場に行く場所は日本の瀬戸から中国に変わった。
1914年(大正3年)に始まった"瀬戸ノベルティ"は今年で100年という。自身が所属していた34年間はその後半1/3の期間。名古屋に来て5年後の1985年にプラザ合意。"瀬戸ノベルティ"は輸出100%だったことから次々とメーカーは廃業に。振り返ると地場産業の栄枯盛衰の歴史の中にいたことをあらためて感じる。
現在生産拠点の中国メーカーの現状を見るにつけ磁器人形技術は希少化し、そのうち消えていきそうだなあと感じる。そんな中、made in SETO のTK名古屋人形さんは貴重な存在ですね。





橋本 公成
2014年6月29日
「魅惑の陶製人形」展、展示第4章、復刻版のガラスケース内に展示のキューピー人形(衣装付復刻版)の生産時の生地検品。 2006/07/24 中国広東省東莞長安の台湾系メーカー工場にて。
この工場では手足動かせるビスクドールの本格的フランス人形、等身大のベビー人形なども生産していたが、今はない。ー 場所: 愛知県陶磁美術館



橋本 公成
2014年6月29日
ローズオニールのキューピー誕生100周年を期に復刻されたビスク人形。2009年に生産。
原型:日本、生産:中国広東省潮州
オリジン、ローズオニール自身のドローイングによるキューピードールがアメリカの特許庁に申請されたのは1912年12月17日。翌1913年3月4日に登録されている。ローズオニールは自身で原型も行った。



橋本 公成
2014年6月29日
中国徳化窯は「魅惑の陶製人形」展の中で磁器人形の重要なルーツとして紹介されている。
徳化窯→ドイツのドレスデン、マイセン→日本の瀬戸。
そして台湾を経て中国本土の広東省、福建省などへ回帰。
現在の徳化は鋳込み成形によるフィギュリン系のものを作る工場も多いが、自身が関わった徳化の印象は安価な陶磁器製品の生産地という印象であったため、今回企画展での位置づけにあらためて徳化窯の認識を変える。
写真の磁器製菊華篭=超絶技巧のようなものも見られるが、このようなものはわずかでありノベルティ産業メーカーではまれ。
写真は2009年中国福建省泉州市徳化にて。



橋本 公成
2014年6月29日
中国徳化窯の現代の名品。
徳化窯は「魅惑の陶製人形」展で明時代から白磁人形が生産されたとされ清時代(18~19世紀)の白磁人形が展示されている。それがヨーロッパへ伝わりマイセンやセーブルの磁器人形生産が始まった。瀬戸ノベルティ業界で呼ばれる「古代人形」とはドレスデン、マイセンの貴族社会の人物や衣装をモチーフとしたフィギュリンを指している。第一次大戦勃発後、アメリカ向けに輸出されていたドイツ品の生産が落ち込んだ時に、日本の森村ブラザーズ(後のノリタケ)によってはじめられたのが瀬戸ノベルティの始まりとされる。
写真:2009年中国福建省泉州市徳化にて。




橋本 公成
2014年6月29日
かつて瀬戸でも見られた大規模なノベルティ工場は、現在、国内で見ることはできない。写真は2006年中国広東省東莞の台湾系メーカーの工場。現在稼働しているかは不明。






2014年6月26日木曜日

ことのまくひき

雄にできること:  結婚○ 出産×
雌にできること:  結婚○ 出産○


雌は、結婚という人間社会制度を経なくても生物的に出産は可能。
どうがんばっても、今のところ生物自然な状態で、雄は子供を産めない。
生物的にみて圧倒的に優位なのは雌であることは自明。
雄社会にとってのアキレス腱はいうまでもなく結婚よりも出産。
少子化対策政策にっても。
だから事を大きくしないために、結婚についての発言だけ取り上げて、メディアが発信している音声での確認ができる「出産」発言については聞こえていないと幕を引く。
時に雄社会が必死で行っていること、隠そうとすること、がまったく幼稚に見えるのは、これもまた生物的自然なおろかな行為?


