2019年12月13日金曜日

山越生誕図 -191212 山越阿弥陀図(来迎図)に生誕図をみる





今日の起きながら見た夢、発見、あるいはメタモルフォーゼ

鎌倉時代に成立した画題「山越阿弥陀図(山越来迎図)」は大和葛城の二上山のあいだから阿弥陀如来が来迎するという構図である。
この構図は山の稜線を「此岸と彼岸」を隔てるものとする思想からとされている。(*1)
その思想的背景を知らなければ、二つの峰が連なる山は、しばしば女性の乳房に見立てられたりする。しかし、今日起きながら見た夢で、この二つの峰、盛り上がりを尻と見立てれば二つの峰の間(股)から出現する生誕図(出産図)になる。ということを発見した。あるいは意図的な誤読による裏返しによって新たな画題を創作する。


191206 notebook

山越阿弥陀図(来迎図)は二上山の東にある當麻寺から見た図であるとされる。二上山より向こうは黄泉の国、彼岸、西国浄土であり、春分、秋分の日に二上山の谷間に陽が沈む。陽が沈む二上山の向こう側はあの世、こちら側はこの世として古代大和の人々は二上山を極楽浄土の入口と考えていた?夕日の中から阿弥陀如来がお迎えに来る?
そして、山を越えさらに西へ西へと向かうれば、地下鉄の駅名に残る「四天王寺前夕陽ヶ丘」中国から伝来した西国浄土と、太陽信仰が合体した信仰を今に伝えている。
一方で二上山の山を越えた西側は河内の國太子町から古市古墳群~百舌鳥古墳群へと続く広大な王家の墓所地であるのだが、難波の宮もその黄泉の国に位置していたことになる。
乱暴な言い方をすれば、河内難波の國を捨てて大和に国移しをした(遷都)のち、難波の國は明治維新後の京都のような扱いだったのか?

191212 notebook
「山越阿弥陀図」というこの画題に興味を惹かれるのは少年期、二上山を身近に見ていたからだ。もっとも見ていたのは日の沈む山の東側からでなく西側だったのだけれど。
小学1年の途中から5年生の途中まで古市古墳群に近い羽曳が丘(大和団地が造成した新興住宅地)という市内へのベットタウンに住んでいたので毎日二上山を西側から見て育った。ため池のある谷に向かって造成された地の中腹より上の方にあった家から見る二上山は谷越の山であった。
電車を飾るバナーなど小学校の図画課題では、いつも庭から見た二上山の写生を描いて提出していた。
僕はここから田辺の小学校まで越境通学していたのだけれど通勤ラッシュで満員通過するバスに楽に乗れるよう急な坂道を登って二駅歩いた羽曳野病院前駅から乗ることが多かった。冬は坂を上っているときに振り替えると二上山越しに白い太陽が輝いていた。何かの学校行事の時だったか始業時間より早くに学校に行かなければいけなかった折、まだ日が昇ってない早朝に母と古市駅まで歩いたような記憶がある。山越の日の出を見たのはこの時だけだったような気がする。二上山の西側から見れば二上山は朝日が昇る山であり、當麻二上山信仰とは逆の意味を持つ。
そして、二上山信仰から見れば黄泉の国の住人だ。


向こう側とこちら側

さておき、観察者はどこに立って世界を見ているか。二上山を東側から西に向かってみる稜線と西側から東に向かってみる稜線。この時、山の稜線は対象ではなく厚みを持たない境界であり観念である。境界というものはそういうものだから当たり前のようであるが、私たちはその向こうに何かを見るのである。
さすれば絵画のように物理的な厚みが限りなく無に近いイマージュのようなものと考えることもできる。


話は脱線して「杜」という装置である。神社を囲い本殿の向こう側の深みである。
本殿から参拝者に向かって風が吹き、深い奥行きを感じる神社の杜。陽のある昼間ではなく日が暮れてから「杜」の効果はより発揮されると感じるのは、夏祭りや初詣の時である。夜の闇の中、さらに深い闇という奥行きを持った杜。どこまでも深みを感じるその杜を、しかし裏に回れば物理的な奥行きは途絶え、裏側に出くわし興ざめするが、しかし正面から参拝する時の感覚は「杜」という機能を成立させている。この「杜」という装置もまた山越の稜線と同じように観念の境界である。物理的には限りがあるのだが、向こう側を想観するといった機能を助けている。





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「山越しの阿弥陀像の画因」折口信夫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46386_26151.html?fbclid=IwAR3j1RHmfC-1tRTsNpI4j4bBBwPjFmfnICOKiwn4iC9pQiObMYzCLqSil5I

*1
山越阿弥陀図
http://maf.jp/yamgoshiamidazu/
<山の稜線から阿弥陀如来が上半身をあらわす> という特殊な図柄は、古来の山岳信仰に加えて山の稜線を「此岸と彼岸」を隔てるものとする思想からとされます。
古代学者・民俗学者・宗教学者・歌人として独自な学風を構築した折口信夫が、冷泉為恭の「山越阿弥陀来迎図」から着想を得て、奈良當麻寺に伝わる中将姫の蓮糸曼陀羅伝説と大津皇子(天武天皇の第三皇子)の史実をモチーフとして小説「死者の書」を発表しました。....

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折口信夫『死者の書』についてのメモ、まとめ
2017年9月9日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2017/09/blog-post_9.html



季節2019 秋、柿食う季節 神嘗月から立冬の頃




昨年に続き 猛暑の夏がようやくいき 神嘗月
191016-17:29 小牧大草の夕日


天然のプリンのような
柿を むさぼるように 喰らふ

  毎日毎日、医者いらず


191025

冷たい雨
ストーブ入れる
冬じたく


季語だらけだから俳句ではない。しかし五七五リズムの制限された文字であらわすという形式は表現の問題を考えるうえで本質的なことを考えさせてくれる。
我、詠む ということで言えばその状態で完結していることが
汝、詠む ということになると省略されている部分を想像しなければならないという問題がある。
「ストーブを入れる」という部分も文字を見ればストーブを空間に入れるというふうにも見ることができるが、我は「スイッチを」入れるの部分が省略されている。汝はその部分の複数の状況を想像し、多様な解釈となる。