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2014/6/5 16:00  神戸新聞NEXT「母性に目覚め?雄ヤギからミルクが出ると話題に」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201406/0007024701.shtml

以下、記事全文引用

兵庫県南あわじ市の男性が飼育する雄ヤギの乳房が張り、ミルクが出ると話題になっている。
2年前にもほぼ同じ状態になったが、今回初めて成分を雌と比較すると、乳脂肪分が雌より高く、“立派なミルク”と判明。家畜の専門家も「聞いたことがない」と驚く。

 雄ヤギは、同市倭文(しとおり)庄田のパン店経営玉置秀憲さん(58)が5年前から飼っている推定6歳の「ネギ」。現在はネギと雌2頭、子4頭がいる。
 5月27日、今年2月に生まれた2頭を母ヤギから引き離したところ、直後にネギの乳房が張り始めたという。子ヤギは母乳を求め、ネギの隣で一晩中鳴いていたという。
  知人で獣医師の山崎博道さん(69)=洲本市五色町=が6月3日、ネギの乳を搾った。
 ヤギには乳房が二つあり、ネギは右側だけが全長20センチほどに腫れ上がる。搾ると細い糸のようにミルクが噴き出し、雌よりも少ないが、約150ccを採取できた。
 記者が味見をしてみると、濃厚なコクが感じられた。これまでにもヤギのミルクを飲んだことがある山崎さんは「味には問題ない」と太鼓判を押す。
 ネギのミルクと、一緒に飼われている雌2頭のミルクを淡路島酪農農業協同組合(南あわじ市)が検査。乳脂肪分はネギが9・0%、雌2頭の平均が7・3%だった。
 玉置さんは「ネギは優しい性格。2年前もそうだったが、子ヤギの鳴き声に反応し、『母性』に目覚めたのではないか」と話している。(上杉順子)

◇非常にレアケース◇
全国山羊ネットワーク事務局長で、鹿児島大農学部教授(家畜管理学)の中西良孝さんの話
 ヤギの雄がミルクを出すとは初めて聞いた。
  非常にレアケースだ。ミルクの生産にはオキシトシン、プロラクチンなどホルモンの分泌が関係しており、雄でも何らかの要因で分泌されることはあり得る。

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「...何かに挑んで、成功する事もあれば失敗する事もある人と、他人が失敗したときだけ批判し、何もしないが故に何も失敗しない人。みなさんはどちらになりたいですか。」
http://anond.hatelabo.jp/touch/20140624211919?utm_content=buffer31012&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer


『...一番偉いのは「最初に案を出すやつ」なんですよ。批判なんてだれでもできる。... 』
http://www.huffingtonpost.jp/yuuya-adachi/capable-of-working_b_5524184.html

2014年6月16日月曜日

plan 1982 23.MAR

6/14 フィールドワーク尾西 番外編
スリバチ学会フィールドワーク、墨会館で解散後、30数年ぶりに、当時デザインアイデアを提供した電電公社(現NTT)尾西局玄関坪庭の現況を見に行く。敷地南部分は学習塾に。そのため坪庭を構成していた打ちっ放しのコンクリート壁はアールの部分だけ残し切断され、木は伸び放題。竣工時、グランドカバーはフッキソウ植栽だったはずだが、土がむき出しに。。Google Earth ストリートビューを見ると2年前までは竣工当時の面影を残していたようだが。
設計:原田幹夫




1982 March 23 drawing



2012 March/ Google Earth street view



 



2014 JUNE 14








2014年6月12日木曜日

鏡の回廊 ~ Mirror Wall of SIGILIYA Rock


シーギリヤ・ロックの中腹にある回廊の壁はミラー・ウオールと呼ばれる。
ふもとから見上げると、天然岩山にひときわ目立つ直線的な人工構造物が、この岩山がただならぬ場所であることを主張している。
カーシャパ王朝の頃(5世紀)のもの。
高さ約3m 。真珠のような輝きと鏡のような光沢がある。
ミラー・ウオールの上部は、シーギリヤ・レディのフレスコ画があるパインティング・バンド。

「地球の歩き方」によれば、レンガを芯に漆喰が塗られ、その上に大量の卵の白身と蜂蜜と石灰を混ぜたものが上塗りされ、その表面を磨きあげて造られた、という。

蜂蜜なのか、蜜蝋のことか?

壁の反対側の岩壁には美女のフレスコ画があり、このミラー・ウオールに映る仕掛けになっていたらしい。

この壁にはダートゥセーナ、カーシャパ、モッガラーナの興亡物語の叙事詩や、壁画の乙女たちの姿やシーギリヤ・ロックの雄大さを称える詩が彫られている。
7~11世紀の間にシンハラ文字で685点の感嘆の詩でありシンハラ語の発展形態を示しているとして注目されている。








History of SIGIRIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/history-of-sigiriya-rock.html


SIGIRIYA LADY ~ Paintings of the Apsara celestial nymph
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/sigiriya-lady-paintings-of-apsara.html

idea 140603 : kitchen diorama

idea 140603: 冷蔵庫で成長した大根島周辺で泳ぐ解凍シラス

Fresco ~ フレスコ

フレスコの種類についての整理、引用まとめ。
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*フレスコ
(英語: fresco、イタリア語: Affresco) は絵画技法のひとつ。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。
語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。

フレスコは、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰が生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く。
ラスコーの壁画なども洞窟内の炭酸カルシウムが壁画の保存効果を高めた「天然のフレスコ画」現象と言うこともできる。
古代ローマ時代のポンペイの壁画もフレスコ画と考えられている(蜜蝋を用いるエンカウストという説もある)。フレスコ画はルネサンス期にも盛んに描かれた。

湿式法 :ブオン・フレスコ (Buon Fresco)
「真の(正しい)フレスコ」の意味。湿った漆喰の上に耐アルカリ性の顔料を水または石灰水で溶いたもので描く。漆喰が乾く過程で生じる消石灰(水酸化カルシウム)の化学変化により、顔料は壁に定着する。媒材(バインダー)を用いないため顔料の発色が最高度に活かされ、顔料は壁と一体化するため高い耐久性を持つ。漆喰が生乾きの状態で描かなければならないため、一日に描くことの出来る仕事量を計算して壁を区分し塗りついでいく。

乾式法 :フレスコ・セッコ (Fresco Secco)
「乾いたフレスコ」の意味。ア・セッコ (a Secco) とも。乾燥した漆喰の上に描く。漆喰は顔料の定着に寄与しないため媒材が必要となる。媒材として用いられるのは卵、兎膠、石灰カゼイン、現代ではアクリリックなど。壁の上に描くテンペラとも言える。ブオン・フレスコに比べ、発色や耐久性は劣る。ジョット以前はむしろこの技法が主流であった。ブオン・フレスコによって描かれた壁画の大半も、アルカリによって変色する顔料の使用、塗り継ぎ部分の色合わせなどで部分的にフレスコ・セッコが用いられている。

半湿式法 :メッゾ・フレスコ (Mezzo Fresco)
「半分または中間的なフレスコ」の意味。ブオン・フレスコの製作可能時間を延長するために考案された技法。漆喰の乾燥が進んだ後も描き続けるために、顔料に媒材として消石灰などを混ぜる。壁面の乾燥を遅らせるために砂を多めにした漆喰を用いる、顔料の定着を助ける目的で漆喰の表面を粗く仕上げるなどの特徴がある。

普通は煉瓦や石を組んだ壁などを支持体とする。
荒下地は支持体の壁面を水で良く洗い充分湿らせてから、粗い川砂と消石灰の漆喰を壁に投げつけるように塗り付ける。
中間層は荒下地を乾かし(通常一週間程度)、下地を水で充分湿らせ、川砂と消石灰による漆喰を塗る。
上塗り=描画層は漆喰を強く塗り、表面を平らに仕上げる。漆喰層がしまってきたら水または石灰水で溶いた顔料で描き始める。漆喰が乾くと顔料の表面が炭酸カルシウムの皮膜で覆われるため、最終層の漆喰は一日で描けるだけのものを準備し、素早く描かなければならない。