191031
角が立ち
去勢されたる
大和柿

近所のスーパーには種無し柿。
箱に入れて作ったような真四角の大和と和歌山産


神楽月


虫を追いかけて
走行中のバイクの前を
ぶつかりそうになりながら
紋付が横切り
電線に駆け上がった百舌鳥が
高鳴きをして立冬を告げる
革を着て
大学に着けば
紫式部にアオスジアゲハ








2019年12月12日木曜日

121212

2012年12月12日 6:16



121212 06:16 快晴、朝焼け、金星ランデヴー 

日進市浅田


2019年11月18日月曜日

Tomographic Drawing / "Twin inside twin" by Kiminari Hashimoto 断層ドローイング




Fetus-in-fetu 胎児内胎児 (Twin inside twin:一卵性双生児の一人がもう一人に取り込まれてしまう) 2019年2/22 に出産し取り出されwebニュースとして配信されたことに応答して制作したドローイングの続きです。




Tomographic Drawing (NCT drawing=No Computed Tomographic drawing)


Tomographic Drawing(断層図)はTube body コンセプトによるドローイング制作時に創出した手法です。CTスキャンのようなある座標平面でスライスされたような図です。
CT (Computed Tomographic) は数値演算の工程がありますが、コンピュータを使っていない観念上の断層図です。
そういう意味ではNo Computed Tomographic imageであり NCT drawing, NTC paintingと言ってもよいかもしれません。


Tube body drawing


84年頃に最初に描いたtube body コンセプトによるドローイングは、外と内が分かれていて個体としての「私」が「世界」の中に対峙して存在していると考える身体が実は内臓レベルで口から肛門までつながっている(個体としての「私」は外と内に分かれてるのでなく「世界」とつながっている)状態を位相幾何学の考えを引用し示そうと試みたドローイングです。解剖学的な具象性はなく観念的なイラストレーションです。

















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190330 note / Twin inside twin
2019年10月23日
http://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/10/190330-note-twin-inside-twin.html





Tomographic Drawing / "Double Embryo" by Kiminari Hashimoto 断層ドローイング(by橋本公成)
2019年11月15日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/11/tomographic-drawing-double-embryo-by.html



Study for "BIRTH" 2019 (from '80s drawing)



Study for "BIRTH 2019" / Brush pen pigment ink, Gel ink ballpoint pen on paper/25.2x17.8cm (sheet size) each : Campus notebook (2018DEC04-2019APR01) /2019 09.FEB Kiminari Hashimoto


1983-84年制作のドローイング、アルミパネルへのペインティングの部分、画中画(下記)より再制作。
透視図法的に描かれた画中画を平面に戻し、独立した絵画として再制作する。

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HISTORY PANELS/ Picture in a picture
2017年9月7日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2017/09/panels-picture-in-picture.html











2019年11月15日金曜日

Tomographic Drawing / "Double Embryo" by Kiminari Hashimoto 断層ドローイング(by橋本公成)



Study of "Double Embryo" 01,02 /1986 03.SEP/paint marker on paper/28x21.6cm(sheet size) Kiminari Hashimoto





Study of "Double Embryo" 05 /1986 10.SEP/
pen ink on paper/23.9x23.3cm(sheet size)
Kiminari Hashimoto

Study of "Double Embryo" 03,04,06,07 /1986 10.SEP/ paint marker on paper/ 23.9x23.3cm(sheet size) / Kiminari Hashimoto


二重人とdouble embryo

ベトナムでのニュースによって合体した人間(生物的な異変エラーによる存在)を知って、概念的な図示を試みたのであるがその布石は絵画平面上での二重人に対する考察であった。

二重人については、レオナルドのアドレーションで図示された二人セットのイメージについての誰かの論文によるものであったが、それはキリスト教的な、聖書に書かれている?「この世で自身の分身的なもう1人の他者が存在し、我々はその分身を求めて生きている。」といったような内容のものだったと思う。(キリスト教でなく、ギリシャのプラトンによる考察だったかもしれない)
ダヴィンチの絵に見る二重人は、明らかに合体したよように見える聖アンナとマリア図のように、精神的な遺伝的な様相を図示しようとしたように思えるのだが、一方で、そのアイデアを思いついたのは構図の描き直し、あるいはデッサンの修正時において、偶然二つの顔が並んでいた時に思いついたかもしれないということを、今朝web上で見たレオナルドのDrapery study on red paper 赤い紙に書かれたドレスのシワの習作を見て考えた。

この赤い紙に描かれたドローイングはレオナルド初期の代表作とされる受胎告知のマリアの衣服の習作で、布のシワを研究しているが、(それは地形図、地質図のようなものであり水流図にも見られる宇宙観をも表している)モデルの着衣を前に描いたのではなく、人体の入っているように布のシワを作って、人体なしでしばしば衣服のしわを追求していたという伝聞がある。
人体のない状態での着衣のシワを描き、自然な状態の着衣に見えるように上半身、胸から上の頭部などはモデルを前にせず、想像で描き、合体していったようにこの赤い紙の習作は見える。
このように部分部分と、宇宙の、世界の真理追求を全て一つの一点のタブロー作品で示そうとしたために完成された絵画が少ないということにならざる負えなかったのではないかと思うのだが、いくつもの枝の別れた個々の専門領域に対する長大な研究を全て入れ込んだ一つの世界像として絵画作品に込めるという意志が見える。
構図を決めて単純に完成に向かって機械的に仕上げる方向に向かうペイントとは異なり、世界の全てを説明するためのイラストレーションの集積であり、個々の領域の観察全てを詰め込んだ構築としての人工的なモニュメントである。
このことがレオナルドの絵画を不気味なまでの雰囲気を醸し出しように見える所以である。

偶然、修正したために現れた二つの頭部、修正前の線と修正したためにできた二つの頭部。ADORATIONに見られる2人セットの人物群もこのように修正前と後の二つが重なって偶然表象されたこの効果は、アニメーションのように動作と時間の経過を表してもいる。
これらのことを制作途中で「発見」したレオナルドは、あえて修正前後のイメージをどちらかに選択、決定して消すのではなく、どちらも残すことで絵画制作時に発現した効果として実践していったのではないか。

2019年12月3日






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Another work in '80 / 1986-87 Art work :Kiminari Hashimoto
2019年2月8日


Another work in '80 #01: embryo
2017年9月17日


2019年11月14日木曜日

「月が綺麗ですね」



2019/11/13  18:30  from KOMAKI OOKUSA Aichi Japan 小牧大草の十六夜

「I Love You」 を日本人は「あなたを愛しています」なんて言わない「月が綺麗ですね」とでも訳しておけ。。と言ったとされる夏目漱石の逸話、僕もドラマ「相棒」で知ったのですが、劇中でも図書館の資料箱の中に逸話の証拠となる学生に送った漱石のはがきがあった!という物語でした。