漆喰には石灰岩(CaCO3)を焼成し、生石灰(CaO)にした上に加水した消石灰(Ca(OH)2)を使用する。描画中、媒剤となる水分はたえず気化し、消石灰は二酸化炭素(CO2)を吸収、酸素(H2O)を放出し、炭酸カルシウム(CaCO3)に変化する。
炭酸カルシウムは水に溶けないため、フレスコ画は保存性に大変優れている。

引用:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B3

2014年6月10日火曜日

エンカウスティーク(アンコスティック、アンコスティーク)

失われた古代技法としてのアンコスティーク ----


<丹羽洋介著「フレスコ画の制作」 美術出版社、新技法シリーズ 1979年発行>

によればアンコスティーク(失われた技法)として、その技法の定説は無いとしている。
丹羽氏によれば、まったく異なった2つの絵画技法が混同されて理解されているとしている。
ここで氏は2つの混同を分けて示している。
一つはエジプトのミイラ絵などにみられる「古代蝋画」であり、もう一つはポンペイ壁画にみられるフレスコ画法の一種として、古代ギリシア、ローマの特殊な壁画技法としてのそれである。

「古代蝋画」としてのアンコスティークは熱で溶かした蜜蝋に顔料を混ぜながら描く彩色技法であるのに対し、ポンペイ壁画のアンコスティークはフレスコ画をベースにし、熱で溶かした蜜蝋を塗り、再び焼き、表面を平らにし滑らかに磨きあげるものである。
ポンペイ壁画で蜜蝋はあくまで、漆喰壁と一体となって仕上げられたフレスコ画技法後に、その表面を磨きあげ光沢を出すために用いられている。そしてその上に顔料を混ぜた蜜蝋の加彩は見られず、両方の技法は別々の地域、時代の別ものとして両者の併用はみられないとしている。

このポンペイ式アンコスティークは、丹羽先生が同書を準備していた1年前の1978年、金沢美術工芸大学にフレスコ実技指導で来られていた時に学生の指導の一環で実演されていた。(余談になるが、この時の私のクラスは複数人で建築的スケールの大きなフレスコ画を制作したものがいくつもあり、出来上がったものは金沢市内の小学校などに寄贈された。私たちが制作したものも上記の技法書に写真が掲載されている。)


古代蝋画の技法で描いた壁面を、ポンペイ壁画のように再度、焼くと、壁画は蝋と一緒に溶け流れてしまう。
レオナルド・ダ・ヴィンチが巨大壁面 17.5mx7m(H) に臨んで技法を実験した『アンギアーリの戦い』での失敗は、失われた古代技法アンコスティークの再現実験の結果ではなかったかともいわれている。
「塗った絵具層が流れてしまった」のは壁を乾燥させるために火を焚いたためか、古代蝋画のように下絵描写時、顔料と溶かした蜜蝋で描き、それを再びカウテリウム(手提げの火桶)などを用いて火で炙ったためか。
しかし、経験科学の人、レオナルドが熱で溶かした蝋で描いた壁面を再び炙るというような初歩的な過ちを犯すだろうか、と疑問が残るのである。


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「アンギアーリの戦い」 参考引用 -----
 
  歴史の不思議 2 ダヴィンチの伝説の巨大壁画発見
    https://www.youtube.com/watch?v=2mIDaregHUo
    52:08あたりから、この場面の想像再現映像があります。真偽のほどはわかりません。

  レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展 〜日本初公開「タヴォラ・ドーリア」の謎〜
    https://www.youtube.com/watch?v=eUeanWjjxQU

    http://www.fujibi.or.jp/anghiari.html
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以下、ウィキペディアの「エンカウスティーク」に赤木範陸氏の技法が紹介されている。
そこでは、化学的に水で溶けるようにした蜜蝋を用いて描いた後、あとでゆっくり熱して蝋を溶かし固着させる、としている。




wikipedia に記されているエンカウスティークの説明は上記、前者の蜜蝋画である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AF

wikipedia によれば、以下引用 --------------

「エンカウスティークは、着色した蜜蝋を溶融し、表面に焼き付ける絵画技法。」とされ、「美術史上最古の絵画技法のひとつである。」

...その起源は古代の文献やわずかな遺品などから推測されうるだけでも2000年以上前のローマ帝国には存在していたと考えられている。...
...驚くべきことはほとんど描かれた当時のままの状態で保存されているということである。これはエンカウスティーク技法が、耐光性、耐水性、耐酸性などをもつ優れた有機物質としての蜜蝋を描画材料にしていたことに起因している。...
...現代ではジャスパー・ジョーンズをはじめとする現代美術の芸術家などによって多用されている。ジャスパー・ジョーンズの「星条旗」や「まと」を描いたエンカウスティーク作品は良く知られている。
...この技法研究の日本国内での第一人者としては、横浜国立大学の赤木範陸があげられる。エンカウスティークに対する適当な日本語訳はなかったが、赤木は「熱融解鑞画法」あるいは「焼き付け鑞画法」という訳語を与えている。...
技法
エンカウスティーク技法はまず、蜜蝋のみを溶かして顔料を混ぜ込み固形の鑞絵の具を作り、それを熱で再び溶かしながら描くというかなり厄介で高度な技法であった。今日では固着性を高め丈夫にするためにダンマル樹脂(英: Dammar gum)が添加されることがあるが、本来は蜜蝋以外に何も混ぜてはいなかった。
赤木範陸はこの技法を使って描く画家でもあるが、本来のエンカウスティーク技法を使いやすくするため固形の蜜蝋を水に溶けるようにするという化学的な改良をほどこしている。そうすれば個体の蜜蝋を熱で溶かしながら描くという困難さは解消され、普通の絵筆に絵の具をつけて描くように全く自由に描けるうえ後でゆっくりと熱して溶かして固着させればよいというわけだ。
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6月と フレスコ

6月はまた、フレスコ画に適した季節でもある。

1978年6月、実習でフレスコ画技法に臨んだ金沢での、じめっとした季節の肌ざわりの感覚。

漆喰壁が乾かぬうちに顔料だけで描くフレスコ。
絶えず水分を壁に与えるために描き続けなければならない。
上塗り開始から3日間ほぼ貫徹の制作の気持ちよい熱中。

一年後、当時の指導講師だった丹羽洋介氏より美術出版社新技法シリーズ「フレスコ画の制作」出版に向けて、指名での手伝い依頼、大学教授を通じて受ける。

通常なら名誉なこととして断ることは無いだろう、この依頼を断ってから
私のamateur of genius の旅は始まった。

与えられる大きな自然な流れに逆らって、小さな自然に従う、永い旅がはじまった。


1978 JUNE (ラファエロ「アテネの学堂」部分模写/宮橋章子、光山聡美との共作)







2014年6月7日土曜日

History of SIGIRIYA Rock

ダンブッラよりの遠望。向かって右がシーギリア・ロック。左の山はシーギリヤ王朝以前から僧の修行場所だった。
山全体が5世紀カーシャパ王が建立したピドゥランガラ石窟寺院 Pidurangala Cave Temple。


ジャングルの中に突如姿を現す、天から落ちてきたような隕石のごとく巨大な岩山。
岩山の大きさは南北約400m 、高さ約180m 。
シーギリヤ・ロックは古代から仏教僧たちの修験場であったという。
この岩山のインパクトは富士山と同じく、周りに山々が連なる場所でない平坦なジャングルに、いきなり姿を現すことだ。
そしてその頂上に5世紀後半、この地を統治したカーシャパ王によって、頂上に王宮が造られた。
わずか11年間の王宮。
実父ダートゥセーナ王を殺し、強引に王の座についた若き王子カーシャパは、腹違いの弟モッガーラーナの復讐をおそれ、シーギリヤ・ロックの頂上に狂気ともいえる王宮をわずか7年間で築いたという。