国立国会図書館サーチ
夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。(岐阜県図書館)
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000006-I000149970-00?fbclid=IwAR0ugbQ-lUfDSeXKbbvgEURJz_5znkYaQcISUoR40TmFGGc0yY8q9xiF5nc


2019年11月11日月曜日

久米の岩橋

大納言朝光:
下らうに侍りける時、女のもとにしのびてまかりて、暁にかへらじといひければ

小大君:
いわはしのよるのちぎりもたえぬべしあくるわびしきかつらぎの神

<岩橋の、夜の契りも絶えぬべし、明くるわびしき葛城の神 /拾遺和歌集 1201>




佐竹本三十六歌仙絵巻→小大君のうた→葛城の神(一言主神)と役行者 
からの、「久米の岩橋」
役行者(えんノぎょうじゃ)よりの、葛城山から吉野金峰山への橋を架ける工事依頼を、醜い姿が恥ずかしいから夜しか働かないと断ったため谷底に閉じ込められた葛城の神、一言主神(ひとことぬしノかみ)
この「久米の岩橋」物語を知らねば小大君のうたも佐竹本三十六歌仙絵巻もあじわえない。
現代の美術も、古典も深くあじわおうとすれば勉強が必要ですね。




古事記(712年)では幼武尊(わかたけるノみこと=雄略天皇)より優位に記述されていた葛城の一言主神は、日本書紀(720年)では対等になり、続日本紀(797年)では天皇の怒りにふれる記述へと変化する。
それにしても葛城山から奈良盆地をまたいで大峰山脈まで橋を架けるというビックプロジェクトが実現していたらヤマト文明もエジプト文明に匹敵した大文明だったか?
いや、このひらがなの「情」の深さこそが大和文明の本髄かも。

河内名所図会 6巻[2]25コマ目に工事が中断した久米の岩橋の図があります。
以下の国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。


河内名所図会 6巻(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563472?tocOpened=1



参考、引用元
岩橋山 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%A9%8B%E5%B1%B1

小大君千人万首
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kodai.html

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New project of "佐竹本三十六歌仙絵巻"
2019年2月16日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/02/new-project-of.html


2019年10月23日水曜日

190330 note / Twin inside twin



190330-01/08 Twin inside twin : Kiminari Hashimoto  / 251x177mm each/ ink on paper;Kokuyo Campusnote  橋本公成


from web news ----

Fetus-in-fetu 胎児内胎児 (Twin inside twin)
受精卵の細胞分裂がうまくいかず、大きな胎児が小さな胎児を包み込んでしまう。
一卵性双生児の一人がもう一人に取り込まれてしまう。
2019年2/22 に出産し取り出されニュースとして配信された。

一つの個体が、別の個体に吸収され、その中で存在しているという事例は今までもあったであろう特殊な事であるかもしれないが生物学的、発生学的な出来事として目に見える形で示されたことは興味深い出来事です。
なぜそれが興味深いと思えるかと言えば、私たちが生きてる生活の中で、人格としての個体が他の個体に取り込まれて存在しているように思えることがイメージとしてはあるからです。
誰かの大きな考えに影響を受けて、知らず知らずのうちにその影響下にあるようにふるまってしまっているということを感じたりすることがあるからです。



84年頃に最初に描いたtube body コンセプトのドローイングは、今にして思えばCTスキャンのようなある座標平面でスライスされたような図です。解剖学的な具象性はなく観念的なイラストレーションです。
Twin inside twin のニュースによって3/30に再びtube body コンセプトで8点、イラストレートする。位相幾何的図としての完成に至らず継続。


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2019年6月18日火曜日

チョウザメの皮を煮た接着剤

 




monet, 柳の反映/ 松方コレクション/ 国立西洋美術館
fb-橋本 公成
2019年6月18日 


2019年5月19日日曜日

小噺「平成人の金婚式」





平成人の金婚式

2069年、リタイアした平成人の夫婦は老後の楽しみに宇宙旅行に出発しました。
金婚式を迎えての記念旅行です。

ツアー費用はずいぶん安くなったとはいえ、庶民で年金暮らしの夫婦にとっては3年間生活できる高額な費用です。連れ合いのどちらかが先に逝ってしまった後、施設に入らなければいけない状況を考えて貯めていた虎の子も使いました。
金婚式という節目に使ってしまうことは価値あることだと思えたのです。



宇宙空間での時間は思ったより速く、費用対時間を考えるとまったくあっけないものでした。
地上とほぼ同じ時間で一日が過ぎる一周23時間56分の静止軌道コース(上空36,000kmの楕円軌道)は値段が高く、夫婦が選択したツアーコースは上空1,000kmの周回でした。ギリギリ支払える値段だったのですが、この上空からだと1時間45分で地球を一周してしまいます。
一日のうちで何度も経験する日の出と夕暮れは結構疲れるものでした。
ただでさえ年齢とともに時間の経過が速く感じられるのに、九十を前にして、「はやく逝け!」と言わんばかりにさらに加速度を付けられブンブン振り回されている気分です。
それでも、窓の外に見える青いグローブに白い渦巻の台風が次々と小さな島々を直撃するさまは、昔見た鳴門の渦潮よりも迫力あるもので、その渦の下で起こっているであろうヒトの厄に対しほんの少し罪悪感をおぼえつつも神の視点とはこういうことだと体感することができた夫婦は大いに満足していました。


50年前に行ったヘナリの場所が見つけられない上空を何度か周回し、あと30回廻ってツアー終了の時間が迫った軌道上で突然、電源系統がダウンしました。
センサーの不具合で宇宙ゴミが衝突するのを避けきれなかったのです。


「帰還のめどが立ちません」
舟のAIは、この世の終わり感をこめた不安な感情でアナウンスを繰り返します。

「こんな時は抑揚のない機械音の方が落ち着くのに。。」


こういったアクシデントは何十回に一回起こるもので、旅行前には起こりうるかもしれない不測の事故に対し「異議申し立て及び保証の請求をしない」という書類にサインさせられていたので、夫婦は半ばあきらめて待つしかありませんでした。