カーシャパ王の伝説 -----------

カーシャパの父ダートゥセーナ王 King Dhatusena はタミル人からシンハラ人に王権を取り戻した偉大な王として459~477年にアヌラーダプラを統治。広大な貯水池を建造した。
カーシャパ Kasyapa はダートゥセーナ王の長男。腹違いの弟、モッガラーナ Moggallana の母親が王族の血筋であったのに対しカーシャパの母は平民の血筋の女性だったという。
そのため、カーシャパは王位継承権を奪われるのをおそれ、実父を監禁し王位を剥奪する。弟モッガラーナはインドに亡命する。
隠し財産をすべて出すよう父に要求したカーシャパは、「建設した貯水池カラー・ウェワ Kala Wewa こそが唯一の財産」と言う父の返答に怒り、家臣に命じて父親を殺させてしまう。
その後、後悔、苦しみ、復讐の恐れからか神がかりになったカーシャパは切り立った岩山に宮殿を建造し、7年後、玉座をその頂上に置いた。
そして11年後、インドから戦いを挑んできたモッガラーナに破れ、495年、カーシャパは自ら命を絶つ。

モッガラーナはシーギリヤの王宮を仏教僧に寄進し、首都をアヌラーダプラに戻した。

埋没していたシーギリヤ・ロックの宮殿が発見されるのはカーシャパ王が死んで約1400年後、イギリス植民地時代の19世紀後半。



中腹の投石機。カーシャパ王の時代から、斜面に1000年以上保った状態。


整備された手すりや石段を登って約40分で頂上へ。
1.6ヘクタールに及ぶ宮殿あとが広がる。

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天から落ちてきたような巨大な岩、王位継承の争い、狂った王、天空の城。。。。

現地に立ち、この伝説を想うと、あまりにも宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」に酷似している。
ネットで検索してみるとマチュピチュなどその舞台となった場所がいくつか挙げられているが、シーギリヤほどイメージとストーリーが似ているところはないと思うのだが、どこにもその記述は見あたらない。

どこかで見た風景。この風景を見て、ダ・ヴィンチの受胎告知に見られる直線的な人工構造物と遠景の風景を思い出す。その絵が透視図法と空気遠近法で描かれながら、どこか奇妙に感じていたのは視線の位置である。標高の高くない平坦な土地にある建物から遠景をこのように見渡せるだろうかという疑問が奇妙さの原因であるが、ここシーギリヤロックの頂上のようなところからの視線であれば納得がいく自然な視界である。つまりダ・ヴィンチが描いた受胎告知のロケーションは高地あるいは遠く海まで見渡せる高台にある建物を近景としている、と発見する。
シーギリヤロック頂上南東よりの視界。手前はカーシャパの父ダートゥセーナ王が築いた貯水池 Sigiriya Wewa 。
遠くダンブッラの岩山あたりのスコールを見る。
頂上から南の視界。ジャングルと流れる雲。カーシャパが見たであろう風景と変わらない光景。
頂上から西南の視界。 water garden を望む。



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SIGIRIYA LADY ~ Paintings of the Apsara celestial nymph
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/sigiriya-lady-paintings-of-apsara.html

鏡の回廊 ~ Mirror Wall of SIGILIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/mirror-wall-of-sigiliya-rock.html


HISTORY を問う HERSTORY

his story を問う her story

from HYPERALLERGIC
「Performance Artist Does the Impossible, Shows Up Courbet’s “Origin of the World”」

http://hyperallergic.com/131008/performance-artist-does-the-impossible-shows-up-courbets-origin-of-the-world/




========================== 引用↓
Wiktionary英語版 ----------
出典:Wiktionary

History

出典:『Wiktionary』 (2010/09/01 18:06 UTC 版)
Most common English words: u « gold « letters « #588: history » master » latter » fellow
発音
enPR: hĭstōrē, IPA: /ˈhɪstəri/, SAMPA: /"hIst@ri/
ハイフネーション: hist‧o‧ry
語源
From Latin historia < Ancient Greek ἱστορία (historia, “learning through research, narration of what is learned”) < ἱστορέω (historeō, “to learn through research, to inquire”) < ἵστωρ (histōr, “the one who knows, the expert, the judge”), from * (“ϝίδτωρ”), from Proto-Indo-European *wid- (“know, knowledge”).