「こうなったら、まったく俎板の鯉ならぬ宇宙のサバ缶だな」
いつもながらたとえがずれてる残念な夫のつぶやきに、妻は力なく笑いかえしました。

非常用電源のカウンターがゼロを指し、酸素製造機も止まって意識がもうろうとしてきたとき、妻は息絶え絶えにに言いました。

「おとうさん、あの缶詰、開けましょうか」

「そうだね、少しは楽になるかもしれないな」


夫婦は結婚した2019年4月30日、記念に買った「平成の空気」缶を一つ手荷物に入れて持ってきていました。夫のつぶやいた「宇宙のサバ缶」で缶詰を持ってきたことを思い出したのです。
宇宙空間で缶詰を開けて、その時の空気を思い出し「あんな時代もあったね」と仲良く宇宙舟の縁側に座って茶飲み話をするためです。
場合によっては非常用空気として役に立つかもしれないと思ったのでした。



妻は缶詰のプルトップに指をかけゆっくりと引きました。
二人は頬っぺたをくっつけて小さな缶の空気を一気に吸い込みました。

意識がもうろうとしている中で一瞬なつかしいにほいが噴出し、肺に少し到達した気がしました。
そのかほりは、50年前のその日に岐阜県の小さな町で行われたイベントに参加して空気を缶に詰めた時におっていた、葉っぱが黄色と黄色が強い黄緑と白緑の混じったマダラから濃い緑一色へと秒速で変わってゆく山の、かすかな空気の速さの味がしました。
誰の身にも等しく降りかかった激動の昭和の空気を思春期に吸って育った父の世代と違って、大震災やテロの大きな出来事があったけど、テレビで見ていただけで直接それにみまわれることなく、ゆとりのある、いろんなことはあったけど、しかし大きな物語は何も起こらなかった多感な思春期の幸せを妻は噛みしめていました。平成の空気が蔓延し、世界中にいきわたった10年後から失速していった父の世代とは対照的だなあと感じていました。
なにより宇宙舟の中で吸う地上の空気は、感覚が研ぎ澄まされる環境のせいか、出汁をしっかりとったお吸い物のように薄味でありながらコクのある濃密な味がしました。

「ねぇ、おとうさん」
妻はこんな気持ちを声に出さず夫に同意を求めましたが、うなづくこともなく返事がありません。

そのかすかな空気の味は大変いとおしく、いつまでも感じていたいのに一瞬で消えてなくなりました。その間、実際のところ数分、あるいは数秒だったかもしれません。

「ママ、これが永遠?」





「ふうーっ」


大きなため息を吐いて空っぽになった肺を感じながら
妻はゆっくり目を閉じると、もうしゃべらなくなりました。









おしまい
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商品研究190424 空気の缶詰
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/04/190424.html



2019年5月8日水曜日

地図絵と山水画について




 地図絵は小学生低学年の頃より描いていましたが、それは自らが行った場所を客観的に知りたいという確認作業のようなもので主知的な行為であったと思います。
この地図絵は俯瞰によって描かれますが、グーグルアースによって自らの位置を見たいという神の視点に似たものとして成されます。
一方で山水画は西欧洋画(近代絵画)の写生的風景画とは異なり、やはり主知的な行為でもあります。
というのは、山水画にしばしば登場する点景としての人物がそのことを示しています。
点景として描かれた人物は絵を描いている作者でもあり、画中を路行く人でもあり、その人物が絵を観る人にも重なり、俯瞰している神の視点であると同時に画中をさまよう主人の視点でもあり、この二重に重なった視点が合体した観念としての世界図でもあります。
つまり、グーグルアースによる宇宙からの俯瞰図=神の視点はズームインしてゆき3D表示される最大ズームからストリートビューへと世界に入り込む視点が合体して同一画面上に表示されるようなものです。
こう考えてゆくと地図絵と山水画は連続した世界についての観念図=イラストレーションであり、地図絵から山水風景画、そして日常的な光景を描く風俗画に至るまでシームレスにつながっていると感じるのです。








2019年5月2日木曜日

190502 宇陀、「隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)」

 

宇陀 室生寺奥の院より




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隠の(読み)こもりくの

精選版 日本国語大辞典 「隠の」の意味・読み・例文・類語
こもりく‐の【隠の】

枕 (「く」は場所、所の意。両側から山が迫って、これに囲まれたような地形であるところから) 地名「初瀬」にかかる。
「はつ」に身が果つの意をふくませて、死者を葬る場所の意をこめている例もあるといわれる。

※古事記(712)下・歌謡「許母理久能(コモリクノ) 泊瀬の山の 大峯(おほを)には 幡(はた)張り立て」
※万葉(8C後)一・四五「隠口乃(こもりクノ) 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道(やまぢ)を」

[語誌]「皇太神宮儀式帳」(八〇四)や「倭姫命世記」(一二七〇‐八五頃)には「許母理国志多備之国」と続いた例があり、「したびの国」に続く枕詞の例となっている。
「したびの国」は黄泉(よみ)の国で、死者のおもむく所であるから、「こもる」には身を隠す意で死ぬ、葬るなどを暗示していると見ることが可能である。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について

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たのしい万葉集: 初瀬(はつせ)を詠んだ歌

初瀬(はつせ)
初瀬 撮影(2014.05) by きょう
初瀬は、現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)~朝倉台西付近を指します。長谷寺があることで有名です。古代、初瀬(泊瀬)は神聖な禊(みそぎ)の場と考えられていました。

「隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と万葉歌に詠まれているように、山々に囲まれた静かなところです。

初瀬(はつせ)を詠んだ歌
万葉集には「泊瀬」と書かれています。「隠口(こもりく)の泊瀬」と、枕詞(まくらことば)とともに詠まれている歌も多くあります。

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2019年4月24日水曜日

商品研究190424 空気の缶詰





商品研究190424/ 空気の缶詰 ------------

モノに対する価値は時間に対する価値
と投げかけてみる。

モノに対する価値とは何でしょうか。
自分で作ると時間や手間がかかるもの、作る上での経験という時間を、他者が肩代わりしてくれたこと=時間に価値を認め、その対価を支払うというふうに考えることもできます。自分で作ればできるようなことを、あえてそうしないで他者が作ったものを消費する。産業革命以後の大量生産による分業化によってもたらされ自給自足の構造が変化した。その結果、人は自給自足の時より余剰の時間が生まれて、「他の事」に時間が使えるようになった。暇ができた。
また、産業革命は地球規模での人の大移動を加速させた。ここにない珍しいものが、移動手段の発達によって手に入るようになった。



商品とは「時間」と「空間」を売るものである。
と投げかけてみる。

ブラックホールの映像が公開された今日、「空間」は「時間」に収束されると言ってもよいでしょうか。少し乱暴な言い方ですが空間とは時間のことなのです。その観点に立てば「時間と空間を売る」とは「時間を売る」と言い換えてもよいかもしれません。
土産と書いて「みやげ」と呼ぶように、違う土地、空間に行ってその時、その土地の特産品としてそこでしか買えないものを持ち帰ります。しかし、土地の特産品とは何でしょう?全くそこでしか採集できないものもありますが、伝承した長い時間の中でどこでもあるものを加工したものもあります。そういったものは伝承した技術という「時間」に価値を見出していると言えます。つまりモノに時間が内包された同時表象がなされていて、そのことに価値を見出していると考えます。
40年来、商品企画に関わってきた経験から思い出せば20数年前すでに「もの消費からこと消費へ」と言われていたましたがインバウンド景気に浮足立つ今日の日本で、このことが再浮上しています。毎年あちこちの地方でトリエンナーレやビエンナーレと称して行われるアートイベントもまた「こと消費」のためのネタの一つになっています。これが「関係性のアート」というものでしょうか?



価値、金銭の対価は「時間」に対して支払われる。
と、投げかけてみる。

このことを計算したのは、かつて中国福建省の温州から長距離バスに乗って広東省の潮州へ行った時のことです。温州から潮州へは飛行機の便があるくらいの距離で、1時間くらいのフライトです。その値段は当時1万円ちょっとだった気がします。長距離バスは途中いくつかの都市で人や荷物を積み目的地には6-7時間くらいかかったようです。値段は2千円くらいだったように思います。長距離バスに揺られながら、所要時間は値段に反比例する交通手段をいくつかの都市間にあてはめて計算して係数を割り出そうと暇つぶししていました。
一方、インバウンド景気の現在の日本では、数年前に見られた爆買いという「もの消費」が落ち込み、「こと消費」へと変化していると言われています。これは極端に言ってみれば「暇つぶし」という時間の消費です。
空間の移動としての時間に対する対価と「こと消費」における時間の消費。限られた一生という時間の中で有意義に過ごしたいという欲望の時間の表れが同じ時間というものに対して正逆両方の矢印を並列させながら存在しています。




「時間」「時」の価値を整理してみる。
1)「こと」を行うために消費される時間の長さに対する対価
  現在の社会においては消費される時間の長さは短いほうが価値は高く、金銭価値は高い。
2)ある一つの「時」「時代」「日時」に価値を見出すものに対する対価
  (人それぞれによって価値が異なる)
  実用的な「もの」に対して自分がいたという存在証明的な自己完結型の価値と言ってもよい。時に他者とのコミュニケーションのための話のネタとしての価値。
3)「ひまつぶし」を補うものに対する対価
  「ひまつぶし」を上品な価値に置き換えるもの→学問、研究
  「ひまつぶし」を金銭対価に置き換えるもの→パチンコなどのギャンブル
4)「ひまつぶし」はこと消費であり時間の消費である



空気の缶詰

岐阜県関市の平成(へなり)地区で発売された「平成の空気」という缶詰の分析です。
平成(へなり)地区という特別な地域の場所(空間)の空気が入ってるとされ、採集日時は平成時代ということで、改元時期という特別な時間の空気であるとされています。上記の整理より2)の価値です。
この缶詰を買う人は、消費行為そのものをイベント(こと)として消費することに満足することでしょう。改元というイベントに参加しているという時代の一体感と満足感を購入することでしょう。
企画元は株式会社ヘソプロダクションという大阪の福島にある会社です。HPを見てみると製造工程そのものがイベントで「関係性のアート(リレーショナルアート)」のようです。

ホンモノの平成への想いを残すモノづくりプロジェクト
平成の空気缶(へいせい・へなりの空気缶)
https://www.heso-pro.com/project/heisei_air/


多分、この缶詰を買った人はこの缶詰を開封することなく記念にとって置くと想像されます。一般人にとっての記念とは未来の思い出候補です。未来で思い出されなかったものも、思い出されたものも、所有者が死んでしまえば終活時に見つけ出されて廃棄されるかもしれないし、ネットオークションで売られるかもしれません。こう見てくると美術品の骨董価値に通じるものを感じます。

美術品の缶詰と言えばジャスパー・ジョーンズのビール缶を型取りしブロンズで鋳造した「塗られたブロンズ」があります。これは内部が詰まった塊でこと消費というよりもの消費に近いものです。しかし美術品は現代のものであれ古美術です。作られたその時点より流通する段階ですでに時間が1秒、1分も経過するという意味で骨董的価値をまとっています。こう考えるとモノでありながら美術品を買うということはすべて時間を買うこと消費ということができます。
より直接的に缶詰を扱ったものに赤瀬川原平氏の「宇宙の罐詰」(1964年)があります。
カニ缶の外側ラベルを外して、内側に詰まっていたカニの身を出し空洞になった内側にラベルを貼り蓋を密閉した、内側と外側をひっくり返したトポロジカルな概念的事物です。
一般人も宇宙へ行くことが現実的になった現代、この罐詰を宇宙に持って行って開いたら。いや、宇宙まで行かなくても地球上も宇宙の一部なのですから今、開封してもよい。
開封したとたんこの世界はブラックホールに吸い込まれて宇宙が反転する!
なんてことは起こらないことをすでに知っています。
浦島太郎の玉手箱は起こらない。ファンタジーです。


「宇宙空間に持って行く空気の罐詰」の商品価値があるか?