語源:ギリシャ語「知ること,調べることで得た知識」の意


Wiktionary英語版 ----------
出典:Wiktionary

herstory

出典:『Wiktionary』 (2014/04/03 23:41 UTC 版)
語源
Wordplay blend of her and history, derived as though the first syllable in history were his, the male pronoun.

ギリシア語の語源はない。

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2014年6月6日金曜日

SIGIRIYA LADY ~ Paintings of the Apsara celestial nymph

オレンジ色の直線的な壁はやはり5世紀に作られた鏡の回廊 Mirror Wall 。
シーギリヤ・レディの壁画群はその上の黒い覆いで囲われている部分にある。風雨による侵食から壁画を守るため後代、造られたもの。鉄製の螺旋階段が二つ見えるが、当時はどのようにこの部分まで昇ったのか。

シーギリヤ・レディはスリランカの中心にあるシーギリヤ・ロックに描かれた5世紀のフレスコ画の通称。
標高約 200m のシーギリヤ・ロックの中腹の 100mあたりに幅140mにわたって壁画帯をなす。
壁画帯は岩山の西面にあり北東コーナーまで約140m 、高さ40mの範囲に広がる。
イギリス統治下の1875年、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が発見したこの壁画は現在、保護のためシートで覆われているため下からは見ることができない。
この絵を見るためには約1時間弱かけて狭く急勾配の石段で岩山を登らなければならない。
フレスコ画のある岩面まではふもとから約20分。




岩の中腹から、1938年にイギリスが造ったという古い鉄製らせん階段で壁画のあるオーバーハングした壁面を目指す。
人一人がやっと昇れる幅、金網で囲っただけでところどころ腐って穴が開いている。
急勾配の階段は、このまま、このたよりげない構造物ごと外れて中空からまっさか様に落下するのではないかと、足がすくむ。

螺旋階段を昇りきるとそこがpainting band 。
鮮やかな色彩で女性を描いた壁画はそこにある。
かつて500人の女性が描かれていたというが、現存するのは18人。
発見されるまで風雨にさらされていたために侵食されたり、仏教施設時に修行の妨げになるとけづられたり、1967年のバンダル人の攻撃ではがされてしまったりということらしいが、それにしても鮮やかな色彩を保って現存しているのはフレスコ技法による保存性の良さからくるものか。











ところどころ輪郭線は二重になった部分が見受けられる。後世の加筆のあとか。
当初描かれた線は朱赤褐色系で、解剖学的にも忠実な複雑に入り組んだ肉体の輪郭が見られるのに対し、後世に加筆された輪郭線はより暗い茶褐色で強く、単純化され概念化された輪郭線で描かれている。

「地球の歩き方」によれば、岩肌に、もみがらやカーボナイト(有機繊維)を混ぜたターマイトン土(粘土の一種)で塗り固められた下塗り後、石灰と砂を混ぜた粘土で中塗りし、最後に前の層より厚めに、蜜蝋の混じった石灰でなめらかに上塗りする。とある。
上塗りされた面に、野菜や花、葉、木の汁などを材料にした、赤、黄、緑の顔料で美女たちの姿が描かれている。とある。


アンコウスティーク?

上記引用は、かなり専門知識を持った人による執筆のようであるが、海外の研究書からの引用か?上塗りに「蜜蝋の混じった石灰」とあるのはアンコスティークのことか。
ポンペイ壁画のように、フレスコ技法で描かれた後、さらに蜜蝋を塗って磨きあげるという技法と同じものか?その場合、上塗り漆喰には蜜蝋は混入されず、上塗り描画後にさらに蜜蝋を塗り熱で溶かすというものである。実際の壁面を見るとそれほどの艶は認められない。
蜜蝋は本当に混ざっているのか?