こんなことを考えていると「宇宙空間に持って行く空気の罐詰」という商品アイデアは可能か?という問いが浮かびました。「宇宙の罐詰」を実用的な商品にすることは可能か?
「平成の空気」という缶詰を実用品としての可能性はないか?と考えてみたのです。
宇宙空間に持って行く缶詰は宇宙日本食サバ缶などいろいろ考えられています。


「平成の空気」缶を宇宙に持って行って開封すると、一瞬、懐かしい空気を感じるかもしれません。(あるいは、どこかの地上の空気の缶詰でもいいです。)
が、それは一瞬で拡散して生存のための必需品として考えるとあまりにもナンセンスです。生存のための非常用空気の缶詰としては商品価値は低いです。
実用品の価値の一つは「生存のための」なのです。
商品価値の一つに希少性があります。その意味で空気のない宇宙空間で空気の缶詰は商品価値が高いように思われます。しかしなぜナンセンスと思うのか。

実用品でもある作品について考えていた30年前を思い出します。











25年前にイギリスのバースで買ってきたローマンバース(ローマ時代の温泉)の水の瓶詰を見ながら平成の終わりにこんなことを考えているのもまた長大なひまつぶしです。




そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねといつか笑って話せるわ(中島みゆき)

参考web ---------

ホントに販売するやつ!!岐阜県関市の平成(へなり)地区の空気を採取した缶詰「平成の空気缶」が発売
観光・地域 / 商品 Japaaan編集部  @2019/04/22

https://mag.japaaan.com/archives/95353?fbclid=IwAR28qb9y98oPOSoa5ODADbU-v2RMPCVCCaN7O2s_baj7Cav92PhZyThs0sc


激しかった「前衛芸術」赤瀬川原平を再び
絵画、オブジェ、小説、路上観察まで変幻自在
仲宇佐 ゆり : フリーライター
2014/12/13 6:00
カニ缶に宇宙をとじこめる
https://toyokeizai.net/articles/-/55349?page=3


宇宙日本食サバ缶、開発の現場を取材!—高校生と熱血教師の12年 
2019年1月17日
http://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1901_1.html

宇宙飛行士の楽しみは食事!? JAXAの元宇宙食開発担当者が語る「宇宙食のひみつ」
http://www.nikuine-press.com/tellme/post_3458/

有人宇宙飛行と積荷にまつわる裏話 
2015.01.27 20:00
https://www.gizmodo.jp/2015/01/post_16398.html


「見ることの意味」ジャスパー・ジョーンズ
http://kawasenb.sakura.ne.jp/?page_id=1189


『関係性の美学』N・ブリオー/  Artwords(アートワード)
https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%80%8E%E9%96%A2%E4%BF%82%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%BE%8E%E5%AD%A6%E3%80%8FN%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC
...ひいては地域振興を旨とするコミュニティ・アートなどの理論的な後ろ盾としてしばしば援用されることになった。
リレーショナル・アート Relational Art /  Artwords(アートワード)
https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
...作品の内容や形式よりも「関係(relation)」を重んじる芸術作品を総称的に示す言葉として、1990年代後半より広く用いられるようになった。
...この場合どちらかと言えば作品の制作過程で生じる周囲との接触関係のほうに重点が置かれていると言えるだろう。
...リレーショナル・アートという言葉はブリオーによる当初の定義を越えて、何らかの仕方で社会性を主題に掲げた作品や、地域密着型のプロジェクトなどにも今日広く用いられている。
著者: 星野太


ローマン・バス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B9

The ROMAN BATHS Bath   Official website
https://www.romanbaths.co.uk/


2019/04/24


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小噺「平成人の金婚式」
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/05/blog-post_19.html


2019年4月19日金曜日

190419 戌の日




朝日が差し込み始める6時になってしまったので、もう寝なければと思ってソファーでうつらうつらしていると新紙幣で発表された肖像写真反転の津田梅子さんがあらわれて、

「何も問題ないわよ」

と言ったので、2時間もたたないうちに目が開いた。
と、その瞬間に、そうか!とすべてのことがクリアになった。

「だって、私が毎朝鏡で見ている顔は、この顔なのよ。
写真に撮られた像は、私じゃない人が私だと言ってる像なのよ。それに、あなたが今見てる世界だって網膜で上下反転しているし、それをまた脳内で反転させて認識してると思ってるでしょ。
肖像権云々というなら、本人が問題ないと言ってるから問題ないのよ。」

と梅子さんは続けた。

「だってそうでしょ。権利というもんはだいたい当事者でない人たちが騒ぎ立てたりするものなのよ。他者によって作られるものなのよ。」

「『日本を含む多くの民主主義国家では、憲法に「表現の自由」が規定されており、一般的には、肖像権より表現の自由が優先される場合が多い。』とwikiにも書いてあるわ。
だからむしろ私の写真を撮ったカメラマンさんと造幣局の間に発生する問題なのよ」

「菅さんも、<この像は津田梅子さん本人が毎日、鏡で見ていた津田梅子さんの像にするため、肖像写真を反転しました。>と説明すれば何も問題ないのよ。

私が見ている私と、あなたたちが見ている私は別なのよ。

だけど、こう考えてみて。
私が見ている鏡像と、あなたたちが見ている鏡像の反転した肖像写真を、脳内で合成すればホログラムのように立体的に見えてこない?
これはステレオ写真とは違う立体視だけど、私はこれを社会的ホログラムと呼んでいるの。」


そう言うと梅子さんはまぶしい朝日の中に溶けていきました。

おしまい










2019年4月9日火曜日

140401

2014年4月1日 0:24

From Apr.1st 1997 to Mar. 31st 2014,
I have to change my lifestyle of this 17 years which is synchronized with the period of 5% of consumption taxes.
It was just the day of the 34th year yesterday.
I intend to change the lifestyle of these 34 years at the same time.
I will return to just the untitled person.



私は消費税5%時代の生活習慣病を変えなければならない。
昨日はちょうど34年目の日でもあった。
私は同時に、この34年の生活習慣病をも変えようと思う。
何者でもない、ただの人にもどるのだ。

2019年4月1日月曜日

190401

写真に写っている自らの二歳ころの真似事は筆で書く気持ちよさが脳みそに滲み込んでいることの裏付けになって、筆を持つと何かのスイッチが入ったようになってしまうという錯覚があります。しかし生家が書道教室だったからといって書棚に普通に並んでいた九成宮や蘭亭序に子供が興味を示すわけではないのですが、この年になると、なぜその頃に興味を示さなかったのかと後悔したりもするのですが後の祭りです。

改元にあたり新元号が発表になり、その典拠や和漢字の意味が一般人向けに政府などから発表はあるわけですが、漢字はもともと大陸から伝来したものでありその原典にあたるのがより意味を考察できると思うのです。
万葉集にある梅花の宴(曲水の宴)にしろ大陸から伝来したことを考え調べてゆくと王羲之の蘭亭序に行きついたりするのです。




旧字の「和」の古字はどれも「口」が左にあり「禾」が右にあります。















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新元号が発表されました。

「令和」

漢字の言葉の意味を知るには音読みの「レイワ」でなく訓読みで読む方が分かりやすいです。政府による菅官房長官の発表によると「よき(令)やわらぐ(和)」ということらしいのですが、日本で普通に義務教育の範囲で勉強してきた人であれば、漢字は文字自体で意味を宿しているので次のように読むのは自然です。

和(争いをおさめる)を 令(いいつける)
和(争いをおさめる)を 令(命じる)
和(争いをおさめる)の 令(おきて)

典拠は万葉集ということが強調されます。
大伴旅人が大宰府の梅花の宴での、梅花の歌三十二首の序より
 初春の月にして、気淑(よ)く風らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす ...
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43167710R00C19A4EA2000/


国民に向かって、中国の四書五経によらない、万葉集=国書を強調するのも、政治的であると批判的な意見が多いです。しかし、そもそも元号の制定は政治なのですから当たり前なのです。


金田一先生の語ったところによれば
「令」はもともと神の言葉。転じて「よきことば」
と、旅人の序は「もともと中国の書に出典があり、漢文であるからどうしても元をたどれば中国に行きつくことは避けられない。」と国民全体がめでたい雰囲気の方向に向いているテレビ国民に水を差すことは避けようと気を使いながら歯切れが悪い印象を受けます。

ロバートキャンベル氏は
漢字の「令」には「向かわせる」という行動をともなった言葉であることを語っていましたが、すぐに撤回して好意的な印象を表明しています。

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律令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(令から転送)

律令の基本思想は、儒家と法家の思想である。儒家の徳治主義に対して、法家は法律を万能とする法治主義である。
古代中国には、国家や社会秩序を維持する規範として、礼、楽、刑(法)、兵(軍事)があった。
儒家は礼・楽を、法家は刑・兵を重んじた。刑の成文法として律が発達し、令はその補完的規範であった。次第に令の重要性が増して、律から独立し行政法的なものになった。
・・・あるいはまた、秦・漢においては、令=詔(『史記』秦始皇本紀)であり、“令”は皇帝の命令(詔)を指し、“律”は個々の詔(令)の文中に盛り込まれた規範的部分のみを指したとする説もある[8]。



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大宝律令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大宝律令(たいほうりつりょう)は、701年(大宝1年)に制定された日本の律令である。「律」6巻・「令」11巻の全17巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。
大宝律令は、日本史上初めて律と令が揃って成立した本格的な律令である。


成立
大宝律令に至る律令編纂の起源は681年まで遡る。同年、天武天皇により律令制定を命ずる詔が発令され、天武没後の689年(持統3年6月)に飛鳥浄御原令が頒布・制定された。
ただし、この令は先駆的な律令法であり、律を伴っておらず、また日本の国情に適合しない部分も多くあった。

・・・大宝令11巻と大宝律6巻の律令選定に携わったのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂らである。


大宝律令の施行は、660年代の百済復興戦争での敗戦以降、積み重ねられてきた古代国家建設事業が一つの到達点に至ったことを表す古代史上の画期的な事件であった。
大宝律令において初めて日本の国号が定められたとする説もある[2]。・・・

7世紀後半以降、百済の滅亡など緊迫する東アジアの国際情勢の中で、倭国は中央集権化を進めることで、政権を安定させ、国家としての独立を保とうとした。・・・

・・・この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省(神祇官、太政官 - 中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省)の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立した。
役所で取り扱う文書には元号を使うこと、印鑑を押すこと、定められた形式に従って作成された文書以外は受理しないこと等々の、・・・



2019年3月26日火曜日

190325 :The squatters has left.




2018年末、借りている仕事場と倉庫を管理している大家さんが替わって不法占拠されていたガラクタが強制撤去された。
20年ぶりに床が表れた。


2019年2月16日土曜日

New project of "佐竹本三十六歌仙絵巻"

Kodai no Kimi (Yamato Bunkakan)
小大君      (大和文華館)



2019年秋に分断されてバラバラになった絵巻が京都国立博物館に集結する展覧会が開かれるというニュース。

旧秋田藩主 佐竹侯爵家に伝来した三十六歌仙絵巻は1919年(大正8年)に分断、軸装され所有者がばらばらになったという。
この絵巻の運命は明治、開国による日本の近代化、社会構造変化の中で、日本美術の受容鑑賞方法に変化をもたらした事件でもある。
藤原公任によって11世紀初めに撰された三十六歌仙、そしてその36人をもとに13世紀鎌倉時代に制作されたという、いわば編集された肖像イラスト付きの本のような美術であると考えるならば、鑑賞形式としてバラバラに個別に鑑賞されてもよいと言えなくもない。現代から見ればその方が民主的と言える。

絵巻物は個人向けに鑑賞されるメディアであるが、ある特定の個人(所有者)によってのみ受容鑑賞されたのだろうか。貸本のように、所有者のつながりの中で回し読み的に鑑賞されたのだろうか。いずれにせよ、庶民の目には触れることのなかったものであろう。
その絵巻が分断され、再集結し博物館で展示され老若男女を問わず庶民にも鑑賞可能となるということではあるが、庶民の鑑賞方法は限定されるだろう。
しかしはたして2019年現在、庶民とはだれかということだろう。見に行く人は、この絵巻物に興味のある趣味人であるだろうし、博物館の入場料金すら日々の生活費の中で生きるためにのみ必要とする者にとっては、たとえ興味があっても二の足を踏むだろう。というかその情報すら耳に届かないかもしれない。つまり、依然として美術鑑賞は特定の生活安定環境にいる人々の間で成り立っているのであり下層民は下層民の中でのコスパによるエンタに時間を消費するだろう。

そういったことをいろいろ考えていると、今、この絵巻をテーマとする新しいプロジェクトとしての作品化は意味深いものであると思う。そこであらわされている雅な世界は誰に向かって発せられるかという問いを含んだ日本美術の現代の作品として。

ISE Satake36poets
伊勢  (個人蔵)



引用元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%AD%8C%E4%BB%99%E7%B5%B5%E5%B7%BB