壁画のある painting band のすぐ下には同じく5世紀に作られた鏡の回廊 Mirror Wall がある。
ふもと西側から岩山を見上げれば、自然岩山の一部にひときわ目立つ人工的な直線による壁が見える。この壁は漆喰の上に卵の白身、蜜蝋、石灰を混ぜたものが塗られ磨きあげられたものという。
その技法との関係によっているのか。蜜蝋混入の古代フレスコ技法の一種か。


フレスコ

ルネサンス期に盛んに描かれ 「新しい」「新鮮な」を意味するイタリア語の "fresco"を語源とするフレスコは、煉瓦や石を組んだ壁などの支持体(壁)に漆喰を塗り、その漆喰が生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く。顔料は漆喰が乾く課程で石灰と一体になる。
漆喰(石灰)の化学変化 <石灰(炭酸カルシウム)→焼成→生石灰→加水→消石灰(水酸化カルシウム)→気化→炭酸カルシウム> を利用した描画法であり顔料は接着剤としての樹脂など媒材を用いないため発色がよく、顔料は壁と一体化するため高い耐久性を持つ。
水に溶けない炭酸カルシウムの性質が発見されたのはいつ頃からか。
ラスコーの壁画なども洞窟内の炭酸カルシウムが壁画の保存効果を高めたと言わている。
シーギリヤレディの壁画の保存状態の良さもまた炭酸カルシウムの効果が大きいであろう。


石下地

壁面の剥離した部分を見ると塗られた漆喰層はかなり厚いのがわかる。約 5cm はありそうだ。

「石の下地はコンクリート下地などより安定性があるとされる。石は吸水性、保水性ともにほとんど無いから、乾燥は塗られたスタッコ自体の乾燥と吸水だけに左右される。
それゆえ、フレスコ画描写において自由にコントロールできる壁を作るには、かなり厚めのスタッコにしなければならない。なぜなら塗ったスタッコの乾燥は表面からの水分の蒸発よりも、下地に吸水されることによる乾燥のほうが大きいからである。石下地は厚めのスタッコを作っても、十分にそれを支持できる強固な下地である。」
~丹羽洋介著「フレスコ画の制作」美術出版社1979年発行p.31より~


石下地のフレスコは強固で耐久性に富む。
絵画としての作用空間としてみれば、均質な平面でない、起伏の在る岩壁であることから、見る視点によって複雑な空間を生む。
スリランカの寺院は自然岩山や洞窟を利用した石窟寺院が多く現存し、いずれにも岩窟壁画が見られる。ただ、シーギリヤの壁画は寺院にある仏教世界を描いたものでなく、肉感的な女性群像である。天国に住む妖精アップサラか、上流階級と侍女を表したものかなど諸説あり。
いずれにせよ女性群像は腰から上の部分しか描かれておらず、腰から下は雲のようなイメージで空間に浮いている。宇治平等院鳳凰堂壁面の雲中供養菩薩像のようなイメージを想わせる。(平等院の創建は永承7年 1052年、藤原頼通が平安初期から貴族の別荘だったところ宇治殿を寺院に改めたのが始まりとされている。時系列からシーギリヤの壁画が何らかの影響関係があるかもしれないと夢想するがそれはまた別の話)
<追記>http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2017/08/blog-post.html





複数の雲に乗った天女(妖精アップサラ)がシーギリヤ・ロックの中腹を取り巻くようなイリュージョン。発見された当時、ふもとからこの壁画群が見ることができたという状況を想像してみる。





岩壁と壁画。
ミラーウオールに反射させた壁画もあったという。

客体としての平面に対峙して見るという絵画体験に慣れ親しんだ近代以降。
映像的な空間、装置としての絵画、と見るとさらに興味深い課題が浮かび上がる。


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洞窟壁画では薄暗い空間が身を包み、映像的な絵画が視点からの距離を忘れさせ、見る主体という存在は曖昧になる。胎内回帰。
洞窟と壁画。につづく
そして、描写法における法隆寺金堂壁画との関係。

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*ターマイトン土
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/termite-clay.html

*エンカウスティーク(アンコスティック、アンコスティーク)
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/blog-post_10.html

History of SIGIRIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/history-of-sigiriya-rock.html

鏡の回廊 ~ Mirror Wall of SIGILIYA Rock
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.jp/2014/06/mirror-wall-of-sigiliya-rock.html
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