歌仙名   1919年当時所有者                              現所蔵先
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柿本人麿   森川勘一郎           出光美術館
凡河内躬恒  横井庄太郎(古美術商)               個人蔵 (狩野探幽筆の補作)
大伴家持 岩原謙三(芝浦製作所社長)           個人蔵
在原業平 馬越恭平(大日本麦酒社長) 湯木美術館
素性法師 野崎廣太(中外商業新報社長) (所在不明)
猿丸大夫 船橋理三郎(株屋) 個人蔵
藤原兼輔 染谷寛治(鐘淵紡績重役) 個人蔵
藤原敦忠 團琢磨(三井合名会社理事長)        個人蔵
源公忠 藤田彦三郎(藤田組) 相国寺承天閣美術館
斎宮女御 益田孝(三井物産社長)                 個人蔵
源宗于 山本唯三郎(松昌洋行社長)           文化庁保管
藤原敏行 関戸守彦 個人蔵
藤原清正 藤田徳次郎(藤田組)                    個人蔵
藤原興風 大辻久一郎 メナード美術館
坂上是則 益田英作(益田孝の弟) 文化庁保管
小大君 原富太郎(生糸貿易商) 大和文華館
大中臣能宣 高橋彦次郎(相場師) サンリツ服部美術館
平兼盛 土橋嘉兵衛(古美術商)   MOA美術館
住吉明神 津田信太郎 東京国立博物館
紀貫之 服部七兵衛(古美術商) 耕三寺博物館
伊勢 有賀長文(三井合名理事) 個人蔵
山部赤人 藤原銀次郎(王子製紙社長) 個人蔵
僧正遍照 小倉常吉(小倉石油社長) 出光美術館
紀友則 野村徳七(野村財閥創始者) 野村美術館
小野小町 石井定七(相場師) 個人蔵(東京国立博物館寄託)
藤原朝忠 小林寿一 (所在不明)
藤原高光 児島嘉助(古美術商) 逸翁美術館
壬生忠岑 西川荘三 東京国立博物館
大中臣頼基 益田信世(益田孝の子) 遠山記念館
源重之 嶋徳蔵(大阪株式取引所理事長) 個人蔵
源信明 住友吉左衛門(15代)(住友銀行創設者)       泉屋博古館
源順               高橋義雄(三越呉服店理事) サントリー美術館
清原元輔 高松定一(3代)(名古屋商工会議所会頭)      五島美術館
藤原元真 嘉納治兵衛(7代目)(白鶴醸造) 文化庁保管
藤原仲文 鈴木馬左也(住友総理事) 北村美術館
壬生忠見 塚本與三次 個人蔵
中務 山田徳次郎 法人蔵

*1919年当時の所有者については、参考文献に挙げた『秘宝三十六歌仙の流転 絵巻切断』による。
(馬場あき子、NHK取材班『秘宝三十六歌仙の流転 絵巻切断』、日本放送出版協会、1984)


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7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集であり、天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたものとされる万葉集。その中からも三十六歌仙の人物が撰されている。さまざまな身分の人間といっても歌を詠めない人は含まれないだろう。

万葉集
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86


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久米の岩橋
2019年11月11日
https://pavlovsdogxschrodingerscat.blogspot.com/2019/11/blog-post.html



2019年2月11日月曜日

190209  蜘蛛の糸 @TOYOTA



喜楽亭にて(この画像は展示作品ではありません)



メッセンジャーで案内をいただいたので小島久弥さんの作品を見に豊田の喜楽亭に行く。
絶えず観客が訪れる会場でお茶会の主人のごとく解説を行なう小島さんと、他の観客の後について三つの道行きを順に拝見した。それはあたかも舞台の解説を聞きながら早送りで演劇を見ているような体験である。場にあるすべてのものが、意味付けられ、物語の構成要素にかっちりと納まっていることに多少の息苦しさと、薄暗い中で繊細な展示物を壊してしまわぬよう緊張を強いられる空間は、観客に所作を強いるストレスの高い空間だ。しかしこのストレスは見るということに注力させる鑑賞の所作でもある。が、動員だけを目的にしたフェスティバルでは落ち着かない。緊張を緩めて、この作品を体験するには1~2時間くらいゆっくりとした時間が必要だ。1~2時間、それはあたかも演劇や映画の所要時間である。演劇では観客はアクターの出来事を追うが、この場での主人公は移り行く時間そのものなのだから。しかし、と、再び思い直すと美術館、劇場的な鑑賞方法でない、観客と作品が地続きな空間で、いろりを囲んで親密に談笑する場を主人は求めていたのかもしれない。


小島さんの作品というと、僕はいつも「ソーダ水の中を、貨物船が通る」という、荒井由実の『海を見ていた午後』の一節を思い出すのだが、それは99年の名古屋港倉庫での展示の印象が時間の経過の中で書き換えられた記憶によるのだろう。
僕が小島さんの作品を見るのは今回で三度めで、94年「ポジション」展:名古屋市美術館、99年、アートポート「メディアセレクト」名古屋港20号倉庫、同年同場所での演劇?「LETHE」で、いずれも水の循環の様態を見せるという一貫したテーマがあったが、94年と99年では大きく変化したように見える。よりポエティックに作品の様相が変化したように感じている。今回も循環の様態がテーマで、水をモチーフにしているが実際の水を素材として使用していない。それは文化財である場の制約によるものだろうか?それとも見立てをより進化させた結果であろうか?

小島さんはギャラリーの運営でのキュレーションの仕事や、小島製作所の仕事も行っておられる。このグループ展全体のキュレーターは天野一夫氏だが、喜楽亭の小島久弥の作品にはもう一人のキュレーター小島久弥が舞台監督のように存在している。
ホームページを見ると、今回の三つの場の作品の二つは過去に発表されたものが2019年の社会情勢の中でバージョンアップされ再編集されているのがわかる。数年前に発表されたという喜楽亭の作品と今回の一の間で異なっている部分は土石流に見立てた日焼けした畳の上に展開されたダイオラマと蜘蛛の糸である。


循環に従って、最初の間に戻って床の間を見ると、水害被災現場で救出用のヘリコプターから垂れ下がって被災者を救出するごとく見えていた「蜘蛛の糸」が、不気味な様相を醸し出して見えてくる。
そして、二の間の天井から落ちる雨漏りの雫は、蜘蛛の糸を切った釈迦が悲しんだ涙のように見えてくる。三の間で溜まった水は、極楽の蓮池越しに釈迦が覗き見た地獄か!


小島久弥さん作品の眼より外を見る

絞りエレメントは意外と大きいパネル状で窓枠にはめ込まれている





遠くから喜楽亭を見る

















蜘蛛の糸(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%98%E8%9B%9B%E3%81%AE%E7%B3%B8